行ってしまう年と来てくれる年と

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行ってしまう年と来てくれる年と

除夜の鐘を合図に前へ進む列の中で新年を迎えるのが日常だった日々が、いつの間にか一人だれもいない部屋でカップそばで迎える年を経て、まさか今年は2人でカップ麺を食べる年末を迎えるとは思っていなかった。 幼い頃、近くの大きな全国区のスーパーでさえ、大晦日は6時くらいで閉店だった。 駐車場に入るだけで、1時間以上は当たり前。 人はこぞって買い出しをするために、駐車場は開店と同時に満杯。 さすがに、おせちを全て作ると言う家庭は核家族化が進んだ時代だったので、おせち買い出しは減ってはいたが、スーパーでは正月に食べるものをと、寿司や刺身や天ぷらなどを買い漁る人が多かったように思う。 **むしろ、今の方がおせち需要が高いように思う** うちの祖父母宅も、人が集まる家だったから、年越しそばと年始の食べ物はアホみたいに買っていた。 そしてアホみたいにてんこ盛りの餅。 片方の親が、九州の人間でもう片方が東北だから、毎年餅は2種類。 東北側は簡単だったな。 つきたてをそのまま適当に取り分けて食べる。 食べない分は、タッパーに流し込んで、固める。 固まったら取り出して、包丁で切る。 九州側が大変だった。 つきたてを取り出したら、熱いうちに『手』でちぎって分けて、丸める。 ひたすらちぎる祖母←手の皮が厚い それを丸める←他全員 手を使うから、九州側の餅のほうがカビやすいので、先に食べる。 東北側は、切り分けたら冷凍庫・・・ そんな毎年。 それが、いつしか、サ○ウの餅・・・売っているやつに変わった。 もう何年も、つきたてなんて食べてない。 そう言えば、気がついたら大晦日の営業の時間が8時くらいまで延長になり、そして元旦営業が始まった。 1年の中に、「休み」がぐっと減った。 みんな 毎日 何時でも どこへ行っても 何でも出来る そんな時代になった。 そうした渦の中にいたら 集まっていたところがなくなった。 店も 家も ここがいい から どこでもいい に変わってしまった。 たくさんの人と居たい が ひとりでもいい になって ひとりがいい に変わってしまった 大勢で囲んで食べた蕎麦を いつしかみんながそれぞれ食べ終わったあと、みんなを起こさないように温めて食べてた。 そして、いつしか年を越してから食べるようになって そして、いつしか年を越してから何も買えなくて近くのコンビニで何とか見つけたカップの蕎麦にお湯を入れて 誰もいない 知らない街で 寂しく食べた みんなに言いたい。 作ってもらえるうちは、ありがとうを言おう。 ありがたがって食べよう。 とっても大切。今なら分かる。 そして、その時のそんな自分が迎える新年。 真隣の道路を走るうるさい暴走族に悪態をつきながら・・・ その日は帰宅5時間後には職場へ行かなければならず、つまりは約3時間しか「寝る時間」しか取れない状況だったから、余計に腹立った思い出。 今となっては、いい思い出。 そして、紆余曲折あり蕎麦じゃないけれど一緒に大晦日を過ごす人と出会い、毎日に波風がなくなった・・・ 特別な行事がないってこと。 年末も年始も特になく。強いて言えば挨拶だけの365日目。 でも、毎日何かしら店もやっているし、いつもと変わらない。 うるさいのは、テレビの中くらい。 後はほぼ変わらない。はずだった・・・。 それなのに、今年は久しぶりにカップの蕎麦をわざわざ食べている。 理由は・・・あの人のファイルがほしかったから・・・ 人って、成長している。 はず。 上の時期の少し前の自分。 初めての一人暮らしで知らない土地で寂しく迎えるのが嫌で、急いでその年じゅうに車で帰省した。 昔、高速の券を回収するおじさんがまだいた時代、初めて家族や知り合い、お客さんを除いた相手に(つまり、そのおじさんに) 「良いお年を!!」 と、言えた。 それからというもの、一応、年末に働いている方と目があったら、良いお年をと伝えるようにしている。 人は一人じゃ生きていけない。 その人が働いてくれているから、今の自分の生活もある。 そう思ったら、他人じゃなくなった気がする。 と気づいた、そんな過去の成長点の話。
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