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受け止め方の違い
結構です。←唐突
という言葉は、今は「NO」一択のように使われがちだけれど、少なくても自分が学生だった頃は、「Y/N」の誤解を招きやすい例文として出てきていた。
(年がバレるかな・・・)
自分は辞書じゃないので、全部を解説はしないので、今でもビジネスのときは気をつけろとなっているとは思う。
または、売買関連のときも確か要注意の言葉となっていたと思う。
それ以外では、あまり使われなくなったのか、注意書きから減っているのかもしれないけれど・・・。
とにかく、日本語はこれ以外でも解釈を広げて見れるものがある。
高コンテキスト文化の弊害なのかもしれない。
そこにさらに「方言」も加わると、さらに混乱する。
そして、ジャパングリッシュ・・・「和製英語」・・・。
こんな日本に住んで、難解な意味のある言葉を覚えて、活動している海外の文化が色濃く関わっている方たちに心から、労いたい。
さて、ちょっと脱線したので話したいことに戻ることにする。
むかし、初めて東京に出てきた頃。
ご年配の女性と孫という組み合わせの2人が、自分の乗っている電車に乗ってきた。
年配の方は60代後半から70代前半くらい。
子どもは、小学4年生くらい。
自分は、座席に座っていてすぐ近くにその2人が立ったので、
「よかったら、どうぞ。」
と、立ち上がった。
その時、普通に年配の人が座り、子どもは立ったままだった。
皆さんはどう思うだろうか。・・・問1としよう。
*別に答えを求めているわけではありません・・・。
さて、そこから四半世紀が過ぎた昨今。
ちょっと混雑する地下鉄。
自分は、始発に近い所から乗ったので座っていたのだが、ある程度混んできたので、席を譲ろうと模索しだした頃、同じ車両に杖をついたご年配の男性が乗ってきた。
ここぞとばかりに、席を譲ろうとしたところすごい睨みされて、その方はどこかへ行ってしまった。
高橋優さんのMVの「あしたはきっといい日になる」のワンシーンのような状況。
仕方無しに、偶然そばに妊婦さんもいた事に気がついたので、どうぞと声をかけ、事なきを得た。
ちなみに、ご年配の男性からは、死角になっていて妊婦さんの存在は分かってないと思われる状況。
皆さんはどう思うだろうか。・・・問2としよう。
*別に答えを求めているわけではありません。
問1の場合。
え?なんで子どもを座らせないの?と思った人もいれば、当たり前と思ったひともいるのではないだろうか。
自分は、どちらかと言うと最近「自分はまだまだ若い」と思っていても、40代後半でちょっとしたことで、ああやっぱり若いときより衰えている部分があると思うところがある。
運動していても、やはり人はほんの少しずつでも衰えが出ている。
逆に、子どもは成長している時期は、体力的にも色んなところでしっかりしているのだ。
きちんと、こういうときはこうだからを学んでいれば、動く電車でも割と踏ん張れる柔軟さも持っている。
だから、あくまでも個人的には子どもが立って70前後なら、無理せずに座ればいいと思っている。
子どもがもっと小さいなら別だけど。
さて、問2の場合はどうか。
問1にも通じるのだけれど、そういう老人力的なものにさらに杖をついている人が立っているというのは、正直危険だとおもう。
ただ、もう一つ思うのは折角の親切な芽を自分のプライドのためにへし折る必要はないと思っている。
最近は、変な人が増えたことで他人が口出しすると通報されかねないから、関わりが希薄になり、個人化してきている。
でも、その中でも人は「親切の種」を育てている、一応。
その種を、大きく育てるのも先人の役目だと思ったりもする。
自分は、そういうことをされても一向に気にしないが、若者はそのせいで
「せっかくいいことをしようと思ったのに、怒られて損した。」
とも思いかねない。
まあ、これも穿った見方かな・・・。
一見、親切すぎるのもそうではないのも、立ち止まり、ホンの少しでも考える時間があれば、何もかも総ざらいでより良い人が増えていくのではないかと考える。
そんな親切が、招いた犯罪仕立てのストーリーに仕上がっているかどうか、初めてのミステリーが伝わっているか、第8章以降も見て頂けたらと思いながら締めようと思う。
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