凍てついた世界

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凍てついた世界

 降り積もる雪に足をとられそうになる。  どんよりした分厚い雲が天を覆い、降り注ぐ小粒の雪は過去の記憶を塗り潰すように、僕の足跡をゆっくりと消していく。  寒いはずなのに、不思議と体はポカポカしている。  右前腕にくっついた剣のお陰かもしれない。  ここから熱が生まれ、全身に広がる感覚がするのだ。  目覚めた時からのパートナーだ。  握る部分には橙と青のラインがストライプ状に走っている。  続く鍔はワインレッド一色で、西洋の剣みたいに四角形だ。中心に目があり、今は閉じられている。奇遇なことに、右手の甲と目の位置が一致している。まるで手の甲に目がついたみたいで最初は戸惑ったけど、旅をする内に気にならなくなった。  剣身は普通の剣と大差ないが、指先と癒着しているので右手の指は使えない。不便な時も多々あるけれど、何度も助けられたので贅沢は禁物だ。  不満があるとしたら、剣先が欠けていることくらい。  今日が何曜日か数えるのはもうやめた。  先程まで休んでいたレストラン跡地の汚れたテーブルの上で、確か八月のカレンダーが泥と血に塗れていた気がする。  遠い昔、八月はとても暑くて『セミ』という生物の鳴き声が響いていたらしい。  ――ブシュウウウウゥゥゥッ!  今現在の八月は、暑いどころか雪が降っていて、セミの鳴き声の代わりに異形の鳴き声が響き渡っている。  高層ビルの残骸。打ち捨てられたフロアがむき出しで、残った柱が栄養失調の骨みたいに力なく佇んでいる。今や残った栄養を食い漁る異形の巣だ。  ――ブシュッ! ブシュウゥッ!  異形の一匹が、奇怪な鳴き声をあげながら羽を広げる。食事を逃したのか、まるでエサにありつこうとする肉食獣のような獰猛さを伴って地上めがけてグイグイ迫ってくる。  大きく腹が膨れた異形だ。  呼吸の度に醜い腹が動き、表面に走った血管がミミズのように這いずり回る。小さな口から数本の触手が見え隠れする。まるで蝶々が蜜を吸う時に伸ばすものに似ている。  大きな腹の割には小さな六本の腕が、バラバラに空中を掻くような仕草をする。 「食べ物がないの?」  異形は構わず僕に近づく。エサを前にして、立ち止まるものはいない。  触手の先からヌラリと光る液体が垂れ、雪をみるみる内に溶かしていく。 「お気の毒に」  エサは食われる運命かもしれないけど、黙って食われるエサはいない。  剣を躊躇なく構える。  その途端、危険を察したかのように、鍔の目がギロッと開かれる。  鍔の色に負けず劣らずの深紅に染まっていく。まるで充血したかのように。  振るう度にこいつは目を覚ますので、もう慣れてしまった。 「起こしてゴメンね」  目は何も言わず、ただ正面を見つめるのみだ。  異形の腹を易々と切り裂く。鮮血が舞い、周囲の真っ白なキャンバスが赤く染まる。  異形の口から生温かい液体が四散し、左手に付着する。ネバネバしている。糸を引き、すぐに冷気で固まる。少し引っ張ると簡単に千切れた。  大きな腹に走ったミミズのような血管から絶えず流れる赤い絵の具。  呼吸も段々と弱くなる。懇願するような視線を送る小さな目を見つめ返す。 右腕の剣がドクンと脈打つ。 「おやすみ」  辺り一面がさらに真っ赤に染まった。
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