第三章 デビュー戦

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 土曜日の武蔵浦和駅。  合流した二人は東口を出て歩き始める。戸田球場のようなバスには乗らず、徒歩10分で目的のロッテ浦和球場は見えてくる。  まきはいつもより大きめのカバンを背負いながら、足取り軽く歩いていく。  途中で見えてくるロッテの工場を見つけてから、まきは好きなお菓子の話をずっとしている。  まきといると話題に困らないので気楽に話しをできる。会話が得意ではない私にとっては助かる。 「ここが入り口。開門より少し前に着いたから並ぼうか」 「おぉ、野球見るために行列に並ぶんですね。なんだが私がコアなファンに思えてきました」  列に並んでいる間もまきのトークは途絶えない。  行列といえばこの前ケーキ食べるために30分並んだとか、前回の反省を踏まえてスニーカー履いてきましたとか、湯水のごとく話題が湧いてくる。ただ、そこがまきの尊敬できる部分であり、私にも欲しい能力である。  15分程すると開門して席が動きだした。自由席なので先頭集団は小走りでお目当ての席を確保しに行く。  ゆいなたちは列の後方からゆっくりと入って空いている席を探す。 「なんか席の数思ったより少ないですね」  まきはそういうと、ゆいなを追い抜き席の確保へ飛んで行った。   動きやすいスニーカーが役に立っている。 「ゆいなさーん。こことかどうでしょうー?」  まきが率先して取ってくれた席は、外野寄りの一番後ろの席だ。  ここロッテ浦和球場は収容人数約300人で、一塁側はその半分の150人。どこに座っても視界は変わらないが、私はあまりスコアを書いているところを人に見られたくないので一番後ろに座りたい。  前回の戸田で私が一番後ろに座っていたことを知っていての座席チョイスなのだろうか。まきは気配りできる系女子だったのか。  いつもと同じような席に座ったゆいなは水分補給と共に息を吐いた。  野球場の席に座ると落ち着くのはなぜだろう。  昔から嫌なことがあっても、野球場に来れば気持ちを切り替えることができた。悩み事ややりたくないことも野球場でなら乗り越えることができた。  そんなことを考えながら駅で買った軽食とお菓子を食べて試合の開始を待っていると、おもむろにまきがカバンを開け始めた。  ゆいながそれを横目で観察していると、よく見かけるような色合いの物を取り出した。 「あれ、スコアブック?」 「へへへ、私も買っちゃいましたー。なんかゆいなさんが持ってるスコアブックがかっこよく見えちゃって。それにこれ持って野球見てたら、玄人ぽいじゃないですかー」  確かに野球観戦初心者には見られないが、スコアを書いていると不思議な視線を向けられることもある。それがゆいなには不快に感じてしまうので、視線の注がれない一番後ろに座りたいのだが。 「じゃあ今日はスコア書きながら見るってこと?」 「そうです。……ということで、スコアラー師匠。弟子入りするのでスコアの書き方を教えてください!」  今日も完璧で美しいスコアは書けなさそうだ。教えながら書いていたら、自分のスコアが疎かになってしまう。  しかし、こういう野球観戦も実は意外と楽しいものだと、前回まきと野球場に行って感じることができた。それなら、今回も野球観戦というものに新たな1ページが刻み込まれるのかもしれないのかな。 「教えても良いけど私もスコア書くから、じっくり細かいところまでは教えてあげられないけど大丈夫?」 「全然大丈夫です。師匠にお近づきになれて光栄です」  だから師匠と呼ぶな、と心の中で思ったが、案外響きは悪くないかもしれない。  こう思ってしまっている時点でまきのペースに引き込まれているのだろう。  ただ今日はそのペースに引き込まれてみたい気分でもある。
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