第四章 乱打戦

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 ヒットを放った一塁ランナーに代走が送られる。 「この選手足早いから盗塁するかもね。点差離れてて走らないかもだけど」  ゆいなが選手情報を伝えるとまきが、待ってましたと言わんばかりにスマホを構える。 「走りますかー?」  まきはスコアを放り出してグラウンドを撮影し始めた。  不思議な行動を横目で見ていると、一塁ランナーは初球に盗塁を仕掛けた。  投手もクイックで投球しキャッチャーも思い切り球を放る。しかし間一髪ランナーの足が先にベースへ滑り込んだ。 ――セーフ!  審判のコールと共に後ろのポンセからもナイススチールと声がかかる。  盗塁の一部始終を撮影していたまきは、その映像を見ながら何か加工をしている。  その間に打者はフライを打ち上げスリーアウトとなった。記録上は自責点なしのため、とりあえずほっとしたところだろう。  イニング間にまきがゆいなにスマホを見せる。 「見てください!これが多機能ストップウォッチの実力ですよ!」  ゆいなの脳内へ急に仕事が単語が飛び込んでくる。多機能ストップウォッチはゆいなが夜な夜なバグを修正していたアプリの名前である。  少し嫌な仕事のことを思い出してしまったが、まきのスマホを覗き込んでみる。  画面には先程の盗塁シーンと共に数字が乗っている。まきが画面をタップすると一塁ランナーがスタートしたと同時に自動でストップウォッチが動き出し、二塁に到達した瞬間に止まった。 「盗塁タイムは3.42秒です!」  なるほど、その試験をしてみたいがために今日一日スマホを片手に野球を見ていたのか。なかなか測るタイミングがなくて今更になってしまったようだが。 「どうですか?こんな使い方が出来るんですよ、凄いですよね。これを今度の会社説明会でアピールしたいと思います。この映像も使って!」  この前、残業しているゆいなにまきが野球に誘いに来た時があった。同じくまきも残業していたようだったが、多機能ストップウォッチの使い方をどう伝えるかを考えていての残業だったのだろうか。  野球の映像で使い方を伝えられるかもしれない、そして野球も見に行けるとの思いで野球の誘いをしてきたのだろう。  しかし休日まで仕事のことを考えているとは、私にはそんなことはできない。そこまでの愛社精神がないというのもあるが、仕事はストレスを溜めることが多いので、休日にはあまり考えたくないというだけだが。 「ちなみにだけど、ピッチャーがボールを投げる動作を始めた瞬間から、キャッチャーミットに到達するまでのタイム出せる?クイックタイムと言って、これが1.3秒切るくらいだとクイックが早いと言うの」 「なるほど、そこも測ると良いのか、さすがプロ目線ですね」  まきはやたらと私のことをプロと呼んでくるが、私はただの野球ファンなのでアマチュアですと常々言っているのだが。 「1.48秒ですね。ちなみにキャッチャーが捕ってから二塁にボールが届くまでが1.91秒です」 「足して3.39秒ね。少し送球が高かったから、その分タッチに時間使ってしまって、盗塁成功したってところかな」 「さっすがゆいなさん。そこまでの分析能力があるんですね。プロフェッショナル~」  もうプロではないと否定するのは止めようかな。分析と言われても野球好きなら分かる範囲でもあるし。 「今のも含めて会社説明会で使わせてもらいますね!ついでにベイスターズの選手も今日覚えて面接でコミュニケーション取ろうかなー」 「だからまきちゃんは面接には同席しないんでしょ?」 「正解ですー。覚えてましたか」  普段なら誰かとの会話などすぐ忘れてしまうが、まきとの会話はよく覚えている。なぜだろう。 「その会社説明会の準備でまた残業しすぎなようにね」 「なんでもお見通しですね。私の傾向もスコアリングされているかもしれませんねー」 「そこまではしてないけど」 「またまたー。今度ゆいなさんの野球観戦傾向をデータにしますからねー」  どういうデータだ、と言おうとしたが、大きな快音と共に打球が外野フェンス目掛けて飛んで行った。レフトがクッションボールを処理し内野に中継する。バッターランナーは二塁へ滑り込んだが送球が早くアウトになった。  ナイスプレーの声と、残念がる声と共にまきが別の声を響かす。 「今中継に入ったのショートでしたか!?」 「そう、だから764 TOね」 「ですね!」  仕事もスコアも全力で取り組むのがまきの良いところだ。
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