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誰よりも1番に、優勝を願わなければいけないと分かっていた。でもどうしても無理だった。
「コメディーワングランプリ、今年の優勝者は富士山ドラゴンズ!!!」
部屋の片隅に置かれた小型テレビの中で、司会者が大声で叫ぶ。誰もが知る年末の有名お笑い番組の優勝者が、たった今発表されたのだ。
僕はテレビを消し、ラインの画面を開き、お気に入りの一番上に表示されている連絡先をスクロールし、ブロックし、そして消去した。そのままスマートフォンの電源を切り、側においてあったボストンバッグを引き寄せて持ち上げ、ゆっくりと立ち上がり、玄関まで歩く。もう二度と足を踏み入れることのないアパートの部屋を、瞳に焼き付けるように時間をかけて眺めていると、走馬灯のように思い出がよみがえってくる。壁に貼られた大きなポスターは、彼らの初単独ライブのものと、先日行われた東名阪ライブのもの。本棚には僕がプレゼントしたお笑いの本やDVD、そして彼らの宝物である、大量のネタ帳が数十冊積み上げられている。2人で暮らしていたころはとても狭かったワンルームは、僕の荷物を処分したらずいぶんと広く感じられた。迷いを断ち切るように、玄関の古びたドアを勢いよく開け、アパートを出た。
行先はもう10年近く帰っていない実家だ。もともと人手もなく困っているに違いないのだから、家業を手伝いたいと言えばNOとは言わないだろう。
高速バス乗り場に向かう途中、大阪駅のオーロラビジョンには2人の泣き笑いの顔が大きく映し出されている。信号待ちをしていた人々が「今年も決まったんやな」「2人とも結構イケメンやん!」と口々に感想を述べ始める。
一晩で、見ず知らずの沢山の他人に評価されるような場所に行ってしまったことを肌で感じた。きっと周囲の人間の態度もガラッと変わるだろう。昨日までの生活はすべて「不遇の時代」と言われ、遠い遠い思い出話になってしまう。別にいい、自分さえ覚えていれば、それで。
好意的な声のなかに、「ボケの奴、あんま面白くないよな」と馬鹿にしたような言葉が聞こえ、僕は目を伏せる。
「…あんたが思ってるより、悠太郎はずっと面白い」
否定をかき消すように呟いた小さな声は、冷たい夜風にまじって喧噪の中に消えた。
「…富士山ドラゴンズのお二人は結成5年と、歴代最短での優勝となりました。それでは古川さん、この喜びを誰に伝えたいですか」
「大樹です」
夢見心地のまま何も考えずに即答してしまい、隣の相方、長谷進に思い切り頭をはたかれて我に返る。
「本音で答えんなや!ここは親とかやろ普通」
「……あ、じゃあ親で」
「じゃあってなんやねん!親御さんに失礼やろが!」
「あ、あの大樹さんって誰ですか?」
司会者の質問に、相方が得意そうに答える。
「僕らの仲間です」
その声を聞きながら、俺は涙がこみあげてくるのを押さえられなかった。突然堰を切ったように泣き出した俺を相方がはたいてくるけれど、なにひとつ気の利いた答えを返せず、涙声で関係各位への感謝を述べていると、紙吹雪が俺たちに向けて降り注ぎ、番組が終わった。
いつのまにか記者会見の場に案内され、まばゆいほどのフラッシュを向けられ目がちかちかする。たくさんの人から色々な質問を投げかけられるうち、徐々に実感がわいてくる。
本当に優勝したんだ。夢にまで見た舞台で。
爪痕を残せるような返しはないかと脳ミソフル回転で考えながら、質問に答え続ける。会見はなかなか終わらなくて、俺は焦れていた。一刻も早く彼ー小田大樹に会いたい。この優勝は、俺と相方の2人でつかんだわけではない。きっとどこかで俺たちの舞台を見てくれている大樹と3人でつかんだ優勝なのだ。
彼とは、1か月前に起きたある一件以来、音信不通状態が続いている。ラインは既読無視、電話には全く出てくれない。ただ、今朝送った「頑張ってくる」というラインが既読になっていたことが、少しだけ俺を安心させてくれた。
俺には、この大舞台で絶対に優勝して、彼に伝えると決めていた言葉がある。衣装のズボンのポケットに入れたペアリングを、手のひらで包んでそっと握りしめる。
ずっと言いたかった言葉を、やっと伝えられる。そう思うと胸がじんわりと熱くなった。もうずいぶん長いこと待たせてしまって、ごめん。今から急いで行くからと、心の中で何度も話しかけながら、俺は記者の質問に笑顔で答え続けた。
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