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「…それでは、お二人の中で転機になった出来事などはありますか?」 若い女性記者に聞かれ、俺は思い出し笑いをしながら答えた。 「…3年前に2人で大喧嘩したことですね。あと、関西おもろい大賞で優勝したことです」 黙って聞いていた相方がすかさず突っ込みを入れてくる。 「おい、わざわざ大喧嘩のこと言わんでええやろ」 「だって、すごかったから、あれは。外されへんわ。それに、喧嘩したからあの優勝があるんやろ?」 「まあせやなあ。本気で殴り合いしましたんで。で、その後めっちゃ笑って仲直りしました」 「…あれは、ほんま恥ずかしい…」 ―結成2年目。がむしゃらにネタを作っては滑り倒していた1年目に比べ、徐々にネタが洗練されていき、周囲からの評価が高まってきているのを感じていた。劇場でも、俺たちの漫才目当てに来てくれるお客さんも少しずつではあるが増えた。しかし、ここ1番というときにチャンスをものにできない。劇場での評判は良くても、オーディションなどでは結果を残せず仕事には繋がらなかった。何が悪いのかもわからず、新作を作っては劇場で笑いをつかみ、自信を付けては、オーディションでまた自信を打ち砕かれるという、出口の見えない日々だった。そんな中、相方が東京の有名番組に呼ばれる機会に恵まれた。わずか5分ほどの短い出番だったが、彼の話が大物司会者に受け、彼一人の仕事は激増した。対して、俺には全く一人の仕事はなく、相方との差が浮き彫りになってゆく。相方は急に羽振りがよくなって、後輩と飲みに出かけては女遊びばかりしているようだった。さらには、劇場での出番終わりに先輩芸人が相方を引き抜いて2人でコンビを組まないかと誘っている現場を見てしまい、心がぐちゃぐちゃだった。 それと重なるように、あるお笑いライブで大樹が同期の漫才に大爆笑しているのを目撃してしまい、俺はとんでもなくイライラした。怒りで頭が沸騰しそうだった。俺たちを面白いと言っていたのと同じ熱量で、他の芸人にも面白いと言っていたのかもしれないと、疑心暗鬼になり、大樹からのラインにも返信しなくなった。俺は鬱々とした気持ちをかき消すように、ラーメン屋以外にも日雇いのアルバイトを詰め込んだ。コンビを組んで以来ずっと続けていたネタ合わせや笑いの研究も疎かになった。 案の定、久々に劇場で披露した新作ネタは推敲が足りず、大滑りに終わった。自分のボケが決まらなかったせいだったとわかっていたが、相方にキレられ苛立った俺は、コンビは解散だと心にもないことを言い、掴み合いの大げんかに発展した。長年コンビを組んできて、些細な喧嘩はあったが、ここまでの大げんかは初めてだった。芸人仲間が止めに入ってきたが、お互いの鼻血にまみれながら殴り合いを続けた。 「もうやめてください!」 すっかり聞き慣れたその声の主は、仁王立ちして俺たちを睨みつけていた。普段は決して楽屋まで入ってこない彼がそこにいること、そして初めて聞く彼の大声にびっくりして、俺たちはその場に固まった。 「大樹…」 「僕は2人のお笑いが大好きです。でも今日の2人は全然面白くなかったです。全然。ほんとに、全然。」 結成当初から応援してくれているファンの「面白くない」という言葉は、俺たちの心を打ちのめした。反論の言葉もなく、うつむいてしまう。もう彼が自分たちの舞台を見に来てくれることはないかもしれない。 「落ち込まないでください。今日の反省点をまとめたので、聞いてください。ここを直せばもっと良くなります。」 そう言うと、彼はカバンから一冊のノートを取り出し、今日の漫才で面白くなかったポイントについてとうとうと語り始めた。最初は呆気に取られていたが、どの指摘も的を射たものばかりなので、気づくと身を乗り出して聞いていた。相方も同じなのだろう、ついさきほどまでうなだれてうつむいていたのに、今は彼の言葉を前のめりで聞いている。 批評を終えると、彼は俺たちに向き直った。 「ね、2人ともこれからでしょう?喧嘩してる場合じゃないです」 大樹はそう言って、俺たちに1枚のチラシを突き出した。 「関西おもろい大賞って、これ…」 それは関西の漫才師ならば誰でも知っているコンテストだった。あまりにも大きいコンテストなので、これまではエントリーしたことがなかったのだ。 「こ…これに出場して、ふ、2人とも自分たちのお笑いに向き合ってほしいです。このままじゃだめです。2人の気持ちを合わせないと。」 さきほどまで冷静に自分たちの指摘をしていた人物とは思えないほど、大樹はその大きな瞳を赤くうるませて、小さく上ずった声で、震えながらも必死で俺たちに思いをぶつけてくる。それは、初めて彼と出会ったときと全く同じだった。 「…でもお前、この間他の奴の漫才で笑ってたやん。俺見たんやからな」 恨みを込めてそう言うと、彼はポカンとした顔で俺を見ていた。 「すげえイラついた。他の奴らの漫才で笑うなんて酷い。酷すぎる。」 沈黙ののち、静かに見守っていた仲間たちがゲラゲラ笑い始めた。やがて相方まで鼻血を流しながら笑い始めた。大樹は目を白黒させて戸惑っているようだ。 「なんで笑うんだよ!」 「だってお前、それ、嫉妬だろ?大樹には俺たち以外のことで笑ってほしくないって、どんだけ独占欲強いんだよ!ああマジ笑える…」 「…嫉妬?」 「モテない男の嫉妬はみっともねえぞ。しっかりしろよな」 同期に肩をたたかれ、俺は真っ赤になる。 「あ、あ、あの、大樹、そういう意味じゃないからな、断じて」 大樹は俺に負けないくらい真っ赤な顔で、こくこくうなずいている。 「う、うん。僕も、悠太郎くん以外のボケで笑わないように頑張るから」 「頑張りの方向性が間違ってるだろ!このバカップルめ」 相方は腹をよじって笑っていて、周囲もヒューヒュー言いながら笑い転げている。大樹と目が合うと、またぷいっ、と目をそらされる。最近は俺のことを見ては、いつもそうやって目をそらすのだ。でもそんな彼の横顔はいつも真っ赤で、本気で恥ずかしがっているのが、とてもかわいい。そんな俺たちを見て、また周囲がヒューヒュー言ってくる。俺は思わず頭を抱えた。 先に口火を切ったのは、相方の方だった。 「…悠太郎はほんまに阿呆や。そう簡単にコンビ解消なんてするわけないやろ」 「…お前こそ、東京の現場でチヤホヤされて調子乗ってたんちゃうん」 「ああ、まあな。でも今ので目ぇ覚めたわ。お前もそうやろ?」 「…あったり前やろ、何年お前と組んでると思てんねん」 固い握手を交わし、俺たちは気持ちを新たにもう一度笑いに向き合い始めると決めた。相方を引き抜こうとしていた先輩芸人はどうやら俺たちの喧嘩を見ていたらしく、後日俺たちのもとに直々に謝罪にきて、去り際にポツリと言った。 「あのファンの子、大事にせなあかんで。好きな芸人にあそこまで言ってくれるファンはなかなかおらん」
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