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仲直りしてからは、大樹の言う通りコンテストに出場することを決め、特訓の日々が始まった。特訓初日、俺たちは大樹を呼び出して、これからはネタの推敲に一緒に関わってもらえないかとお願いした。
先日の大喧嘩で彼が俺たちの漫才を分析した時、そのあまりの的確さに俺たちは舌を巻いたのだ。養成所時代にも、なかなかあそこまで冷静に漫才を分析してくれる講師はいなかった。
はじめ大樹はそんな大層なことはできないと謙遜していたが、さらに面白くなるには大樹の存在が必要なのだと頼み込むと、大樹は条件付きでOKを出してくれた。その条件に、俺たちは面食らった。
「コンビ名を変えてほしい?!」
「…はい。僕、この間本見て2人のコンビ名を占ってみたんですけど、全然画数が良くないみたいで。もっと縁起がよくて、インパクトのある名前に変えませんか?」
「そうだなあ…」
3年使用してきたコンビ名に愛着がないわけではないが、これまでのコンビ名は、居酒屋で酒を飲みながら決めた程度のもので、特に思い入れもなかった。
「変えてもいいけど、何か候補あるのか?」
相方が尋ねると、大樹は嬉しそうに持参したスケッチブックを見せてきた。
「富士山ドラゴンズ??」
「はい!どうですか?」
目を輝かせて大樹が尋ねてくる。
「…ええかも。ふじどら、って略せるしな」
そう俺が言うと、
「ああ。語感もいい」
相方も満足そうにうなずいている。
「じゃあ決まりですね!」
「あ、一応聞いておきたいんだけど、理由は?」
相方が訪ねると、彼は少し赤くなった。
「富士山のように日本一の高さを目指して、竜のようにいさましく駆け上がってほしい、という意味です」
「めっちゃいいやん!!」
「他にはなんか理由ないん?」
ずい、と詰め寄って尋ねると、彼は顔を赤らめて、小さな声で言った。
「僕がどこにいても、2人を見つけられるように。」
恥ずかしかったのか、彼は悠太郎と相方が何か言い出す前に、単独ライブ以来つけてきたという漫才の分析ノートをカバンから出して、さらに漫才を面白くするための改善点について熱く語り始めた。
それからは時間を見つけては3人で漫才のための会議を繰り返し、根本から漫才のスタイルを変えていった。熱がこもりすぎて、相方と俺の意見が対立しても、大樹はあくまで2人の中立の立場で話を聞き、妥協点を探してくれた。
最初は漫才のスタイルを大きく変えたことに対して批判も多く、「前の方がよかった」と言われてばかりだった。古参のファンが違う漫才師たちに流れていくのは辛かった。しかし、それでも新しいスタイルを貫いていると、だんだんお客さんの反応が変わり始めた。だんだんと手ごたえを感じ始め、一度は落選したが、二度目の挑戦では件のコンテストへの決勝進出を果たした。生きるのに最低限のお金を稼ぐためのアルバイト以外は、相方も俺もほとんど笑いに費すようになった。俺は少しでもお金の負担を減らすためだと言って、住んでいたアパートを解約し、半ば無理やり大樹の家に転がり込んだ。もちろん、半分は本当だけどもう半分は口実で、多忙な日々の中で少しでも大樹と一緒に過ごしたかったのだ。彼は呆れていたけれど、何も言わずに俺を部屋に迎え入れ、自分も仕事で忙しい中かいがいしく世話を焼いてくれた。
彼と過ごす中で、俺はファンとしてでも仲間としてでもなく、恋愛的な意味で大樹が好きなのだと自覚した。そして、おそらく大樹が俺のことを憎からず思ってくれていることもなんとなくではあるが、分かった。それでも、告白はできなかった。休日返上で俺たちの漫才に付き合ってくれている大樹には、まったく女の影はなかったけれど、自分はこれまで女性としか付き合ったことがなく、男性を好きになるのは初めてで、どう彼と付き合っていけばいいのかわからない。…それに、今は3人でお笑いだけに本気で向き合いたい、という気持ちが強かった。
それでも、たまに2人きりになると胸はドキドキしたし、今すぐにでも大樹を自分のものにしたいという気持ちでいっぱいになることもあった。その気持ちを抑え、すべてを笑いに捧げて挑んだ決勝では、会場の大爆笑をさらい、ついに念願の賞レース初優勝を果たした。楽屋に戻ると、大樹は泣きながら「よかった、ほんとによかった」と繰り返していた。3人で肩を組み、咆哮を上げた時、俺は世界で一番幸せだと思った。
事務所の関係者には、口々にこう言われた。
「関西を制したなら、次はコメディーワングランプリやな」
コメディーワングランプリ。それは、日本の誰もが知っている漫才日本一の大会だ。日本中の漫才師が、その大会での優勝を目指している。
「ほんまになれるんかな、俺らが、日本一なんて」
いつもは気が強く、自信満々な相方が、いつになく自信なさげにつぶやいた。
「いけます。絶対。僕が保証します」
そう言いきったのは大樹だった。
「二人は世界で一番おもしろい漫才師だから」
結成から4年が経過した春のことだった。
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