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「それでは最後の質問です。お二人が漫才をやるモチベーションになっていることは、何ですか」 「…笑ってほしいという一心です。自分の好きな人に」 本心で答えてしまい、俺は相方に思い切り足をふんづけられて我に返った。 「ああ、いや!恋人とかそういう意味ではないです。好きな人って、家族とか、これまで支えてくれたファンのみなさんとか、とにかく色々な人たちです。もちろん1人じゃないです」 そう言うと、相方がしらっとした表情で耳打ちするジェスチャーをした。 「…言い訳してんの見苦しいで」 「言い訳違うわ!そういうお前がはどないやねん」 笑いに変えてくれた相方に感謝しながら、俺は大樹のことをまた考えていた。 コメディーワングランプリ、通称コメワンに出場することを決めたはいいが、関西の大会で優勝したこともあり、メディアへの出演は一気に増え、CM出演や、東名阪での単独ツアーなど、それまでは考えられなかったような大きい仕事が舞い込むようになっていた。それでも俺たちは欠かさず笑いの研究を続け、新作ネタを発表し続けたが、大樹は会社での仕事が増え、3人で顔を合わせられる機会は減っていった。さらにライブの会場が全国へと広がるにつれ、大樹が俺たちのすべてのライブに参加するのは難しくなっていった。 「いやだな、どんどん遠くへ行っちゃうみたいで」 久しぶりの休日、部屋で2人きりの夕食を終えたとき、大樹が不意につぶやいた。 「そんなことないよ。俺は3人で漫才してると思ってるから」 そう言うと、彼はまたいつものように赤くなって、ぷいっ、と目をそらす。 「そんなこと言って、かわいいモデルさんとかに囲まれて仕事してたらすぐに僕のことなんか忘れるでしょ?」 「そんなことないって。今は仕事が恋人やし」 本当は、大樹が好きだから心配するなと笑いかけたい。でも、言えないのには理由があった。 俺はこっそり自分の中に誓いを立てていた。 もしコメディーワングランプリで優勝出来たら、大樹に自分の思いをちゃんと伝えよう。それまでは、笑いに全力投球する。 大樹は今も、不安そうな顔でこちらを見つめている。会えない時間が増えてから、大樹はこんな表情を見せてくることが多くなった。ずっとそんな目で見られていると、そこまで信頼してもらえていないのかと悲しくなる。そんな気持ちをかき消すように、俺は笑顔をつくって大樹の頭を撫でた。 「心配ないから、な?一緒やから」 大樹が何かを言いかけたが、タイミング悪く事務所の電話がかかってきて、俺は電話に出た。ごめん、とジェスチャーをすると彼は首を振った。電話が終わってから用件を聞いたけれど、彼はなんでもないよと控えめに笑うだけだった。 コメワンの予選が近づくにつれ、俺は相方の家に泊まり込んでネタの推敲に励んだ。最近仕事が忙しそうな大樹に遠慮してのことだったが、彼はずっと淋しそうな顔をしていた。しかし、それに構っている余裕はなく、ひたすら漫才のことを考え続けていた。口には出さなかったが、相方もきっと同じだったのだろう、ずっと続けていた女遊びをぱったりと止め、貪欲に笑いを求めるようになった。ひたすらお互いのボケとツッコミを磨く日々が続いた。 やっとの思いで予選を突破し、準決勝までたどり着いたころには、背負うものが増していた。切磋琢磨してきた同期芸人たちがどんどん脱落する中で、自分たちへの希望は高まっていく一方だった。疎遠だった知り合いや友人たちからも、俺たちのことをどこかで聞きつけたのか連絡が入り、激励の声が届いた。 もし次のネタで、全員の期待を裏切ってしまったら、どうしよう。そう思うと夜も眠れなかった。しかし、堂々とボケをかまし、人を笑わせるのが俺の仕事だ。情けない姿を舞台上でさらすわけにはいかない。 恐怖と闘いながら、俺はひたすら稽古を続けた。心の余裕は全くなかった。 そんな中、大樹との関係を揺るがすような事件が起きた。 仕事帰り、ストーカーにつきまとわれて困っているところを、張り込んでいた写真週刊誌に撮られてしまったのである。しかし、準決勝はあと1日に迫っていたし、漫才でマイナスイメージを払しょくしたいと考えていたので、とくに気にも留めなかった。 しかし、記事が出た翌朝、大樹は泣きはらした真っ赤な目で俺を責めたてた。 「これ、どういうこと?説明してよ」 いつもなら、ごめんねと言って素直に謝れるのに、俺は初めてのスキャンダルにイライラしていたし、漫才があと一歩仕上げられていないことで気がせっていた。 「ただのストーカーやけど?」 「ただの、ってなに?腕まで組んで、カップルみたいに仲良くしてる」 「それはあちらさんのカメラワークの良さやろ?ただでさえ仕事とネタ合わせで忙しいのに、付き合ってる暇なんてない」 そう吐き捨てると、大樹が自嘲気味に笑った。 「それ、ほんとなの?仕事で忙しいならこんな写真撮られる暇もないだろ?気が抜けてる証拠なんじゃない」 その瞬間、俺のなかで何かがはじけてしまい、思い切りテーブルをたたいて立ち上がった。 「寝る暇も惜しんで俺と相方は頑張ってんねん!お前にはわからんやろうけど」 そう言うと、彼は傷ついた顔をした。そして声を震わせて言った。 「…そうか、もう僕は必要ないんだね。2で頑張ってるんだもんね」 言葉のあやだったし、本心ではなかった。ずっと3人で頑張ってきたという思いは今も変わらない。それでも、さっき大樹に投げつけられた言葉が痛くて、俺はつまらない意地を張ってしまった。 「…今は笑いのことしか考えたないねん。もう行くわ」 数秒間の沈黙の後、大樹は顔を上げて、笑った。 「行ってらっしゃい。」 そう言う大樹の顔笑顔は明らかに不自然で、どこかバランスが崩れていた。笑顔の下の表情が全く読めない。 「…大樹?」 「早くいかないと現場に遅れるよ?」 大樹はもう元の優しい笑顔に戻っていたが、俺はなぜか不安になった。ただ、本当に時間がなかったので、俺は慌てて家を出て、相方と最後の打ち合わせをして準決勝に臨んだ。 結果は合格。俺たちはついに、夢舞台へのチケットをつかんだ。結果発表直後、意気揚々とラインで伝えたのに、数時間後に既読がついただけで彼から返信はなかった。 その後も何度もラインや電話を繰り返したけれど、大樹からの返答はなかった。彼に会えない日々が重なるごとに、俺はこの間の喧嘩を後悔した。何度もごめん、俺が悪かったとラインを送っても、返信がないのだと相方に愚痴ると、彼はいつになく真剣な顔で言った。 「お前さ、小学校で朝顔の観察やったか?」 「は?何の話…やったけど」 「ほんでちゃんと花咲いたか?」 「急になんやねん。えっと…」 俺は記憶をたどる。たしか… 「枯らしたやろお前。そんで嘘の観察日記出して先生に怒られたやろ」 「…」 「やっぱりなあ。お前はそういうやつや。釣った魚に餌やらんタイプ」 「はあ?」 「植物でも魚でも人間でもなんでも、ちゃんと愛情やって気にかけてやらな、すぐに枯れたり傷つくねん。ほんで、元に戻そうとしても戻らん。わかるか?」 「…」 「大樹はそういう悩みを人に話さへんタイプやから、お前がしっかり見といたらなあかんねん。しっかりせえや。…まあもう遅いかもしれんけどなー。あと1か月は東京やし、もしコメワン優勝できたらほんまに次いつ大阪帰れるか分からんで」 淡々とした相方の口調を聞きながら、俺はうなだれる。確かにその通りだった。一刻も早く家に帰りたいのに、これから決勝までの1か月は東京での仕事のため、事務所の用意したホテル住まいを強いられることになっている。次にいつ大阪に戻れるかもわからない。 俺はここのところずっと、大樹に必要以上に話しかけようともせずに、自分の笑いのことばかり考えていた。大樹が時折淋しそうな顔で自分のことを見ているのに気づいていたのに。こんなことになるのなら、優勝後なんて先延ばしせずに、すぐに好きだと伝えたらよかった。 大樹との関係をこじらせたまま日々は過ぎ、ついに今日の決勝を迎えた。
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