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 * * *  しかしロクは止まらない。ホークが乱入することもなければ、王太后はタイガのように子どもっぽく嫌な流れの会話を遮断したりしないからだ。 「王妃だって国王だって仕事は同じですよね。この国をより良い方向へ導くことでしょう。その信念に従って王太后陛下も行動したのではないのですか。私は影として、王子にできることを精一杯やったつもりです。充分ではなかったかもしれませんし、失敗もしています。でも自分の信念を曲げたことはしていません。もし王太后陛下がご自身の信念に違うことをしたのなら、私ではなくご自身が一番よくわかるはずです。王太后陛下ともあろうお方が、私などに裁きを任せるわけがありません。どうすべきかわからないのは、王太后陛下がその当時の状況ではご自身が取った行動が間違っていないと信じているからです。違うんですか?」  王太后はブルーグレイの瞳でじっとロクを見つめる。ロクは言い切ってから、冷静になりはじめ、背中にじっとりと汗をかき始める。相手は王太后だぞと理性がたしなめる。うるさいと感情が叫ぶ。 「申し訳ありません」  ロクは頭を下げた。キバが聞いていたら処刑ものだ。 「口が過ぎました」  ロクが言うと、王太后はかすかに笑った。 「あなたがタイガやエマに気に入られ、前国王が気にした理由がわかったような気がします」 「え?」ロクは当惑して王太后を見た。タイガはともかく、エマ王女や前国王に心当たりはない。前国王とは鍵のことが唯一の接点じゃないのか。あれが最初で最後の接点のはずだ。 「私は、あなたに許されたと思ってもいいのでしょうか」  王太后が言って、ロクは首をひねった。 「許すも何も…」  * * *  そこは許すと言っておけ。マサトは心の中で叫ぶ。この辺で話を打ち切れ。じゃないと私の忍耐がもたん。  * * * 「これは運命です。鹿野僧師が言ってました。運命というのは、自分の前にあるんじゃなくて後ろにある。物事が過ぎてから、ああ、これが運命だったのだなとわかるって。自分の前にあるのは選択です。みんな自分の尺度で選択していく。だからその尺度を広げ、磨きなさいと言われました。そして選んだ後は、選び方さえ間違っていなければ、どんな結果も間違いじゃなくて運命だって。それが必ず未来の選択に生きてくる。今回のこともそうです。俺も…」  ロクは視線を下げた。「私も多くのことを学びました。なんでこんなことになったんだろうって、どこで間違ったんだろうって何回も考えましたけど、考えても考えても、自分がその時に違う選択をするとは思えなかった。だから許すとかじゃなくて、これはただ過ぎた道なんです」  そう言いながら、ロクはその言葉を自分自身にも言い聞かせていた。ミスを犯したとしても、そのミスをした自分を許してやれと僧師は言った。起こった事実だけを取り出して認め、これは全て自分の身に起こった出来事だと自分を労ってやればいい。酷い経験だとしても、それは自分自身を作る血であり肉である。大切にしても構わない。これは未来につながる道だからと。 「ありがとう、ロク」王太后はそう言って、またさらに微笑んだ。「どうしてあなたが泣くのです?」  わかりませんとロクは顔を伏せながら言った。ただ涙が落ちた。 「辛かったのですね」  王太后が立ち上がり、彼女の細い指がロクの頭部を軽く抱きしめた。もう一方の手は首筋に当たり、その感触にロクは緊張する。 「あなたが私を責めないのであれば、私はあなたの尽力に最大限に報いなければ申し訳が立ちません。あなたはタイガにとって大切な存在です。あなたさえ良ければ、これからもあの子の近くにいてサポートしていただきたいのです。影としてではなく、友人やパートナーとしてです。もちろん、他にあなたが希望することがあれば応じましょう。報奨金を受け取り、城を出る自由もあります。そういう選択をされた場合でも変わらずタイガの友人であることは可能です」  ロクは王太后のほんのりとした甘い香りに戸惑いつつ、その言葉を受け取った。 「嬉しいんですが…考えさせてください」  王太后はゆっくりと手を離し、ロクを見た。 「もちろんです。ゆっくりお考えください。あなたの人生です」そう言ってから、王太后は少し考えて言い直した。「あなたの選択です。後に選んだ道が素晴らしい運命だったと思えるように、私はあなたのお手伝いをしたいと思います」  ロクは言葉に詰まってうなずいた。そして何とか声を捻り出す。 「ありがとうございます」  王太后は微笑んでロクを見た。 「あなたと話ができてとても有意義でした」 「わ、私こそ」ロクは慌てて言った。 「あなたをこの世に送り出してくださった、あなたのご両親に感謝します」  王太后が言って、ロクはまた言葉に詰まった。いや、あの…。脳みそが回転しすぎて思考が定まらない。その間に、王太后は部屋を出て行こうとしている。ロクはその横顔を見ながら、やっぱり何も言えずにいた。 「ではゆっくり治療に専念してください」  王太后はドアの前に立った。曇りガラス越しに見えたのだろう。護衛官が扉を開く。  ロクは言葉が出ずに頭を下げた。王太后が出て行ってしまって、ドアが閉まってから気づく。ありがとうございますと言えば良かったんだ。
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