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新しい国王が即位して三ヶ月が過ぎ、ロクの顔のガーゼも全て外れた。骨折の固定も外れ、リハビリテーションも始まった。治療の間は医務室の病室が一室、ロクに与えられ、ロクはそこで生活した。リハビリテーションが始まると、もう医務室にべったりでなくてもいいので部屋が移動になった。護衛官寮に戻されると思っていたロクは、そうでなはく主塔の中の一室に連れて行かれて驚いた。そこが国王付きの者たちの部屋であることはわかっていたが、自分がそこにいることには違和感があった。
案内してくれたホークが部屋の扉を首で示した。両脇の部屋の扉よりも小さめのドアがある。
「おめでとう、おまえも晴れてマサトから離れたな。この並びは国王陛下の重鎮たちの部屋だ。言うまでもないが、おまえは一番若造だから心して近所付き合いをすることだ」
ロクはそう言われて途端に不安になる。
「ホークはどこの部屋?」
ホークはニヤリと笑う。「俺は護衛官だからこことは別の廊下になる。文人と軍人は別にされてるんだよ、暮らしも喋る言葉も違うからな。おまえの隣はプロフェッサーの部屋だが、彼は研究室にこもりっきりでこの部屋に戻ることは滅多にない。ここはプロフェッサーの図書室だと思えばいい」
「こっちは?」ロクは反対側の部屋を指差す。
「おまえの尊敬する鹿野僧師だ。おまえが来るってことになったから、僧師が使ってた部屋を一つ空けたんだよ」
「え? じゃぁこの部屋は俺の部屋じゃなくて、僧師の部屋ってこと?」
「もともと、ここはそういう参謀たちの部屋でな。参謀には秘書やら小間使いが必須だろう。大きな部屋に小さい小間使い用の部屋がついてる。それで二つ一組みになってるんだよ。外から出入りもできるし、内側からもその気になれば移動できる。鹿野僧師はおまえが荷物持ちを希望したと言ってたぞ」
ロクは思い出してうなずいた。そんなことを言ったこともある。
「リハビリを進めながら、鹿野僧師の助手をして勉強しろというのが上からの指示だ。上ってのはキバ総括官だな。あとプロフェッサーも実験の手伝いが欲しいそうだ。実際、おまえは重鎮たちの雑用係ってことだな」
ホークはそう言ってロクの手首をドアの横のボックスに近づけさせた。ガチャリとオートロックが開く。
「IDブレスには登録されてある。鹿野僧師の部屋と、プロフェッサーの部屋のドアにもおまえのIDは登録してあるらしい。自由に出入りしていいそうだ。あと国王の私室に入退室できる許可も登録された。呼び出しはこれであるから、遅れることなく応答するように」
ホークはロクの手に携帯電話を渡した。
ロクはそれを受け取り、部屋に入った。ホークも台車で運んで来た荷物の箱を入れてくれる。
「その箱、何が入ってんの?」
ロクが聞くと、ホークは箱を下ろしてからロクを見た。
「新しい服とか靴とかだろうよ。あと日用品とか、おまえがマサトの部屋で使ってた食器とか」
ふうんとロクはうなずいて部屋を見た。狭くはないが、奥に向かって伸びる細長い部屋だった。一番奥が水場らしく、キッチンらしきものが見えた。その隣についているドアはトイレか何かにつながっているのだろう。
ロクは入口の鏡で自分の姿を見て、中に入った。まだ足は少し引きずり気味だが、松葉杖は使っていない。
入ってすぐの空間にはリビングルームが広がっている。部屋の端にパーティションがあり、そこから左は寝室になっている。ベッドがあるだけだが、カーテンで仕切られていて、クローゼットも小さいがついている。リビングにはテレビもあり、テレビの横にはパソコンもあった。そのパソコン机の横の壁に扉があり、これが僧師の部屋とつながっている内扉だと思われた。ロクがそっと開いてみると、そこにはまたもう一つドアがあった。しかもノブがないのでこちらからは開かない。
「二枚扉になってるんだ。双方の意志がないと二つの部屋はつながらない。覗かれなくて安心だろ?」
ホークが言って、ロクは別に気にならなかったが、うなずいた。
奥のダイニングキッチン部分と手前のリビングを仕切るように天井までの本棚がある。既に本が半分ほど入っていて、ロクはその背表紙を見つめた。そして唇を緩める。子どもの頃に鹿野僧師に朗読してもらった本や、僧師が読むといいと勧めてくれた本が並んでいる。ロクが昔夢中になったシリーズの児童書もあった。
「この本は僧師からのプレゼントだそうだ。プロフェッサーからも向こうにある」
ホークがキッチンを指差したので、ロクはそちらに向かった。新品だったり使い古しだったりのキッチンツールがそこにはあった。何に使うのかわからないものさえある。それと調理の本。
『料理は実験だ』というプロフェッサーの文字がマジックで書いてある。ロクは苦笑いした。
キッチンには窓があって、明るい日が差し込んでいた。流しの脇にはトイレとシャワールームがある。反対側にもドアがあり、そこを開くと中庭に出た。
「わぁ」ロクは空を見上げた。まだ完全な春ではないが、風はかなり暖かくなった。雪が大量に積もることもなくなり、木々もどことなく緑っぽく変わって来ている。
「護衛官寮が見える」
ロクはホークに言った。ホークも後ろから外に出てくる。
「そりゃ見えるだろう。何が嬉しい」ホークははしゃいでいるロクに首をかしげる。
「何がってこともないけど」ロクは口ごもった。「たまに行ってもいいんだろ?」
「遊びに行く暇があればな。重鎮どもの人使いは荒いぞ」
「大丈夫だ」ロクはニコリと笑って気持ち良さそうに伸びをする。
何だそれと思いながら、ホークも空を仰いだ。薄い水色が広がっている。高い雲の向こうに鳥が舞っている。
「マサトもホークの近くの部屋に移動になったんだろ?」
「んあ?」ホークは首をひねった。「そういう話も聞いたな」とぼけてみる。
「王太后の護衛官に戻れるって喜んでた。俺もいなくなったし自由だって。でも羽目を外すんじゃないかって心配なんだ。俺がいたときは、俺がいると思って泥酔してたから、今までと同じ調子で飲んでると、ホントにヤバいんだよ。ちゃんと見てやれよな」
「俺が?」ホークは目を丸くした。
「酔ってるあの人、けっこう脱いでるぞ。他の人に頼んでいいわけ?」
ロクは涼しい顔で言う。
「いや…」ホークは困惑した。どうして俺はこの若造に攻め込まれてるんだ?
「別に結婚とかそういうんじゃなくても、お互いが好きなんだったら一緒にいたらいいと思うんだよ。人間関係って何でも名前がついてるわけじゃないからさ。何て言うか…」ロクは少し考える。「人生という長い道を…歩いて行く傍らに…えっと…話し相手がいて困ることもないからさ」
ホークは笑った。「何だそれ。鹿野僧師の受け売りか?」
ロクは不満そうに顔をしかめる。
「なんでわかっちゃうんだよ」
ホークは苦笑いした。途中で記憶をたどるからだろうが。
「まぁな、そうだな。あいつならケンカ相手にも困らないしな」
「そうだよ」
「おまえも頑張れよ。リリちゃんは脈ありなんだろ?」
ホークはロクの顔が急に曇ったのを見た。あれと首をかしげる。噂ではロクが護衛官寮の食堂の看板娘を射落としたと評判だ。
「どうした、ケンカでもしてるのか?」
ロクは首を振る。
ホークはじっとロクの憂いのある横顔を見た。
「悩みがあるんなら、おじさんが聞いてやるけど?」
ホークが言うと、ロクは顔を上げて力なく苦笑いした。
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