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「リリのことは好きなんだと思う。思うけど、本当の俺と違う気もする。俺はだって、人を殺してんだよ。戦争とかじゃなく、自分のために。リリに全部言った方がいいのか、黙ってるままでいいのかもわからないし、この前、リリとキスをしたけど、怖くなったし。俺がリリのことを好きなのは、ずっと近くにいただけってことかもしれないし、マサトが大事って気持ちとどう違うのかもわからなくなってきて、リリは俺がすごく格好いいみたいに言うけど、それは違うとか思うと、わけがわかんなくなる」
ロクはホークが思ったよりも冷静に話をした。ただ現実と理想の自分との違いに戸惑っているように見えた。普通と違うのは、自分が誰をどのように好きになればいいのかわからないと思っていることだ。好きになるのなんて、ほとんど本能的なもので自分が考えて解決するものではない。
「俺はおかしいよな。ずっと前からわかってたんだ。女の子と話すのも怖いし、男と喋るのも怖い。誰かに捕まると、それが鬼ごっことかの遊びでもすんげぇ怖い。相手を殴り殺したくなる。殺さないけど。リリが平気なのは、男とか女とか意識するよりずっと前から知ってるからかもしれないし、慣れかもしれない。マサトも平気だけど、あれも男か女かわかんない感じがいいのかもしれない。マサトは怒るかもだけど」
「怒るだろうな」ホークは笑った。ロクも小さく笑う。
「ホークのことも最初は怖かった。ていうか全員怖かった。ヤリクのことがあってからは、特に誰とも会いたくなかった。ヤリクを殺した後は、世界が終わってしまった気がした。自分が何してるかわからなくて、もう一回誰かを殺したら、何かがわかるかとか狂ったことも思ってた。さすがに実際にはやらなかったけど、そういうことを考えてる自分がおかしいと思った」
ロクの話し方が、完全に独白状態になってきた。ホークはロクがそれでいいのなら聞いてやろうと思う。ロクの戸惑いの原因が、虐待と殺人体験にあることははっきりしている。リリに言いたいが、言えば彼女を同じように戸惑わせると理解しているから言えない。言わないと隠している気がする。そうなると相手を偽っている気がして、相手のことを自分が大切にしていないのではないかと思うのだ。自分が本当に相手を好きなのかと疑い始める。自分は他の誰かに今までのことを赤裸々には告白していない。つまりはそもそも、自分は誰のことも信用してないのかもしれないと思う。そういうスパイラルに陥って、ロクはさらに混乱する。自分は人を愛せるのか。愛される価値があるのか。そういう根本的な自信が失われている。
「十二、三のときは、本当にヤリクに言われたことと、殺してしまったことばっかりが頭にあって、全然違う勉強をしてるのにそれに結びつけてしまったり、ちょっと相手が力が強いことを自慢したら、それだけで本当に殺意を感じてた。何年かしてちょっとマシになったけど、その辺のものを殴ったらスッキリするのがわかって、暴れてた。マサトにもかなり殴られたし、ホークにも殴られたよな」
「殴ったな」ホークはうなずいた。キバに顔は殴るなと言われていたので、腹を殴ったり腕を捻ったりは普通にした。影同士でいるときにはロクは他の影候補と同じく大人しい子どもだった。しかし護衛官寮に戻ってくると荒れた。その原因がわからず、ホークもマサトも頭を悩ませた。学業成績も目立って上下するわけでもなく、一定に落ち着いているのに、破壊衝動は収まらなかった。オキツにも何度も懲罰房に入れられ、泣いて許しを乞うては翌日も同じ間違いをした。
「殴られると、ヤリクを思い出して寝られなかったりした。あ、でもそれはホークが殴ったからとかじゃなくて、俺が勝手に暴れてたから悪いんだ。たぶん俺より小さい子がいなかったから、物に当たっただけで、もし子どもがいたら俺は子どもを殴ってた。いなくて良かった。実際、王女が青い鳥を俺にくれたとき、最初は可愛がろうと思ったのに、懐かなかったしエサをやっても食わないから、腹が立って首を締めて殺してしまった。その時に俺はおかしいなってはっきりわかった。王女にもそのことを言ってないし、誰にも言ってない」
「言わなくていい」ホークはロクをじっと見た。ロクは中庭の端でじっと自分の手を見ている。そしてふと目を上げてホークを見た。
「鳥を殺したときに、死のうと思ったんだ。王女にもらった鳥を死なせたし、死罪だと思った。でも死罪にならなかった。それでどうしたらいいか、またわからなくなって、自分で死んだことにしようと思って、今までのことは全部忘れようと思った。それで生まれ変わろうと思って、何とか頑張ったつもりだったんだ。普通になろうと努力した。なれたかどうかわからないけど、とにかくたぶんホークは普通の男だと思ったから、真似をした。でも理解できないところがあると、やっぱり俺は変だから理解できないんだと思って悩んでキツかった。今から思えば、俺とホークは他人なんだから全部一緒の考えじゃなくていいと思える。でもそのときはそう思えなくて苦しかったんだ」
「十六ぐらいだったか?」ホークは思い出しながら聞いた。暴れていたロクが急に落ち着いたのを覚えている。確かに王女の鳥がどうのという話があったのはホークにも記憶がある。マサトがロクはペットに夢中だと聞いたこともある。鳥を死なせてしまって落ち込んでいることも聞いた。命の大切さに気づいてくれたのなら、それはそれでいいとホークは安堵したものだ。一番ロクの反抗が激しい時期に、影の選抜があり、ロクはもちろん落とされる候補のナンバーワンだった。それでも王子の前や授業では落ち付いて冷静な姿を見せていたので、評価は分かれた。おそらく主な教育係の間ではロクは平均点以下だったのではないかと思う。もしあの選抜方式が、三人の参謀の個別推薦でなかったら、ロクは絶対に城には残れなかった。
「それでもダマシダマシやってきて、今回、俺はまた人を殺してしまったわけで、それなのに何も罰を受けてないし、ほとんど誰にも言ってない。俺が本当はこんな奴って知らずにみんな付き合ってくれてるし、良くしてくれる。それに報いたい気持ちもあるし、いつか裏切るんじゃないかって怖い気持ちもある。人を殺したり傷つけたりするのが好きな人間かもしれない。リリのこともカッとなったら殴ったり殺したりするかもしれない。自分が何するかわからない」
「今でも他人が怖いのか? 例えば俺とこうして喋ってるときも?」
ロクはためらうようにホークを見た。
「広いとこだと逃げられると思うから平気。狭いとこで何人かに囲まれるとちょっとキツい。食堂とか風呂はいっぱい他人がいるからどうしても緊張する。リリと二人でいると、緊張してんのか怖いのかわからなくなる。でも一緒にいたくないわけじゃなくて、自分が何するかわからなくて怖い」
ホークはうなずいて、何と答えてやろうかと考えた。それは誰にでもあることだと言うのが正しいのか、おまえは特殊な経験をしたのだから仕方ないと言うべきなのか、それとも時間がたてば笑い話になると言ってやるべきなのか。どれも無責任な気がしてホークは黙り込む。
「おまえはリリにふさわしくないって言われると、ホントにそうかもなって思って、そんなことないって思う気持ちも確かにあるんだけど、そうやって言う人が俺の本性みたいなのを見抜いているんじゃないかとも思うし、やっぱりちゃんと裁かれなきゃいけないんじゃないのかな。護衛官寮を出て良かったのは、ずっと世話になってきた人たちに嘘をつかなくて良くなったことだな」
ロクはそう言ってからまた顔を曇らせた。
「ここのジイさんたちは俺のこと知ってるからまだいい。あとはリリとタイガに話をしたいと思ってるけど、何をどこまで言っていいのかわからない。嫌われたくもないしな。人殺しで気味が悪いとか思われんのも嫌だし、城を出されるのも死罪も嫌だ。わがままだよな、俺」
「それぐらいはワガママとは言わないだろ。普通だ、普通」
ホークは腕組みをして考えた。ロクが持ちかけてくる相談はいつもちょっと面倒だ。しかしホークはそれを嫌だと思っているわけではない。ロクが自分の中で悩み倒してから持って来るから面倒になっているだけで、根本的な問題に目を向ければそれほど複雑ではなくなることも多い。今回だってそうだ。十二の時に告白してくれていれば、十年もこじらせることはなかったのだ。とはいえ、ロクにそれを求めるのも酷だとわかっている。
ロクが十二の頃、自分はマサトの側にいるガキに何の興味もなかったからだ。ホークがロクに目を向けたのは、ロクが暴れはじめた後だ。まだホークも護衛官寮にいて、ロクを何度叱り飛ばしたかわからない。手のつけられないガキだと思ったが、マサトが子どもの世話に匙を投げたら自分の査定に響くと言うから根気よく付き合った。そうは言っていたが、おそらくマサトもロクと暮らして四、五年目だ。さすがにあの冷たい女も母性みたいなものを感じていたのだろう。やんちゃな奴ほどかわいいんだと漏らしたことがある。ホークはそれでロクと真剣に向き合うようになった。感情のコントロールは下手だったが、ロクは素直な面も持っていた。冷静になれば謝ってきたし、十代にありがちな正義感も見せた。根が曲がっている奴とは思えなかった。
「問題はおまえが受けた被害と、おまえが加えた加害を誰にどこまで公開するかってことだな? それを公開してしまえば、おまえはリリちゃんとうまくやれると思ってるんだな?」
ロクは首を振る。「それはずっとある悩みだけど、リリのことはまた別。俺はリリに慣れてるだけで、好きじゃないのかもしれない。他の人よりは居心地がいい。それが人を好きになるってことじゃないだろ?」
「でもおまえは毎日食堂でリリちゃんを口説いてたらしいじゃないか」
「挨拶はしてた。あと普通の話もしてみたいと思ってた。でもぐっと近くに来られると怖くなってきた。それって単に興味があっただけで好きじゃないんじゃないかと思ったりする。それだったらタイガと一緒に喋ったりサッカーしたり飲んだり食ったりしてる方が楽しい。俺は男を好きなのかなと思ったりもする。もう全然わかんねぇ」
「男友達と遊んでるのが楽しいのは、ごく普通のことだ。国王を友達って言うのがどうかって問題はあるにしてもな」
ホークは冗談めかして言った。ロクは笑いそうになったが、すぐにそれを引っ込める。
「例えば、リリちゃんが他の奴と仲良くしてたらおまえ、嫌じゃないのか?」
「ん…なんか嫌だな。ホークが『リリちゃん』て言うのも、なんかムカつく」
「何だそれ、おまえ、それ嫉妬って言うんだ。おまえ、怖いって言ってるが、リリちゃんと一緒にいると心臓がバクバクして怖い時のバクバクと脳みそが同じだと誤解してるとかじゃないだろうな」
「そんなのがわかってたら解決してる」
ロクがため息をつきながら言うので、ホークはロクを睨んだが、ロク本人が真面目な顔をしているのでからかうのをやめておく。わかっていたが、本当に悩んでいるようだ。
「例えばおまえが反対の立場だとして、リリちゃんがそういう話をしたらおまえどうするんだ?」
「男と女じゃ違う」
「女の方が弱くていいし、わがままも言えるって言ってんのか?」
「そんなこと言ってない」
「言ってるだろ」
「もういい」ロクは顔を伏せた。「全部忘れて」
ホークは逃げ出すロクの背中を見た。「おまえがリリちゃんの立場だったら、抱きしめてやるだろって言ってるんだよ」
ロクは聞こえているのか聞こえていないのか、さっさと建物の中に入ってしまう。
俺の顔は見たくないだろうなと思ってホークはロクを追わなかった。中庭を通り、別の出入り口から入る。やることはまだたくさんあるし、いつまでもロクに関わってやることも難しい。
ホークはチッと舌うちをした。
思春期の頃の悩みの方が簡単だった。でもあいつは、その思春期だって人よりも余分にモヤモヤしてたんだろうなとも思う。それでも大きくぶれそうになる自分を、強引にでも戻してきたんだから褒めてやんなきゃいけないのか。
ホークは歩くのをやめて立ち止まる。
おまえがそんだけ悩むってのが、リリのことを好きだって証拠じゃないか。バカかおまえは。ホークはロクの背中をぶん殴ってやりたくなる。
とはいえ、自分がうまくロクの悩みを解決してやれなかったという負い目もある。ロクが繰り返し言った『怖い』というのも何とかしてやりたいと思う。あの苦しそうな表情は本当なのだろうし、ヤリクに虐待された時のロクも、暴れていた頃のロクも助けてやれなかったという悔いはある。今回の襲撃の時も自分はいなかったとはいえ、もっと早く助けてやれれば、ロクが敵を殺す必要もなかった。それが結果的に今のロクの悩みにつながっていて、ロクは目の前にある幸せを受け取って良いのかどうかわからなくなっている。
今までロクが悩んで来なかったのは、おそらく克服しなければいけない問題が目の前にあるだけで、幸せを感じる余裕がなかったからだ。たぶん、あいつは今、今までになく幸せなのだ。影を解除されてやりたいようにやれと言われ、襲撃された傷を癒すためにみんなも優しくしてくれる。その上、憧れだった女の子が近づいて来てくれた。最高に幸せなのだが、ロクはそれに戸惑っている。今までにそんな経験がないから怖いのだ。
ホークはそこにロクはいないのに、いるかのように廊下の後ろを睨みつけた。
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