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マサトはホークに呼び出され、ロクの惨状を聞かされた。ホークはロクの不甲斐なさを思い切り愚痴ってから、スッキリした顔で出て行った。しょうがない二人だなとマサトは思う。
夕方、引っ越し祝いついでにロクの部屋を覗くと、ロクは段ボール箱を開いて散らかしている最中だった。手伝ってやろうかと言ったら、ロクはあからさまに嫌がる顔をした。失礼な奴だ。
マサトは持って来た酒を低いテーブルに置き、ソファに座った。そしてテレビをつけてバラエティ番組に笑い出す。ロクは何しに来たんだとボソッと言ったが、マサトは聞こえないふりをして一人で手酌で酒を飲んだ。
ロクは箱の中身を広げて戸惑っているようだった。
「マサト、これ何?」
ロクが言って、マサトはロクの作業を覗いた。ロクが手に持っているのはルービックキューブだった。
「何だそれ。誰からもらった?」
「わからない。この箱は護衛官寮からセンベツって言ってもらったんだ」
「餞別な。つまり、ゴミだな」
マサトは立ち上がって箱の横に行き、ロクが既に広げたものと、まだ箱の中に入っているモノを見た。雑多なガラクタが入っている。わけのわからないフィギュアやブリキの戦車、古びたウクレレ、水筒のようなものや、同じ柄のタオルが五枚ほど重なっているもの、それからどこで買ったのか怪しい菓子に、エロ本、なぜか女ものの下着が一組。マサトはそれを一つずつ眺めながら、誰が入れたか名前を上げていった。ロクはその名前を告げる度に顔をしかめたり笑ったりした。
「全部箱に戻して、ダストシュートに捨てて来い」
マサトが言うと、ロクは苦笑いをして首を振った。ほとんどは箱に戻すが、捨てずにそのまま置いておくことにする。面白そうなものは出しておく。
「そんなもん捨てておけばいいのに。ゴミだ、ゴミ」
「いいんだ。他に何も置くものもないから」
ロクはルービックキューブをクルクルと回しながら言った。カラフルできれいな箱だ。開き方がわからないのが難点だが。
「貸してみな」
マサトが言って、ロクは彼女にキューブを渡す。マサトはその六面体を回転させて眺めた後、いきなりガチャガチャと回転させはじめ、ロクが見とれている間に色が揃っていった。何かを入れる箱じゃなかったのかとロクは内心驚いた。
「ジャン」とマサトがキューブを見せた。
「すげぇ」ロクは子どものように拍手をした。マサトはカチャカチャとまた乱してからロクに放り投げた。
「おまえはきっと一ヶ月かかってもできない」
そう宣言されて、ロクはムッとする。「一ヶ月以内にできたら、なんかくれ」
「どうして。おまえが私に金を返せ。二分で攻略できるように教育してやる。女にモテるぞ」
ロクはマサトをじっと見た。「男にモテた?」
「男は無能な女の方が好きなんだ」
ロクは苦笑いする。「有能な女の人を好きな男だっているよ」
「なぐさめているつもりなら結構だ。私がそれを憂いているように見えるか?」
「いいえ」ロクは肩をすくめた。それにホークはきっと有能なマサトが好きだ。
マサトは少し辺りを見回し、ロクに灰皿はないのかと聞いた。あるわけがない。ロクはガラクタ箱の中から、欠けた皿を取り出した。古いネズミのキャラクターが書いてある。
マサトは煙草に火をつけ、気持ち良さそうに怪しい菓子に手を伸ばした。外国語で何か書いてあるが、ロクもマサトも読めなかった。それでもマサトは平気で食べる。胡麻の味がするとか言っている。
ロクも味見をしてみたが、粉っぽくてしょっぱい感じもして、二つ目が欲しいとは思わなかった。ロクはルービックキューブをこね回しながら、マサトが酒を飲んで煙草を吸うのを見るともなしに見ていた。相変わらずだなと思う。
「護衛官に戻ったんなら、節制しないと。王太后の前で煙草の匂いさせてちゃマズいんじゃないの?」
ロクが苦言を呈すと、マサトはプカリと煙を浮かべてロクを見た。
「減らしてるさ。自分の部屋では吸ってない」
「ここは喫煙室じゃないからな」
マサトはフフと笑う。「そんな頻繁には来ないよ、こんな辛気くさいところ。プロフェッサーと僧師に挟まれた部屋なんて最低だ」
「教授は滅多に戻ってこない。倉庫だって言ってた」
「そうか、隣は耳も目も悪いジイさんだし、おまえも女を引っ張り込み放題ってことだな。リリを部屋に誘ってやれ。ホークに聞いたぞ、リリを持て余してるって」
「持て余してるわけじゃない」ロクは顔をしかめた。「漏らすならちゃんと漏らしてほしいな」
「ホークはおまえを叱り飛ばすばっかりかもしれないが、本当は助けてやりたいと思ってるし、守ってやりたいとも思ってるんだよ。不器用な奴だから口はうまくないかもしれないが」
「わかってるよ」ロクはキューブに目を落とした。
「飲むか?」マサトは自分が飲んでいるコップをロクに見せた。「人生、酔わないとやってられんだろ」
「シラフでも大丈夫だ。ってかそんな理由で飲んでんの?」
「いや、うまいからだ、もちろん」
ロクはマサトの言葉に少し安心する。だったら良かった。
「万が一、リリがおまえを『人殺しっ』て罵倒したとしようよ」マサトは少し酔ってきたらしく、どことなく呂律がいい加減になっている。「リリがそういう阿呆な女だとおまえは思ってるんだろう。おまえが普通じゃないからおまえを振ると思っているんだろう? 仮にそうだとして、だ。おまえはそんな阿呆と付き合いたいのかという話だ」
「マサト、またリリを侮辱してる」
「仮の話だ。リリがそういう阿呆だと思ってるのはおまえで、おまえがリリを侮辱してるんだ」
「俺は」ロクは意気込んで咳き込みそうになった。「俺はリリが阿呆だとか言ってない」
「そうか? リリに自分のことを全てさらけ出したら嫌われると思って怖いんだろう? 好きな相手のことをさらけ出されて嫌いになるんなら、そもそも好きじゃなかったんだよ」
「それはすごく強引な正論だ。普通は殺人しましたって言われるとビビるだろ」
「快楽のために殺しました。あなたのことも殺したいって言われるとビビるな。後悔して思い出すと眠れないって言われたら、至って普通だなと思うよ」
ロクはため息をついた。「あんたも僧師も異端だから当てになんない」
「何だと? 私と変人のジジイを一緒にするな」
「目くそ鼻くそってヤーッやめ…」
マサトがロクに襲いかかって来て、ロクは床に倒された。アルコール臭のキツい息がかかり、マサトの長い髪が顔にかかった。ロクは両手を押さえられてマサトを睨んだ。マサトはニヤッと笑う。
「退いてくれ、酔っぱらい」ロクはマサトに言った。
「おまえはな、ウジウジと悩み過ぎなんだよ。おまえ、王太后に言っただろうが。おまえが何をやってきたとしても、それは運命なんだろ? おまえはその時には一番いいと思った答えを選んできたんだろ。そのことに自信を持て。十二のガキを虐待していた衛兵は処罰されるべきだ。しかも相手は影候補だ。国の宝だぞ。それを好きに扱われてキバも怒り心頭だったんだろう。おまえはキバの代わりに処罰してやった。仕方なくやった処罰だ。胸を張れ。それに誘拐なんかされりゃ、身を守るために過失殺人だってする。殺されたくないからだ。言っておくが、おまえがあの偽尉官にぶっ殺されてたら、私はそいつをぶっ殺したからな。おまえはキバや私を殺人犯にするのを阻止した立派な奴だ、わかったかバカ」
ロクは目の座ったマサトをじっと見た。「わかったから、退いて」
「ホントにわかってんのか?」マサトは疑いながらロクから退いた。ロクは起き上がり、髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回した。何なんだ、若い男を押し倒すオバサンって。ロクは心の中で悪態をつく。しかし口には出せない。もう一度押し倒されたくないし、次は拳で殴られるかもしれないからだ。
「万が一だ」マサトが言って、ロクは酔っぱらいのマサトをチラリと見た。「リリがおまえを振ったら、飲みに来い。いつでも付き合ってやるから」
バシンと背中を叩かれて、ロクは咳き込んだ。
「暑いな、この部屋は」マサトが言って上着を脱ぎ、ロクは慌てて上着を着せ直した。一枚脱いだらタンクトップってのは、いくらロクがマサトに欲情がなくても危険すぎる。
「ほら寝るんだったら自分の部屋で寝てくれよ。俺は片付けもあるし、明日の用意もあるから」
ロクはマサトを廊下に追い出し、文句を言う彼女を横目にホークに電話をした。
「マサトが来てたんだけど帰らせるから、途中で確保して」
ロクが言うと、ホークは「ああ」とだけ言って黙り込んだ。ロクも数時間前のしこりについては何も言わず、「じゃぁよろしく」と電話を切った。
マサトは酔ってないと怒りながら、比較的しっかりと廊下を歩いて行った。
ロクは部屋に戻り、ルービックキューブを眺めてカチャカチャと回してみた。確かに一人では時間がかかりそうだった。コツなんてものがあるのだろうか。プロフェッサーに聞いたら、計算式で教えてくれそうだ。
ロクはため息をついてキューブを適当に回転させた。ロクの悩みと同じく、どこかが合えばどこかが外れ、いつまでたってもピタリと全面がきれいに整理されることなんてなさそうだった。
運命か。ロクは自分の言葉に追いつめられて苦しくなる。これを運命だと思える日が来るんだろうか。ロクは今までの人生をこれで良かったと思ったことはないが、これでしょうがなかったとは思う。これで良かったと思える日が来るなら、それはそれで死ぬ前に迎えておきたいと思った。
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