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 * * * 「人を雇い、影を襲うよう命じました」  王太后が言って、ロクは閉じていた目を開いた。それからゆっくりと顔を上げ、王太后を見る。王太后の青みを帯びた瞳と目が合い、ロクはその目に吸い込まれるような錯覚に襲われた。唇が震えたが、言葉は出ない。あなたを襲わせたのは私です、どうして死ななかったの? 罰として、あなたは今晩処刑しますと意味なんじゃないかと考える。 「申し訳ないと思っています。私はあなたがタイガを裏切ると思いました」  ロクはゴクリと唾を飲み込んだ。王太后が何を言っているのかよくわからない。 「あなたが王と会ってから数日後、私は王があなたに王位継承に優位になるものを渡したと知りました。私は耳を疑いました。国王は病のために正気ではないのではないかとさえ思いました。正気であろうが、正気でなかろうが、私はあなたを排除しなければいけないと強く思ったのです。タイガが次期王になるのは当然のこと。それを阻むものは母として排除しなければいけなかったのです」  ロクは王太后の言葉を理解しようと努めた。それはそれほど難しいことではない。ただ、それを飲み込むのは難しいことだった。 「あなたを敵だと思いました。殺しても良いので王位継承に必要なものだけは取り戻すようにと、王家とも政治とも関係のない者を探して命じました。私の身分を隠し、金額を惜しみさえしなければ、たいていの要求は達成されます。タイガがあなたを慕っているのは知っていましたから、タイガを傷つけないよう、街の荒くれ者に殺された体を装えば良いと思ったのです。酷いと思うでしょうね。しかし王位という権力の大きさには、そういう力があるのです」  王太后は静かにロクを見た。ロクは真っ直ぐ彼女を見ているが、何も言わない。何も言えないのだろうということは彼女にも想像できる。 「最初の襲撃が失敗に終わって、私は胸を痛めました。あなたを逃がして、しかも王位継承に必要なものさえ手に入らなかったのです。しかし状況は私にとって良い方向に転がりました。内務大臣他、城の者があなたが王の証を盗んだと騒ぎはじめたからです。私は政治家に押されるという形で、仕方なく手配書にサインした形を取りましたが、本心では喜んでいました。これで公にあなたを捕らえられる、あるいは処刑できると思ったからです」  ロクの眉間にしわが寄り、これ以上は聞きたくないという顔になってくる。王太后はそれを見て理解しながらも、最後まで話すつもりだった。息子が慕い、息子を慕った影に対する敬意として。 「一方であなたを捜索する許可もタイガに要請されて内密に出しました。それでマサトが街に出たのです。そうでなくても、いずれマサトは単独行動を起こすと思っていました。であれば、私の目の届く範囲で動かした方が良いと思ったのです。あなたを捕らえるのは時間の問題と言えました。そうですね、二日もあれば充分だと思っていたのです。ですがあなたは意外と持ちこたえ、私も焦りが募りました。軍警察の情報を買うための資金提供もしました。マサトが上げてくる情報を、賞金稼ぎに流しもしました。あなたが死亡したというニュースを待っていました。しかし入ってきたのは、あなたが生きているという情報でした」  ロクは視線を下に落としていた。王太后を直視できないのもあったが、自分の気持ちを扱いかねてもいた。一方、王太后は冷静で、さきほどからほとんど声色も変わっていない。 「あなたが逃亡するたび、私は追っ手にプレッシャーをかけました。その結果、あなたに深い傷を与えてしまい、申し訳なく思っています。私が間違っていたとわかったのは、昨日のことです。私はそれまで、タイガやマサトがあなたを信じる根拠などただの感情だと思っていました。しかし実際にタイガがあなたに会い、あなたが王から受け取った鍵を渡したと知り、私は全てが大きな間違いだったと知ったのです。あなたが辛うじてこうして生きているからいいものの、大きな損失を出すところでした。ロク、あなたは本当にタイガを慕ってくれていたのですね」  ロクは顔を上げ、王太后のわずかに潤んだ目を見た。それでも大きく表情を崩すことはない。王太后はいつも微笑みを浮かべている印象があるだけに、何とも不思議な気持ちになった。 「私は」ロクは口を開く。が、声がかすれた。緊張と思いも掛けない話の内容に驚いて口が渇いていた。ロクは唾を飲み込み、改めて待ってくれている王太后を見た。 「私は、王子」  違う。もう即位したから国王だ。ロクは小さく首を振った。王太后を前に、ヘマばっかりしている。 「国王陛下に何度も救われました。前国王にも通じる底のない優しさに、私はいつも涙が出そうなぐらい救われていました。私には一生得られないものがあります。国王陛下を尊敬していますし、即位を心からお祝いしています」  ロクが言うと、ようやく王太后が微笑んだ。ロクも見覚えがあるいつもの微笑みだ。小さな花が中心から次々花開いて行くような静かな笑み。 「ありがとうございます。しかし私はあなたに対して、酷い間違いを犯しました。あなたの望む形で償いをしようと思います。本来ならば国王陛下に上申すべきですが、私はその権利は被害を受けたあなたにあると思います。私を罰するなり、追放するなり、あなたに決定していただきたいのです」  王太后が言って、ロクは困惑した。罰すると言われても、相手は王太后だ。 「このことは誰にも言わなくて結構です。私に処罰を伝えれば、あなたは何もする必要はありません。私が自分で執行いたします。国王陛下にも知られず行います」  ロクは首を振った。「いや、結構です。何もしなくていいです。誤解だったんだし、私も誤解されそうなことをしたんでしょうし」 「そういうわけにはいきません。あなたはこうして大きな怪我をして、城医が言うには精神的な影響もあるということです。単なる誤解で済まされることではないのです。私は当時、王の代理という大きな権力を持っていることを傘に、思い込みだけであなたを追いつめたのです。これは大きな間違いであり、権力を持ったことへの過信です。戒めを受けるのは当然です」  王太后の強い姿勢に、ロクも反論が思いつかずに困った。しかしここで押し負けるわけにもいかない。ロクは考えた。どうしたらいい? 何と言ったらいいんだろう。王太后の話がショックすぎて普通に考えられない。死を願われたと聞いて喜べるわけがない。しかし、結果的には今の王太后は自分の生還を喜んでくれている。それはわかる。だから罰するというのは違う気がした。では一体、何を言えばいいのか。どう思えばいいのか。 「あなたは私が憎くないのですか」  沈黙を破るためにか、王太后が尋ねた。  その質問はロクにとっても救いになった。自分がどう思っているのか、はっきりさせることができるからだ。ロクは息を吸い込み、それから頭がクリアになってくる気がして心が落ち着くのを感じた。 「はい、憎んでいません」  ロクはそう言ってから自分自身にうなずいた。そうだよな。嘘はついてないよな。無理はしてないよな。心の奥底を手探りで探ってみるが、ひっかかるものはなさそうだ。だから自信を持つ。 「私と王太后陛下は同じ気持ちだったと思うのです。こんな言い方、失礼かもしれないんですけど」ロクは途端に自信を失う。怒れられるんじゃないかと身を縮める。しかし王太后は激昂することなく、じっとロクの言葉を待っている。ロクは恐る恐る続ける。 「もちろん、王太后陛下に自分の死を願われたこと自体はショックですし、もしそれを逃げている最中に知っていたら、落ち込んで城にも戻らなかったと思います。でも知らなかったから戻れました。幸い、死ななかったわけですし、それに、私も王太后陛下も、タイ…まだ王子だった新国王陛下を何とか国王としたいという目的は同じだったのでしょう。それなら、私が憎む理由もありません」 「それは本当にあなたの本心でしょうか? あなたは私が今、王太后で、あなたが私よりも身分が低く権力もないことからそう言っているとは言えないでしょうか? 私がもし単にあなたの上司で、あなたが私を拒否できる立場でもそう言いますか?」  ロクは困惑し、眉を寄せた。 「では、王妃の役目と、影の役目は何だと言うんですか」  ロクは小さな苛立ちを口調に表した。  * * *  黙れロク。マサトはトイレの個室で暴れそうになった。おまえはまた一線を踏み越えようとしている。おまえの苛立ちは手に取るようにわかる。しかし落ち着け。後で私がその理不尽さを受け止めてやるから。
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