第三章 雨を乞う

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思いつめたような顔になった秋華に、冬梅は続けた。 「『次の巫女』が皇后を弑しても、お咎めをうけることはありません。これは、個人の問題ではないのです。輝加国にとって、皇帝と神族の交わりは決して絶たれてはならない不変の絆。私たちは、それをお守りするのが務めです。もしその時がきてしまったら、決して迷いますな」 「私は……」  不安げな様子で顔をあげた秋華に、冬梅は少しだけ、笑みをこぼした。 「その様子を見れば、あなたを璃鈴様のお供に選ばれた長老の判断は、おそらく間違ってはいないのでしょう」 「……私の、何を選ばれたのでしょう」 「そのように葛藤するところではないですか? 皇后は、良いご友人を持たれた」  それだけ言うと冬梅はまた無表情に戻って、口を閉ざしてしまった。秋華も自分の思いに沈んで、それ以上は何も言わなかった。   ☆  まだ日も差さない薄闇の中で、璃鈴は神楽に座っていた。朝凪に静まる大気の中で、じ、とその時を待っている。  その神楽は、広い池の真ん中に張り出す形で作られていた。四方を白い布で囲われた広めの床に、ふいに、光がさす。閉じた瞼にその光を感じて、璃鈴は目をあけるとゆっくりと顔をあげた。その姿が、みるみるうちに日の光に包まれていく。  璃鈴は立ち上がると、ゆらりと舞を始めた。手にした羽の扇子をひらりと仰ぎ、その動きにつれて巫女の衣装がたゆたう。緩急をつけてひらひらと舞うその様は、人の目に触れることはない。それは、空の龍神にのみ捧げられる舞なのだ。  雨ごいの舞は、日のある間は休むことなく続けられる過酷な舞だ。里ではみんなで舞っていたが、ここで舞うのは璃鈴一人だけだ。皇后の地位についた雨の巫女は、格段にその力が強くなるという。 「始まったようですね」  湖のこちら側で様子をうかがっていた秋華がつぶやくと、冬梅も厳しい目で舞台を見つめた。薄い幕の向こうに、ときおり影が動くのが見える。  龍宗も璃鈴の部屋の中からその影を見ていたが、女官が朝議の時間だと告げに来ると、静かにその場を後にした。   ☆  その夜、龍宗が璃鈴の部屋を訪ねると、秋華が困ったような顔をして待っていた。 「申し訳ありません。皇后様におかれましては、本日の雨ごいの舞でお疲れになったらしく……」  見れば、璃鈴は長椅子で横になったままぴくりとも動かない。 「先ほどからお起こししているのですが……」 「よい。眠らせておけ」  深く眠っている璃鈴は、吐息すら細い。その頬を、龍宗はそっとなでる。それでも璃鈴が起きないとわかると、ぷにぷにとその頬をつつき始めた。 「本当に起きないな」 「はい。よほどお疲れなのでしょう。あの、今夜はお部屋にお戻りになりますか?」  聞かれた龍宗は、璃鈴の細い体を長椅子から抱き上げる。 「いや。このまま共に眠る」 「かしこまりました。おやすみなさいませ」  秋華は礼をとると、明かりを消して静かに部屋から出ていった。  寝台に横たわって眠り続ける璃鈴を、薄闇の中で龍宗はしみじみと見つめる。 「……つまらぬ。俺こそが龍の化身だというのに、その俺が、お前の舞の側にいることができないのか」  誰にも聞かれることのないつぶやきは、闇に溶けて消えた。
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