第四章 二人の舞

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 今日もまたしとしとと雨が降っている。璃鈴が雨を降らせてから三日。降り続いた雨は、最初の勢いを弱めていた。  龍宗もいつも通りに書簡を繰っているが、飛燕はここ数日、彼が時々ぼんやりしていることに気づいていた。  今日もいつの間にか手が止まっていた龍宗に、飛燕は声をかける。 「心ここにあらずといった様子ですね」 「ん? 何か言ったか?」  人目のない時の飛燕は、龍宗に気安い。龍宗もまた、飛燕と二人だけの時は宮城にいてもくつろげる時間だ。 「陛下が心奪われているものはなにか、と思いまして」  ぼんやりとしたまま龍宗がぽつりとつぶやく 「女人の体とは、あれほどに美しいものだったのだな……」 「は?」  決裁書類をまとめていた飛燕は、手を止めて顔をあげた。 「陛下……?」 「……いや、なんでもない」  めずらしく気まずそうに、龍宗はあわてて決裁を再開した。その様子に、飛燕は、ふ、と顔を緩める。 「なるほど、のろけですか。まだ結婚して一ヶ月ですから仕方ないですが、あまり皇后様をお疲れさせますな」 「一ヶ月……もうそんなになるか」  自分も再び書類に目を落としながら飛燕は言った。 「もっと後宮へ通ってもよいのですよ。皇后様が淋しがっておられるのではないですか?」  龍宗の手がまた止まっているのを見て、飛燕はお茶を入れようと席を立った。 「飛燕」 「はい」 「お前は女を知っているか?」  思わぬことを聞かれて飛燕が振り向くと、存外真面目な顔で龍宗は窓の外を眺めていた。どうやら、ただからかわれているだけではないらしいとわかって、飛燕は苦笑する。 「いえ。これといって縁がなく」 「縁があっても、俺もまだ女を知らない」  それを聞いて、飛燕は思わず茶碗を落としそうになる。 「は? ……今、なんと?」 「何度も言わせるな」 「いや、あの……では、陛下は、まだ皇后様とは……?」  うなずいた龍宗に、飛燕は目つきを鋭くした。 「何故です? 龍の皇帝としての夫婦の役割を、あなたは誰よりもわかっているでしょう? それなら……」 「あれは、まだ俺におびえる」  わずかに苦悩をにじませた物言いに、飛燕は続けようとした言葉を飲み込む。 「無理やり抱いて、璃鈴の信頼を失いたくはない」 「龍宗様……」  わざわざ飛燕が言わなくても、本人はよくわかっているらしい。  それ以上苦言を続けようのなくなった飛燕は、とりあえずお茶の続きを入れることにする。部屋に、飛燕の扱う茶器の音だけが響いた。ぽつぽつと、独り言のように龍宗は続ける。 「皇帝としての務めを果たさなければならないのはわかっている。必要なら、璃鈴の心など関係なく抱けばいい。だが俺は、できればそんなことはしたくない」  飛燕はいれたばかりの茶を一口飲むと、龍宗の前にことりと置く。やわらかい湯気が二人の間に立ちのぼった。それを見つめる顔は、龍宗にはめずらしく途方に暮れたように見えた。 「どうしたら、あれの心を掴めるだろう」 「短気なあなたが、皇后様のことは待てるのですね」  言われて初めてそのことに気づいた龍宗が顔をあげる。飛燕はおだやかに笑んだ。 「龍宗様がそれほどに我慢をなされているのは、初めて見ます」 「俺がよほど短気のようではないか」 「その通りでございましょう。あなたは昔から気が短くて、特に政治に参加するようになってからは官吏と衝突するたびに私がどれだけ苦労をしたことか……」  わざとらしく肩をすくめた飛燕の言葉に、龍宗は手元のお茶を飲んでごまかす。 「それはともかく、璃鈴のことは、まだ急ぐときではない……はずだ」 「そうですね。あなたは短気で乱暴なところもありますが、国政においてそれほど間違ったことはしてはいないと私は思っております」 「俺は一応褒められたと思っていいのか?」 「あなたがそう思うのなら」 「だったら、もう少し素直に褒めたらどうだ」 「龍宗様の口から、素直に、なんて言葉、言われたくありません」  口の減らない飛燕に、龍宗は苦笑するしかない。だがすぐその顔は、厳しく結ばれた。 「もし俺がこの国を亡ぼすようなことになったら……その時は、お前が俺を切り捨てろ、飛燕。お前には、それを許す」  一瞬、目を見開いた飛燕は、小さく、御意、と答えて首を垂れた。
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