001.雨が足りないビニール傘のしたで

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 ふと、葵の台詞が蘇る。いいや、ふと、だなんておこがましい、自分でおもいだそうとしておもいだしているのだから。けれど、葵のことが過去に押しやられて記憶に埋もれていくほどに、頭のなかで何度も再生しているおもいでの声がほんとうに葵のものなのかわからなくなっていくような気がした。 「まどちゃんってさ」 「ん」  円佳は口に入れていたバナナケーキを飲みこむ。 「なに?」 「負けたなっておもったことある?」 「負けたって、なにに?」 「わかんないけど、なんかいろいろ」 「いろいろかあ」  負け、負けたこと、ねえ。円佳は独りごちると思考の奥深くに潜っていってしまったらしく黙りこんで、視線を宙に漂わせた。わたしもない頭で考えつつコーヒーフロートのアイスを掬おうと長いスプーンでつついたら、ふわんと沈んでほんのすこししか取れなかった。二十歳の葵が言ったことは自分が二十歳になればちゃんとわかるのではないかと期待していたけれどそうでもなくて、円佳みたいに考えごとをする集中力もないからもう窓外のほうに意識を奪われてしまっている。  塾から生徒たちがいっせいに出てきて、犇めいている自転車の群れから自身の自転車を器用に出してきて走り去っていく。家がある方角へ。あるいは、秘密の寄り道をしに。  そういえば葵と傘を買ったことがあって、それはあの場所にあったコンビニとおなじ系列店だったと、丁寧に憶えていたおもいでを反芻していた。   *  図書室の窓から眺めていただけだったから、そのころ葵のことは短髪で手足の長い人物というふうに遠目でもわかるシルエットとしてしか認識していなかった。建築模型にぺとりと立たされている白抜きの人間みたいに無個性で、けれど、バーを軽々と跳び越えていく様と、周囲の歓声からしてすごいことをやってのけているらしいのにこれといったリアクションをとらず淡々としているところを見て、それが葵なのだとやっと把握していたのだった。  なんでそんなに無反応なんですか、と葵に尋ねたことがある。すると葵は、よく言われる、と苦笑いをした。ともに過ごしていくうちにわかったのだけれど、葵は変に不器用なところがあって、大事なところで自分の感情を遠慮してしまったり、逆におかしなテンションになって変な行動をとってしまったりするらしい。  だから、あのときもナンパみたいな声のかけかたをしてきたのだろう。
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