ラストワンのプリンに運命はあるのか

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ラストワンのプリンに運命はあるのか

「茜主任、そのネクタイピン可愛いですね」  昼休憩も終わるという頃。女性社員の声が聞こえてきて、神崎はディスプレイとにらめっこしているのを止めて顔を上げた。神崎も朝から主任の茜の傍にいたはずなのに、ちっとも気づかなかった。同じ営業課、しかも席もすぐそば。  「どれどれ」と神崎も見に行く。言われてよく見てみれば、確かに先輩のタイピンには、寝そべっている猫がさりげなくついている。 「……妻からもらったんだ」  主任と同じ課のメンバーは、入籍した話を本人から既に聞かされている。送り主の顔が思い浮かんで、神崎はにやけそうになった口許を慌てて隠した。  変だろうか、とタイピンに触れている主任を見ながら、女性社員たちがニヤニヤ笑いを隠そうとしているが、神崎にもその気持ちがよく分かる。口数が多い方ではなく、常に冷静な『茜主任』に猫のタイピン……ギャップと言えば良いのか。怖さが半減というか、『茜主任』の新たな一面を発見というべきか。 「俺、今まで気づかなかったくらいだから違和感ないですよ。でも律さんならではって感じのチョイスですね」 「そうだな」  彼の妻の名前が出たところで、主任が笑った。  そういえば彼の息子の誕生日に、三人で動物園に行くって話をしていたっけ。ちなみにこの情報は、同僚である主任の前原が根掘り葉掘り、嫌がっている主任から聞き出していた。  浮きたつ女性社員たちが「お幸せに~」と声をかけているのを見ながら、神崎もうんうんと頷く。つい、自分が仕事をしていると土日の感覚も忘れてしまって、助けて欲しい時に主任の携帯電話を鳴らす癖は、何とかやめよう。そう決意した神崎だったが、その誓いは――あっさりと、破ることになってしまった。 *** 「ずびばぜん、あがねしゅにぃいいいん」 「土日をあてにする癖、いい加減直した方がいいと思うぞ」  月曜日までに作成しなければならない、顧客向けのプレゼン資料。  家でモバイル端末を使いながら仕上げてしまえばいいだろうくらいに軽く考えていた神崎は、データを取り忘れていることに気づいて真っ青になりながら休日出勤した。しかし、焦ってしまっていつもなら何とかできていることができない。挙句の果てに、自分の端末にパスワードロックをかけてしまった。情報システム室に連絡をしないと、どうしようもならない状況に陥ったのだが、情報システム室のメンバーが、わざわざ神崎一人のために休日出勤してくれるわけがない。  先週から一緒に組むことになった前原をあてにしようとしたが、指は勝手に茜の連絡先を押していた。数コール呼び出し音が鳴って、『もしもし……』と低い声が応じた。そうしてすぐに駆け付けてくれた主任の手で、何とか無事必要なデータを取り出してもらい、今に至る。  主任は手早くデータをまとめて、後は神崎自身が考えるべきところの手前まで淡々と資料の作成も手伝ってくれた。それから、「この後は一人で頑張ります!」と謝った神崎に対して、眉根を寄せた。 「手伝うのが嫌なわけじゃないが、家に持ち帰る仕事だって仕事だ。神崎の休暇を削るのは、おかしいだろう? 平日に終わらないのなら、神崎がこなせない程に、仕事量が多いということだと思う。前原も面倒見は良い方だが、何も言わなかったら問題ないのかと俺でも考える」  神崎は身を粉にして働くのが美徳、という父親のもとで育ったので、主任に言われたことにはピンとこない。  ピンとは来ないけれど、感情の起伏が少ない話し方の中に、自分を心配してくれているのだろうニュアンスを感じられた気がして、じんとなった。 「俺、もっと前原主任に早めに相談するように気を付けます! ……あ、もうお昼ですね。俺っ、俺にお昼ご飯奢らせてください!!」  はい! と子どもみたいに挙手をしながら、食い気味に茜に迫った神崎だったが、主任は若干身体を離しながら、やはり眉根を寄せたままだ。 「それは今度の平日にしてもらう。……近くで家族を待たせているんだ。後は問題ないのか?」 「ひゃい……」  勢い良すぎて、舌を噛んだ。  それよりも、主任が口にした家族、という言葉にうっかり首を傾げそうになってから、彼の家族の顔が思い浮かぶ。またニヤニヤと変な顔になりそうなのを必死にごまかしながら、主任にもう一度お礼を告げると、今度こそ主任は踵を返してオフィスから出ていった。 (格好いいなあ)  嫌味一つなく、でも的確かつ迅速な仕事ぶり。茜が営業から外れてしまったのを嘆く顧客は多かったけれど、こういう仕事ぶりを見ていたら、自分だって担当になってもらいたいと思う。 「よし、俺も泣きごとばっかり言わないでだな!」  無理しすぎない程度に、がんばろ。ちょっと自分でも狡いかな、と思う気合の入れ方をしているうちに、腹が鳴った。駅前にでも行けば何かにはありつけるだろう。駅前には最近できたばかりの複合タイプの商業施設もある。フードコートなら持ち帰りもできるはずだ。  腹ごしらえをしよう、と朝よりもずっと軽い足取りで駅ビルへと向かった神崎は、偶然にも主任一家が目の前を通っていくのに遭遇してしまった。 「お……あああ……!」  主任と、その配偶者になった律という、顔立ちの綺麗なオメガ性の青年と。彼らの間に挟まれて、茜の子である柊太がニッコニコで二人と手を繋いでいる。土曜の昼下がり、行き交う人は多いが通路が広く取られているので、彼らの他にも家族連れはあちこちで見られるのだが。 (なんか、お腹いっぱい……)  小さな彼らの子が話しかけると律が答えて、それに茜が笑って同意するといった感じだろうか。とにかく、会社では見たことがないくらい明るく笑う『茜主任』を見て、神崎は空気を読んだ。こんなところで声をかけたら、もったいない。幸い、あちらも神崎には気づいていない。  彼らは笑いあいながら、やがてレストラン街の方へと流れて行った。 「……俺は、夢でも見ていたんだろうか……」  まだ少しぼうっとしたまま、神崎も人々の流れに乗って、駅弁や総菜、スイーツなどを中心に売っている地下街へと向かう。 (そういえば、茜主任に律さんとの馴れ初めを聞いたら……プリンがどうのって、言っていたなあ)  プリンを買えば、あんな素敵な人に出会えるのだろうか。  とりあえず、先ほど見た光景は自分の中にしまっておこう、と決めたところで、『大人気窯焼きプリン!』という文字が目に入った。残り一つ、これなら買える。 「あっ、すみませえん!」  ラストワンのプリンに手を伸ばしたら、神崎の死角から驚くほどがっちりとした腕が伸びてきた。相手はすぐに腕をひっこめたけれど、その腕の筋肉のすごさに驚いて相手を見て、神崎は更に驚いた。――確か、紫色の瞳はオメガ性の特徴。顔立ちも、オメガ性は美形が多いと言われるラインにちゃんと入っている――けれど、体つきは――どこの特殊部隊だろうかと思う程の、素晴らしい仕上げっぷりだ。 「あなたの方が早かったみたい。どうぞどうぞ」  明るく笑ったオメガのマッチョさんはそう言って、颯爽と立ち去っていく。あまりの衝撃に目を奪われ、ようやくワゴンに視線を戻すと――すでに、プリンは完売していたのだった。
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