ラストワンのゼリーは嵐を呼んだ

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ラストワンのゼリーは嵐を呼んだ

「……天気予報、すごい」  今日は夕方から、雷雨になるでしょう。急に黒い雲が立ち込めてきたな、とは分かっていたけれど。何度か来ていた防災アラームを無視していたら、駅の入口に足を踏み入れた途端、外はバケツをひっくり返したような雨になった。 (姉ちゃんもさあ、痩せたいだのなんだの言っておいて。自分で買いに行けばいいのに……)  神崎が勤める会社の最寄り駅。その駅の地下街は、有名な菓子店やら総菜店やらが並んでいるのもあって人気だ。土曜の夕方だというのに、観光客らしき人たちからご近所組らしき人たちでごった返している。神崎の姉は実家住まい。姉も行こうと思えば行ける距離なのに、こうやって独身の弟を未だにこき使うのである。  それでも、大人しくこき使われているのは、仕事がないと手持無沙汰になってしまうからだ。姉の命令とは言え仕事があると楽になれる。これといった趣味もない神崎は姉から受けたミッションのために、地下街の一番奥にあるという有名パティシエの名前を冠した店へと足を伸ばした――そして。 「あの……落としましたよ」  後ろから男に声をかけられ、振り向いた神崎は目を丸くした。綺麗な顔の男。目は紫――オメガ性だ。だが、鍛え上げた筋肉が――筋肉! 「あああああ! あなたはっ!! プリン! おれの、プリンですよ?!」  他人を指さしてはいけません、と頭の中で小学校時代の先生が注意してきたが、無視をする。驚いた顔をして神崎を見てきたのは、ついこの間、窯焼きプリンの最後を譲ろうとしてくれた特殊部隊風味のマッチョオメガさんだったのだ。  この間は今から夜のお仕事に出勤します! といわんばかりの、フリっとしたオネエ系の格好をしていたのに、今日はジャケットに中はTシャツといった落ち着いた格好をしている。髪も自然に整えていて、自分よりも体格のいい綺麗な男にうっかり惚れそうになってしまった。 「プリン? ああ、もしかしなくても、この間の」  やっと相手が思い出してくれた。頑張ってブンブンと首を振ると、綺麗な男が微笑む。男が拾ってくれたハンカチを受け取りながら、騒いだせいでびっしりとかいた汗を拭った。 「この間、なんですけど……」  先日のお礼を言おうともたつく。そんな神崎を見ながら相手は笑うと、「ここのお星さまのゼリーも大人気です。最後の一個ですけど、大丈夫ですか?」と尋ねてきた。 「あああっ! それっ、姉に頼まれていて!!」  頭の中で、今度は主任の茜が眉根を寄せて「ちょっとは落ち着け」と苦言を呈してくる中、慌てて探しにいく。しかし、客が多くてどこに何があるか分からない。不意に、手を掴まれた。 「こっち」  笑うマッチョオメガさんに手を繋いで頂き、誘導されて神崎は無事お星さまのゼリーをゲットできた。ソーダのイメージなのか、綺麗な薄青にあえて気泡を入れたゼリーに、星の形に切られた大小さまざまなフルーツが盛りつけられている。器も、盛りつけが綺麗に見える円柱タイプの透明なグラス。姉には売り切れたことにして、食べてしまいたいくらいには、美味しそうに見える。  マッチョオメガさんは、神崎が無事購入するところまで見届けてくれた。それにしても、ほとんど知らない他人なのに、触れ合ってもまったく嫌な感じがしなかった。こういうのが運命っていうのかな、と神崎はほんわかと考える。――ベータの自分にそんなものがないのは分かっているけれど、姉と一緒で神崎も映画やドラマのノリが大好きなのだ。 「突然手を掴んじゃって、ごめんなさい。それじゃ」  あの時――プリンを譲ろうとしてくれた時と同じく、マッチョオメガさんが爽やかに立ち去ろうとする。気づけば、「待って!」と彼の手を掴んでいた。 「お礼、ちゃんとできていないし、外は雨がすごいので……ちょっとだけ、お茶でも……!」 「あれ、そんなに雨が?」  そうなんですよ、と手を掴んだまま神崎は身を乗り出した。マッチョオメガさんはまた目を丸くしたものの、「じゃあ、ご一緒してもいいですか?」と微笑んだ。 *** 「神崎さんっていうんですね。おれは安曇原です。下の名前がね、キララっていうんですよ。カタカナで。面白いでしょ」 「……キララ? 可愛い名前っすね! 俺は俊太朗っていうんですけど、もー間違えられまくりで。しゅんたとか、漢字間違いとか。姉が漢字間違えた時は、さすがに悲しかったなあ」  なるほど、とマッチョオメガさん――キララが頷く。それから、ちらりと神崎を見てきた。 「おれの名前。変わった名前だとか、言わないんですね」 「今っていろんな名前があるし、後輩にもめずらしい名前の子とかいるからなあ。俺の名前は間違えられやすいし、それで気まずくなったりもするから、一発ドカンって感じでうらやましいかも。あ、でも俺がキララだったらダメっすね。キララさんだからいいんだな」  うんうんと頷きながら神崎はアイスコーヒーに口を付ける。話そうとする度に汗が噴き出しそうになる中、氷の冷たさは唯一の味方だ。そのくらい、いつになく神崎は緊張していた。神崎が相手――キララを見返すと、男は照れたように笑った。 「そんな風に言われたの、初めてです。神崎さんっていい人だなあ」 「ええ?! 俺、褒められることなんて滅多にないから……会社ではいっつも誰かに迷惑かけてばかりで」  そうかなあ、とキララが紫色の瞳を瞬かせた。紫や青紫といった色はオメガ性の特徴だけれど、人によって色味が全然違うのだな、と相手の目を見ながら思う。光の入り具合で青も少し混じっているのが見えて、とても綺麗だ。 「えーっと、あ! 俺、ここの近くで働いているんです」 「近く? おれもですよ。この間は、出勤途中で……まあ、こんな見た目だから外で勤められるところは、限られているんで。女装した方がウケが良いんですけど、キャラまで変わっちゃいそうで自分でも怖いんですよね」  確かに先日はもっとテンションが高そうだったし、なんならちょっとオネエが入っていた。神崎は先日のことを思い出しながら頷く。それから、大事なことをまだ報告していないことを思い出した。 「そうだ、そうそう! この間のプリン、せっかく譲ってもらったのにごめんなさい! 結局、ちゃんと買うことができなくて……」 「そっかあ。でも……神崎さん、本当は甘いものはそんなに好きじゃないんでしょう? ブラックコーヒー飲んでいるし」  笑いながらキララに指摘されて、神崎は頭を軽くかいた。甘いものが嫌いなわけでもないが、確かに大好きなわけでもない。これを言おうか少し悩んで、神崎は「実は……」と口を開いた。 「俺の先輩に、オメガ性の人と結婚した方がいて、すっごく幸せそうなんですよね。色々はあったみたいなんですけど。で、その運命のお相手と一番最初に出会ったきっかけがプリンだって言うから、俺もプリンでも買ったら素敵な人に出会えるんじゃないかなって思って」 「そうしたら、おれに出会っちゃった、とか?」  笑いを堪えているキララに、神崎は「そうなんですよね」と真面目な顔で頷いた。 「さっき、確信しました。こんなに人がいるのに、声をかけてくれたのがキララさんって、こんな偶然あるのかなって。ベータの俺が運命なんて言っているの聞いたら、笑われそうで……笑っちゃいますよね」  笑いかけていたキララが、きょとんとした顔になった。秀麗な顔をしているからこそ、人間みがあるその表情が可愛いと、神崎は思う。これは予感だし、もっと相手のことを知りたいと思う。気づいた時には、ガシッとキララの手を掴んでいた。 「というわけでっ、その、お友達から始めまっ……しぇんかあああ」  格好良く言い切るつもりだったのに、舌を噛んでしまった。項垂れながら「すびばぜん」とキララの手を離そうとして――その手を強く引かれ、神崎は顔を上げた。 「こちらこそ、よろしくね」  いつの日かと同じように明るく笑うマッチョのオメガに、神崎は情けない顔で照れ笑いを返すのだった。
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