お腹がすいたらパスタでもいかがでしょうか

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お腹がすいたらパスタでもいかがでしょうか

「ロスコン、か」 「……ほんっと申し訳なく……」  俺には謝らなくていい、と返す穏やかな茜の声に、ようやく神崎は頭を上げた。神崎は大型の案件を任されて張り切っていた。都合がつけばユーザー先に出向いたし、こまめに業者とも連絡を取っていたし、原価低減も頑張ったつもり……だった。  営業として最大限の努力はしたつもりだったが、予想外の不具合などもあって人件費が嵩み、プロジェクトは当初の黒字予想から赤字予想へと変わってしまった。しかも、それを指摘したのは主任の茜からだった。目の前に無我夢中で、全体的な数字をコントロールできなくなっていたのだ。 「誤発注があったわけでもないし、あの不具合さえなければ本当に黒字予定だったんだ。ちゃんと案件の中で処理しているし、これは会社の問題。神崎がそこまで責任感じる必要はない。どうすれば不具合を防げたのかは、関係者で話し合う必要はあると思うが」 「……茜主任」  いつも淡々としていて、時には冷静な指摘が怖い時もある茜の言葉が、優しく心に染み入ってくる。今までだって失敗はいくらでもあったけれど、上司たちが自分の代わりに責められる姿を見るのは堪えた。茜も課長も、神崎を責めるようなことを言わないのも辛い。先程帰宅した課長も、神崎に缶コーヒーを渡しながら「こんなのいっくらでもやっちまうのが大型案件の醍醐味なんだよなあ」と言って茜に苦笑いされていた。 「ほら、今日はもう帰ろう。明日から休みだし、土日ゆっくり休んで落ち着くのも大事だと思う。今焦って動いても、何にもならない」 「……ご迷惑おかけしました」  課長にも散々言った言葉。どんよりとしたまま神崎は茜から大分遅れてオフィスを出る。雨が降る気配がする――その予感は、駅に着く直前で見事に当たった。 *** 「とことんついていない……」  もう駅舎は見えていたのに、一気に降り出した雨でびっしょりと濡れた。それでも頑張ってホームに向かったものの、神崎同様に雨に降られた人たちがざわめきながら時刻表を見上げている。 「ええええええ!?」  大幅遅延、の文字。雨はついさっきのことだと思っていたのに、と神崎は項垂れた。こうなったらバスか。しかし、同じようにバス停に向かう列が既にできつつある。いっそ歩こうか、と駅から出ようとした神崎の背に、誰かが「神崎さん?」と声をかけてきた。 「ああ、やっぱり。人違いじゃなくて良かった」  振り返った先には――特殊部隊風味の笑顔なマッチョさんがいた。今日は出勤じゃないのだろう、男前な服装だ。 「キララさん……」 「最近あまり連絡なかったから、忙しいのかなとは思っていたけど……顔がゾンビ化していますよ?」  ゾンビ。確かに今の神崎は生ける屍状態かもしれない。そういえば、昼から何も食べていなかったかもしれない。そんな気持ちにもなれなかったからだが、それを自覚したら急に膝から下に力が入らなくなり、神崎は近くにあったベンチにふにゃふにゃと座り込んだ。 「……お腹すいた」  自分でも呆れるくらい、子どもみたいだなと思った。神崎が借りているアパートの近くには、コンビニなんて便利なものはない。駅の構内にある弁当屋でとんかつ弁当でも買って帰ろうか。そんなことをぼんやりと考えていたら、急に腕をぐいっと持ち上げられた。いともたやすく、体が立ち上がる。 「迷惑じゃなければ、おれの家、近くなので……ぜひ!」 「あ、あの……はい」  キララの勢いにおされ、目を丸くしたまま神崎が頷くと、キララがほっとしたように笑った。 *** 「キララさんの部屋……すごい片付いている」 「あはは、そんな感動した風に言われると恥ずかしいです。あまり物がないだけなので」  照れながら笑うキララが可愛いな、と思った瞬間。ぐううーーー! と激しく、神崎の腹が『空腹である』とシュプレヒコールを上げた。「すぐ準備するので、良かったらシャワー使いますか?」と声をかけられ、神崎は盛大に慌てた。 「いやっ、そんな……俺、そこまで図々しいつもりは……!」 「でも、お仕事で何かあったんでしょう。風邪引いたら余計に自分を責めて無理をしませんか?」  ぐう、とまた鳴った腹を押さえつつ、神崎は痛いところを突かれてがくりと項垂れた。特殊部隊風味マッチョなキララが狭いキッチンを器用に動き始める。 「服、おれので良ければお貸ししますから。洗面所、そっちです。タオルとかも適当に使ってくださいね」  ありがとう、とぼそぼそと返しながら、結局キララの好意に甘えることにした。シャワーのお湯に打たれて、ようやく自分の体が冷えていたことに気づく。自分の体をタオルでふく頃には、ついつい鼻歌を歌っていた。用意されてある服を広げたらふわっと広がったシルエットに、思わず目が飛び出しそうになったけれど。 「ごめんなさい、そういう服しか準備がなくて」 「……いえ、人生初めての体験デス」  ふわふわとした素材の、ワンピース。かろうじて上はバスタオルを肩から羽織っているので良いが、いっそ裸でも良いのではと思うくらいの妙な開放感。確かこの前は普通に男ものの服を着ていたはずなのだが、今の神崎にはそのことに突っ込む気力がない。  とりあえず足首近くまである長い裾ものなので、着物を着ているようなものだ、と無理やり自分を納得させる。キララに言われるがまま座ると、湯気を立てた出来立てのパスタが目の前に運ばれてきた。 「えらそうなこと言っておいて、簡単なものでごめんなさい」 「えっ、手作りが出てくるとは思わなくて……! うわ、お手間をおかけして申し訳なく……!!」  苦笑するキララをよそに、神崎は「いただきます!」と勢いよく食べ始めた。上等な舌を持っているわけではないが、とても美味しいと思う。がつがつと食べているうちに段々と心も落ち着いてきて、ふと、ニコニコとしながらこちらを見ているキララに気づき、神崎は自分が一気に恥ずかしくなったが、勢いは止まらない。勢いが良すぎて喉に詰まりそうになる絶妙な頃合いに水の入ったグラスを渡され、それも一気に飲み干してから神崎はキララに頭を下げた。 「……あの、本当に何から何まで……ありがとうございます」 「いえいえ、こちらこそ適当で申しわけない。……神崎さん、その格好似合ってますね」  ええ?! と神崎が素っ頓狂な声を出すと、今度こそキララが声を出して笑った。そうやって笑うと意外というか、やはりというべきか、男前に見える。 「なんか、キララさんと話していたら、気が少し楽になりました。……俺、いっつも失敗ばかりって話したと思うんですけど、初めて任せてもらえた大きな案件でコントロールちゃんとできなくなっちゃって。来週は少しでも挽回できたらいいけど……」 「ああ、それでいつになくしょんぼりしていたんですね? おれで良かったら話聞きますよ」  すかさず、つまみとビールが用意される。「いろいろすみません……」と遠慮しがちにつまみに手を出し、「おいしい!」と神崎は目を輝かせた。 「キララさん、さっきのパスタも美味しかったけどこのおつまみも絶品です!」 「喜んでもらえて良かった。店で厨房担当しているのもあるけど、作るのは好きなんです。美味しいって間近で言ってもらえるのは嬉しいな」  キララの綺麗な顔が微笑む。贅沢な気持ちになりながらビールを呷ると、程よい酩酊感を覚える。神崎は酒を飲むのは好きだが、強いわけではない。キララも一緒に飲み始めて間もなく、神崎は顔を赤くしながらニコニコと笑っていた。 「俺の失敗なんて聞いても楽しくないですからね~~ダメサラリーマンで、すみまっせん!」 「お、イイ感じで酔っぱらってきましたね。ほらほら、グチを吐いて楽になっちゃいなさい」  うとうとしかけたところで、キララの指が神崎の髪に触れてくる気配がした。オメガ性はみな、女性的な雰囲気なのかなと思い込んでいたのを覆す格好良さに、酔っ払い神崎は笑った。 「俺ぇ、キララちゃんとは……たのしいはなし、したいれす」 「神崎さん?」  さん付けだなんて他人行儀だなあ、と他人であるキララに神崎は絡んだ。出張した時の面白鉄板ネタを話したり、キララが勤める店に来た珍客な話を聞いたり。  そうして朝。神崎は見覚えのないベッドで、目が覚めた。  ほとんど上半身がはだけた状態で女性もののワンピースを着ている自分。一瞬現実がどこにあるのか見失いかけた神崎は、隣に眠る裸体マッチョを見て愕然とした。 「きききっ、キララさんッ!! お、おれっ……!!」 「ああ、おはようございます。すみません、他に寝かせるところもなくって」  ふわ、と大きなあくびをしたキララに神崎はなお慌てていた。いくら相手が特殊部隊風味といえど、オメガ性だ。いつも整えているキララの髪が跳ねているのも新鮮だな、と現実逃避しかけるのを何とか堪えて、神崎はベッドの上で正座した。 「……俺、キララさんになんぞ失礼なことなど、しませんでしたでしょうか……」 「失礼なことって……なにも? おれが役得でしたけどね、それより、『さん付け』は他人行儀、なんでしょう?」  良かった、酒の勢いでキララを襲ったりはしなかった模様だ。悪戯気に笑いかけてきたキララに、神崎はワンピースを脱ごうかもがきながら首を傾げた。そういえば、そんな会話をしたのはぼんやりと覚えている。 「ええと、じゃあ……キララちゃんとお呼びしても……」 「もちろん、どうぞ。脱ぐの、手伝いましょうか」  社会人になってからこんな風に親しくなれる人が現れるとは思っていなかった。朝食までごちそうになり、すっかり乾いたスーツを着て二人でキララのマンションを後にする。 「本当、何から何までありがとうございました。この御恩は必ず……!」 「じゃあ、今度一緒に飲みに行きませんか。酔っ払い神崎くん、面白いからまた見たい。酔っぱらったら責任持っておれがお世話しますから、ね?」  おもしろい? ……まさか秘技・たこ踊りでも披露してしまったのだろうか。それを尋ねるのは怖くて、笑ったまま神崎は「行きましょう!」と営業のノリで返した。  他愛ない話を二人でしながら駅に着いたところで、「神崎……?」と声をかけられた。あれ、これって昨日もだったなと思いながら神崎は振り返る。 「お、やっぱり神崎だ。……ってお前、朝帰りか?」 「ああっ、前原主任?! 前原主任こそ昨日と同じカッコ……」  後退る神崎の前には、昨日顔を青くした神崎を早々において帰っていった前原がいた。「まあね」とニヤリとしながら、前原がこちらを見てくる。その視線は紛れもなく、キララに向けられている。前原は、アルファ性だ――はっとなった神崎は、大慌てで自分より背が高いキララを背後で庇うようにして立った。神崎はその様子を見て、笑いかけた口許を押さえたが、そのままヒラヒラと手を振って神崎たちは別の方向へと立ち去って行った。 「……あの人、神崎くんの会社の人?」  前原がだいぶ離れてから、いつになく低い声でキララに問われて、神崎は頷き返した。 「同じ課なんです。うちの会社、アルファ性の人が多くて……俺は主任たちの背中も、見えるかどうか、なレベルなんですけど」 「おれには、神崎くんも素敵なものをたくさん持っているなって見えるよ。そっか、同僚さんだったか」  キララにいつになく真面目な顔でそう話しかけられ、神崎は目を丸くした。 「俺、家族にもそんな風に言われたことないなあ」 「みんな、神崎くんに対して厳しいよね。……厳しいというか、かわいがり?」  かわいがり。それはあまり嬉しくないワードであるが、基本的な考えが体育会系の神崎は「自分が未熟だからなので、精進します!」と意気込む。次に会う予定などを話しているうちに、改札口の近くまで来ると、お互いに足を止めた。神崎が定期券のアプリを起動させるのを見守りながら、キララが口を開く。 「……さっき、もしかして同僚さんからおれを守ろうとしてくれた?」 「ひえ? あ、前原主任のこと? もちろんですよ! 人たらしっていうか、なんかこう、手が早そうだから、あの人」  オメガ専門のクラブなどにも出入りしていそうだし、仕事ではすごいと思うことは多いけれど、一緒に飲みに行っても前原のプライベートはまったく見えない。そうなれば、ついオメガ性のキララを守ろうと思うのは当然と思えた。たとえ、彼が自分よりも上背も体格も良くても、だ。 「……神崎くんが心配だなあ」 「? キララちゃん、何か言った?」  目当てのアプリがようやく起動し、神崎は顔を上げる。綺麗な顔の男は「何も」と言って、紫色の瞳を和ませながら、柔らかな微笑を神崎に返した。
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