タルトはひとつの終わりを告げる

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タルトはひとつの終わりを告げる

「いやーっ、無事終わりましたね」 「まあ、神崎にしてはよくやったな。お疲れ」  めずらしく前原に褒められて、神崎は得意げな顔になった。地方まで出張することはまだほとんど経験がなかったけれど、何とか担当者とも連携が取れて案件が動きそうというところまでは持って行くことができた。確かな触感に気分も高揚する。  予約を取った新幹線までは時間がある。折角だから夕飯でも、と神崎が聞く前に、「さっさと帰ろう」と前原から提案があった。 「車内で駅弁もいいですね!」  さすが前原主任、と笑顔で答えたものの、前原が変な顔をした。そこで、ようやくキング・オブ・鈍感な神崎も気づいた。前原は、誰か――そりゃもう、大切な誰かと夕食の約束をしているのだろう。なんといったって、今日はクリスマスイブだ。主任の前原は顧客の繋がりがあるから別として、神崎まで今回の出張に行くことになったのも、家族持ちが多い課内で一応空気を読んだからだ。  そうか、前原主任もか。好感度が高く、顧客から絶大な信頼を得ているのに、彼のプライベートはまったくもって謎だ。同じ主任の茜の方が、口数は少ないけれど家庭事情は分かりやすいくらいである。 (まあ、別に俺は立ち食いソバとかでもいいし……)  さすがに空腹の相手の隣で駅弁を食べられるほど、神崎も無神経ではない。予定よりも早い新幹線に乗れることになり、改札口に向かうために更に進むと、お土産がたくさん売られている一画へと差し掛かった。 (うっわ、甘い匂いがする)  地場の銘品を取り扱うところからも、チェーン展開しているケーキ屋、パン屋といったところにいたるまで。普段ならお土産を買う余裕もないくらいドタバタとしていた記憶しかなかった。同僚たちへの土産は前原に任せると、神崎はクリスマスケーキが売り出されている店へと顔を出した。 「キララちゃんが喜びそう……」  出張に出るのは少し前に決まっていたけれど、友人であるキララにはその話をしていない。最初の頃は威圧感のある筋肉質な男なのに、女装をする不思議な人だとは思っていたけれど、存外友人として付き合ってみるとキララとの会話は楽しい。相手がオメガ性だから、毎日会っていたらヒートの際など困ることもあるかもしれない、と一応遠慮はしている。しかし、友人としてなのだが大切に扱ってくれるのが存外心地よくて――今までになかった関係に、神崎は勝手に期待している自分に気づいて苦笑した。 (キララちゃん、オメガ性だとか関係なく男前で格好いいからなあ……俺が願ったところで、いつまでも独り占めできるわけじゃないし……)  それでも、甘いものが好きな彼のためにうんと悩んで、結局店員おすすめのタルトを二つばかり買った。 *** 「神崎くん! お帰りなさい」  今日は女装ではなく、普段のキララが現れた。ダメもとで連絡をしてみたら、運よくキララは家にいるというので、迷惑かなと思いつつ前原と駅で別れたあと、急いで駅近くにあるキララの部屋に寄ったところだ。キララの職業柄、夜は仕事でいないことが多いので、神崎は会えたことに思わず笑顔になった。やはり、なんだかほっとする感じがする。 「寒かったよね、鼻が赤くなってる。マフラーとかはしないんだ?」 「あー、うん。俺ってほら、よく慌てちゃうから……なくすと大変だし」  なるほど、とキララもそこは否定しない。さて、このままタルトを食べようと意気揚々とキララの部屋の玄関で靴を脱ぎかけた神崎だったが、不意にキララが手を指し伸ばしてきた。その大きな手のひらは神崎の頬に触れてくる。「うわ、やっぱり冷たい」と漏らしてから、ぎゅうと抱きしめられた。 「早く上がって。今日はもう、このまま泊っていったら?」 「大丈夫、明日も会社だからさ。それよりお土産……」  突然抱きしめられたことに驚きはしたものの、キララはスキンシップが多そうだし、と神崎は照れ笑いした。キララが離れると、むしろ寒い気すらする。タルトが入った箱を手渡すとキララが笑ったので、キララはタルトも好きなのかな、と神崎はニコニコする。 「ところで神崎くん。出張って、他の人と一緒だったの? ――アルファの気配がする」 「ああ、前にキララちゃんも会ったことある、前原さんと出張は一緒だったよ。オメガの人も、アルファ性の人の匂いみたいなの、分かるの?」  ほらほら、と促されてコートを脱ぎ、しっかり暖房が効いたリビングへと通される。冷え切った身体に沁みる、温かなココアを手渡された後の問いに、神崎は首を傾げた。 「……オメガには分からないよ、そんなもの」 「そうだよねえ。キララちゃん、時々アルファ性の人みたいに見える。ベータだとかそういう以前に出来損ないの俺からしたら、すごく格好いいっていうか……うわー、寒かったせいか頭が回らない……」  ふ、と微笑んだキララがソファに座っていた神崎の隣に来た。 「そんなことより、神崎くんはまっすぐおれのところに来て良かったの? 出張帰りに、そんなに鼻真っ赤にして」  テーブルにはわざわざ小皿に乗せられたタルトが二人分、並ぶ。マグカップを両手で持ちながら、神崎は笑った。 「キララちゃんには迷惑かなあって思ったんだけど。会いたくて。甘いもの買って行ったら、喜んでくれるかなあ、とかさ」  特殊部隊風味とつい思ってしまうくらい、キララは立派な体格をしている。それなのに、オメガ性を現す綺麗な紫色の瞳がパチパチと瞬いて、格好いいのに可愛いと感じてしまう。 「……神崎くんって、同僚さんたちにもそんな感じ、なの?」 「なにが?」  それより食べない? と促すと、キララも頷いた。 「本当は毎日でも会いたいなって思うくらい、なんかキララちゃんといるの、居心地良いんだよな~。でもほら、ひ……ヒート、とかあったら……迷惑かなあって」  タルトの生地部分が見えないくらい、山盛りになった苺にフォークをさすと、キララが神崎の肩あたりにもたれかかってきたので、神崎は苺を落としかけた。もしかして、実はすでに具合悪かった、とか――そんな心配をしているうちに、キララが深呼吸をする。それから顔を持ち上げると、「ごめん」と一言、謝った。 「なにが――」  やっぱり、迷惑だったのかな。身体の中を、一気に冷たいものが駆けめぐる。苺がささったフォークを握りしめたまま固まっていた神崎の腕を、キララが掴んだ。 「……ずっと、神崎くんにわざと誤解させていたんだ……。偽オメガ――アルファなのに、瞳の色がオメガ性と同じ紫色になる人間がごくまれにいる。……おれが、そのうちの一人で」  苺は落ちて行ったけれど、もはや驚き過ぎて神崎はそれを拾いに行くことすらできない。 「瞳の色がこうだから、ずっとオメガ性だって勘違いされてきた。そして、もうそれが当たり前になってしまって、訂正するのにも疲れて――オメガ性だと名乗って、ここまで来たんだ。でも、神崎くんにわざと誤解させているのは、フェアじゃないと思うようになって……本当のおれを、知ってほしかった。――ごめん」  あれ、夢なのかな、と神崎は回らない頭で考えた。夢にしては、冷えた神崎の腕を掴むキララの手のひらは熱いし、なんなら神崎の顔も熱い。 「……でも、俺は別に、キララちゃんがオメガ性だから好きになったわけじゃ――あ、ええと、友達になるのにそれって関係はないかなって。それより、そんなめずらしいことあるんだ? ただ目が紫色なだけってこと?」  話しているうちに、神崎は少しずつ自分を取り戻し始めた。ん、とキララに返されると、相手の整った顔をまじまじと見返してみる。 「そっか……キララちゃん、きっと今まで色々大変だったんだな。だから、俺にも優しいんだね、きっと」 「さすがに誰にでも優しさを振る舞えるわけじゃない。結構疑心暗鬼なところもあるし――でも、神崎くんはそういうの、あっさり乗り越えてくるというか……」  そっと口づけられて、神崎はフォークも落とした。ぽす、と落ちる音はしたけれど、思ったよりもずっと心地よい口づけに目を開いたまま、固まる。 「アルファらしいアルファじゃないし、オメガですらない。中途半端だけど――神崎くんに、友達以上には思ってもらえたら――嬉しい」  嬉しい。  神崎自身も、何故か嬉しくなった。何か特別なものを、初めて手にしたような――そんな興奮に身を震わせると、「やった!」と無意識に答えていた。 「俺、誰かにそんな風に思ってもらったこと、なくてさ。初めてだ。キララちゃんカッコいいし、綺麗なのにいいのかなって思うけど……いいよね。俺も、好きだから」  ふひひ、と変な声で神崎が笑っていると、またキララが大きく息を吐き出した。「良かった」と呟く声が聞こえる。 「……今度、神崎くんに会ったら言おう、でもどこまで言えるだろう――受け入れてはもらえないだろうって悶々と考えていたんだ。……神崎くんはホント、心配だなあ。おれは君を騙して、何かしようとしているかもよ?」 「何かって?」  たとえば、と、キララは力を入れている風でもないのに、神崎の体をソファの上に押し倒していた。 「……こういうこととか」  いつもなら一緒に笑いあうキララの、真剣な眼差しにドキリとする。 「俺、隠れオメガ性とかじゃなくて、本当にただのベータ・神崎なんだけど……ほら、アルファやオメガの人たちは運命の番っていうのに憧れるって聞くし……」  神崎としては真面目に返したのに、キララは目を瞬かせてから、またふっと笑った。 「おれには、運命の番いだとか……そもそも番いがどうのっていうのは分からないんだ。ヒートを起こしたオメガ性相手に、そんな気持ちを抱いたこともないから……アルファとしてはやっぱり、何かが欠落しているのだろうね。でも、神崎くんだけは他の人たちと違って見えるから。雑踏の中にいても、君だけは見つけられる自信がある」  オネエが入っている時すらあるキララが見せた真剣な面差しに、恋愛の経験など皆無に近い神崎ができたことは、ただ頭を真っ白にすることだけだ。そうして、頑張って頷いた。俺も、と壊れた機械みたいに繰り返す。 「……神崎くん、熱はないよね……?」  そんな様子を見ていたキララが、不意に神崎の額に触れてきた。さっきまでの寒さは、もうとっくにどこかへと消え失せている。相手が一歩引いてくれたことに、安堵してもいいはずなのに。 「熱はない、けど……ごめん。お腹がすいた」  これからどうなるのだろうという期待に、身体が勝手に反応しかけたのを必死にごまかす。お腹もぎゅう、と空腹を訴えてきて、それがしっかりと聞こえたらしいキララが笑いながら上体を起こすのを手伝ってくれた。 「……食べる前に、もう一度口づけてもいい?」  フォークを拾って立ち上がりかけたキララにそう問われて、神崎はきょとんとした。 「別に、食べ終わった後でもいいし、いつだっていいよ? 俺たち、付き合うんだよね?」  付き合う。いや、実は最初からそうだったのでは? なんて思ったりもする。首を傾げながらそう神崎が返すと――ぎゅうぎゅうに特殊部隊風味な男に抱きしめられたのだった。 Fin.
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