フェアプレイ

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 歴代の主将などのあいさつが続く。その多くが弁護士、医師、キャリア公務員、企業経営者、大企業の幹部候補といった面々だ。そして会場の隅にある寄付を受け付けるテーブルには人が絶えることがない。監督の黒瀬川はその一人ひとりに丁寧に頭を下げている。  あれからもう3年か、と黒瀬川は思う。  ベンチャー企業を興したころは、もう一生野球と関わることはないと思っていたのだが。  黒瀬川自信も光陽学園野球部のOBである。東京大学へ進み、東大でも硬式野球部に入った。3年生時には代打要因として何度か神宮球場の六大学野球にも出場した。東大野球部時代にはついに六大学の公式戦では一勝もできずに現役生活を終えた。卒業後、先輩とともにIT系のベンチャー企業を共同経営。会社が傾き清算を終えたとき、ちょうど声をかけてくれたのが今の校長の戸井田であった。  数学の教師として力を貸してくれないか。  行く手を失っていた黒瀬川には渡りに船の話だった。  学園に入ると、教員の中では黒瀬川が唯一の硬式野球の経験者であり、年齢も若かったことから自然と野球部の顧問となる。さらに新人教員ということもあり、ボランティア部の顧問も掛け持ちすることになった。部活動にそれほど力を入れている学校ではないので、若い教員は2つの顧問を掛け持つことも多い。  顧問就任当初の野球部の目標は普通のレベルの公立高校と『高校野球らしい試合』ができることであった。  ひょろひょろの体にぶかぶかのユニフォーム。長髪にメガネ。並んでいるのはいかにも、進学校の野球部です、という選手たち。  就任当時の黒瀬川の口癖は、連続ファーボールだけは止めろよ、内野ゴロは7割、外野フライは8割の確率でアウトにしろよ、というものであった。練習試合では公立高校相手にコールド負けをしなければ、いい試合だったぞ、と褒めてやった。
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