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あれは1年近く前のことだ。
犯罪事件を中心に扱うノンフィクションライターとして活動している、という職業柄、私は取材のために日本の各地に赴くことも多いのだが、その時はある事件の調査のために富山県のN市を訪れていた。何気なく立ち寄った郊外の大型書店では、地元が生んだベストセラー作家であるS氏の追悼コーナーがひっそりとできていた。
見知らぬ間柄ではなく、生前の彼とそれなりに親交のあった私としては、やはり寂しい気持ちが何よりも先に立つ。
交流を経たうえでの彼のイメージだが、それは読者の多くが作品を読んで抱く印象とさほど変わらないだろう。気難しい作家の代表例として、作家仲間の内では彼の名前がよく挙げられた。ひと付き合いが悪かった、と彼を悪く言う作家も決してすくなくはなかったが、その反面、畑違いの人間にも排他的になることはなく初めて私が小説を出した頃、それまで犯罪実話ばかり書いていてまともに小説を書いた経験のない人間だったこともあり、周囲の反応は冷たかったが、S氏だけは私の作品に好意的で、S氏は自分の持つ別荘での集まりに私まで招いてくれたりもした。
好奇心がとても強く、彼は、私が取材した事件の裏側をよく聞きたがった。作風的にも、彼はミステリが中心だったので、小説のネタ探しの一面も、そこにはあったはずだ。
彼は米寿、つまり88歳になった年にその生涯を終えた。20代前半でデビューしてから、ずっと第一線で活躍してきた、と表現しても過言ではない人物であり、特に長者番付がまだ日本で公表され、いつもそこに名を連ねていた頃は、弟子入り志願の作家志望者が彼の自宅の前に列を成していた、という逸話があるほどだった。
すくなくとも現代の出版業界に徒弟制度のようなものは馴染まない、という理由で彼は弟子入りを志願されても容赦なく断り、その主義を貫いていた。
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