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朔矢が好きかという問いに、ナオはうまく答えられない。嫌いではないけれど。その「けれど」が、一ヶ月たった今も取れないままだった。ただ一つ、朔矢という名前はカッコいいなと思っている。
休日のデートが一回、一緒に帰ったのが三回、昼休みに一緒にお弁当を食べたのが二回。朔矢が物足りなさを感じていることは、ナオもうすうす気付いていた。しかし、ナオにしてみれば、それすらも努力した結果だった。
ミカに手を振る瞬間の寂しさに比べたら、朔矢の不満そうな顔に気付かない振りをするくらい、どうということはなかった。
ナオにもミカにも、お互い以外の友達がいないわけではない。だから、ナオが朔矢と一緒にいても、ミカが一人ぼっちになることなどないのだが、自分がいないところで、ピンク色をしたミカの言葉が、大量生産の、赤紫の言葉たちに囲まれて、その色を失っているんじゃないか、押し潰されているんじゃないかと思うと気が気ではなく、ミカを置いてきぼりにして朔矢といるときは、いつもうわの空だった。
『明日の放課後、買い物に付き合って』
ミカにメッセージを送って、朔矢への嘘を帳消しにする。今頃、ミカはピアノを弾いているのかな。どんな音を奏でているんだろうか。天井に手を伸ばして、ミカがしたように指を動かしてみる。けれど、ミカとは違ってぎこちなかったせいか、世界が鳴らしてくれたのは、プルルルル、という無粋な電子音だった。
階段下でぱたぱたと足音がして、その音が途切れた。
「はい、吉村です――まーあ、お久し振りです。ええ――あら、届きましたか?――いえ、そんなとんでもない。お口に合っていればいいんですけどねぇ。こちらこそ、いつもいつも、美味しいものをいただいてばかりで。――ええ、うちの直子なんか喜んで食べるものですから、すぐなくなってしまうんですよ。あらやだ、これじゃあ催促してるみたい」
雅美の甲高い笑い声が、階段を駆け上がり、ドアを突き破って、ナオの耳に突き刺さる。
ナオは顔をしかめると、布団に潜り込んで、頭まですっぽりと覆い隠した。
電話の相手はたぶん、毎年漬け物を送ってくる親戚だ。その量に、雅美も辟易しているくせに。お返しを考えるのが面倒くさいと愚痴っているくせに。第一、ナオは漬け物が嫌いだから、送られたものを一口だって食べたことがない。
いつの頃からか、電話に出るときの雅美の声が苦手になっていた。純度百パーセントの「本当」はないけれど、純度百パーセントの「嘘」は、きっと存在する。雅美のあの声は世界で一番、それに近い気がした。
どこまでも空気を読んだ、嘘つきの声。大人になったら、自分もあんな声を出すんだろうか。ナオは、布団の中でぎゅっと体を小さく縮こまらせた。
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