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「…………なんだよ。そういうことかよ……。すごいよ、すごいけど……おれの苦悩を返せ」
「おれがいなくなると思って、苦悩したんですか?」
「…………そういうことじゃない」
「そういうことでしかないでしょ。……彩さん、可愛いですね」
にっと口角を上げた蘇芳が、じりじりと距離を詰めてくる。大きな掌が頭に乗せられ、髪を撫でた。それが、表情の割にすごく優しい触れ方だったから、「馬鹿にするな」と振り払うタイミングを逃してしまい、顔にはよくわからない熱が集まった。
「子犬サイズなら連れて行ってあげるんですけどね」
蘇芳はまだおれの髪を柔らかく撫でながら、ちらりと足元に置いた黒いボストンバッグを見下ろす。
「犬扱いすんな!」
やっとまともな感触の戻ってきた手で、蘇芳の掌をやんわりと払いのけながら顔をしかめてみせると、蘇芳は可笑しそうに笑った。
「……写真、撮ってきてくれよ。おまえの絵、見たいから」
そう言うと、蘇芳は足元のボストンバッグを拾い上げて軽々と肩に担ぎながら微笑んだ。
「撮ってきますけど、本物も見せてあげますよ。いつか」
「え?」
「いつか、あなたの『使命』が終わったら、いろんなところに連れて行ってあげます。いろんな土地で、おれが描く絵を見せに」
「…………うん。楽しみにしてる」
蘇芳がくれる、この上なく優しく鮮やかな約束に、思いきり笑顔を返したいと思った。けれど、視界に映る見慣れた黒と、青空の色はぎこちなく滲んだ。蘇芳はそんなおれを眺めてふっと微笑み、もう一度おれの頭に手を置いた。まるで大きな掌にその色を染み込ませようとするようにおれの金色の髪を撫でてから、いつもどおりの涼し気な足取りで歩いて行った。
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