エピローグ:イロトリドリノセカイ

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************************  それからしばらくして、おれがいつも世話になっている寺宛に、蘇芳からの便りが届いた。 綺麗な空色の封筒に、写真が数枚。古ぼけた学校の壁面に、ぐるりと一周描かれた、蘇芳の絵だ。写真からでも伝わる鮮やかな色彩で、無数の向日葵(ひまわり)の花が描かれている。 一枚一枚が今にも風に揺れそうな繊細な花弁、深い緑の葉を広げて凛とした姿で立っている向日葵の花々。美しい光景だったが、それだけではなかった。 写真の中の向日葵の花は、古びた校舎の壁という特殊なキャンバスに描かれているせいか、昔見た蘇芳の絵に比べると少し不思議な色合いにも見えた。 どことなく不安定で、不均一な黄色。いろいろな色合いが複雑に混ざり合っているような、どこかぎこちなくも見える色だった。それなのに、その色はおれの記憶にあるあの透き通るように整った、完全な色彩を凌駕するような強さを感じさせた。 蠢くような、ほとばしるような、迫りくるような生命の熱。写真越しにも指先に(つた)ってくるようで、おれは思わず息をのんできゅっと指先に力を込めた。  校舎の壁に沿って、向日葵の花は少しずつその姿を変えていく。懸命に太陽に向かい花を咲かせ、花弁が徐々に色褪せ乾燥していくのと同時に無数の種を宿す。その重みに耐えながら、華やかな姿は次第に大地に寄り添いその身を委ねていく。 そのひまわり畑には人々の姿は描かれていなかったけれど、不思議なことにおれにはそのひまわり畑に立つ幾人もの人間の姿が、表情が見えるような気がした。 共に笑い合う姿。寄り添う姿。離さなければならなかった手。流さずにいられなかった涙。喜び、怒り、期待、落胆、愛情と苦しみ、そして、それでもなお、その地に立つ姿。 蘇芳の描く向日葵の花のひとつの花弁、ひとつの種、ひとつの影に、そういうものが浮かび上がるように込められているような気がした。 校舎を一周した、最後の門の脇には、そんなすべてを受け止めて芽吹いたのか、小さな小さな双葉が、この上なく生き生きと、力強く描かれていた。  おれは寺の隅にある古木の木陰に座り込み、何度も何度も、順番を入れ替えたり、角度を変えて見上げてみたりしながら、蘇芳が描いた向日葵畑の写真を眺めた。 美しいだけじゃない何かを、蘇芳はその手で描こうとしている。それは、あいつの目にそういうすべての「色」が、正しく映り込むからだ。おれの色なき色を見つけてくれたように。 蘇芳の絵を通して見るこの世界は、美しいだけじゃなくて、いろんなものが絡まり合って複雑で、一言でなんて語れない。衝撃ともいえるその感覚は、善いとか、悪いとか、美しいとか、醜いとか……そんな言葉を、いとも簡単に超えてくる。そしてだからこそ、こんなにも色とりどりで、鮮やかだ。 繰り返しその風景を眺めながら、おれの口元は柔らかく綻んでいく。 おれが守るこの世界の色の向こうに、ここからでは見えないような、想像もつかないような物語や、感情や、思い出があるなんて、考えもしなかった。 封筒の中に納まっていた空色の便せん。相変わらず、この繊細な描写に比べるとずいぶんとぞんざいだと言わざるを得ないような字で、2行分の走り書きが目に映る。 「南国の太陽は格別です。けど、ちょっと飽きました。そろそろ彩さんの安っぽい金髪が見たいような気が、しなくもないです。―蘇芳日和」 あの日、初めて蘇芳の絵を見たときにも、このぞんざいな字で書かれたあいつの名前に目を惹かれた。高貴だったり、情熱的だったり、ときには不吉だったりする不思議な色の名。おれに、こんなにも鮮やかな世界を見せてくれる、たったひとつの色の名前だ。 a76531f4-37da-45c3-a4bd-c5f01a269983
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