0色:はじまりの青

3/15
前へ
/158ページ
次へ
************************ 「(あや)ー。起きてるかぁ? っていうか、生きてるか?」 少し色あせたような赤色のパラソルの下で、青空と新緑のコントラストをぼんやりと眺めていたおれの視界に、馴染みの顔が映り込んできた。油断すると勝手に彷徨っていってしまいそうな、覚束ない意識とピントを無理やり引き戻す。 「おはよう、恭介……今、何時?」 「おぉ……恒例の『彩って呼ぶな』すら出てこないとは……。こりゃ重症だな。昨日、何があった?」 呆れたような表情でそう言いながらも、おれの一番好きな配分でブレンドしたカップコーヒーを差し出してくれているのは、隣の研究室に生息している小柴 恭介(こしば きょうすけ)。付き合いも長く、おれの習性を熟知しているこの男は、こういうときに無駄な問答はしない。 「昨日……昨日、か。カロテノイドの色素を抽出するのに、塩酸は有効ではないことがわかった」 「それ、先週じゃなかったか?」 「そうだっけ……じゃあ、クロロフィルにアセトンの有効性が判明したんだったかな?」 「それも3日前に大騒ぎして報告に来ただろうが。そんな調子で薬品いじるなよ。彩は、今日はもう終業。帰って寝なさい」 恭介はそう言って苦笑した。相変わらず柔らかそうな猫っ毛が、春の風にふわりと揺れる。あったかいミルクで作ったカフェオレのような優し気な茶色。自分の研究もそつなくこなしながら、こうしておれの動向まで正確に把握している。優秀な人物というのは、自分の能力の使いどころを選ばないようだ。 「ん~……。けど、もうちょっと採取数増やしたいんだよな……」 手元のアイスコーヒーをずず、と啜りながら、独り言のように呟いた。たしかにここ数日は睡眠時間が足りていない。今年中にめどをつけたい研究の進み具合があまり芳しくないのだ。ひんやりとした苦みが喉元を通り過ぎると、少し頭の中にかかりっぱなしの靄が払われるような気がした。 「採取くらいなら、手伝ってやろうか?」 「え、いやいや。恭介だって自分の実験があるだろ。昼寝がてら、のんびりやるから」 「昼寝がてらって……。おれは別にいいんだけどな。まぁ、無理はすんなよ」 恭介は微かに眉尻を下げると、肩をすくめてそう言った。
/158ページ

最初のコメントを投稿しよう!

99人が本棚に入れています
本棚に追加