少年と大人のはざま

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少年と大人のはざま

   部会を終え、数人の同級生とホームで帰りの電車を待ちながら、さっきの『玉竜旗』の事や千藤先生について話していた俺は、会話が途切れ、今日これからの事を相談しだした仲間の声を聞くとはなしに聞きつつ、今朝の登校時の事を思い出していた。    北斗と一緒にクラス替えを体験したかった俺は、今朝、久しぶりに晴れた日の電車通学を楽しんだ。  一年前一人で歩いた道を北斗と二人肩を並べて歩く。  同居を始めてから雨の日には傘を差して一緒に通った道も、陽の光が降り注ぐだけでこんなに楽しい気分になるのかと、不思議にさえ感じた。  電車に乗り、空いた席があるにも係わらず、迷う事なく手摺を掴んだ俺の横で、北斗が思い出したように笑った。 「俺、去年あの席に座ってたんだ」  そう言ってこそっと指差した場所には、スーツ姿でビシッと決めたOL風の女性が座り、スケジュール帳のようなものを捲っていた。  確かにこの位置からもよく見える。  だけど俺がここに立つのは桜の咲いている今だけ、期間限定だ。  それに桜は、やっぱり遠くから眺めるより真下に行って見る方が好きだ。「一年後にこうやってお前の隣に立つなんて、あの時は思いもしなかったな」  感慨深げに北斗が呟き、 「俺も…自分が見られてたなんて全然知らなかったよ」  と答えると、彼がまたクスクス笑い出した。 「お前が気付かないだけで、今もあのOLやその辺の奴ら、みんな盗み見してるぞ。瑞希、自転車通学で正解だったな」  耳打ちしてそんな事言われたら、逆に怖い。  去年、山崎達に話した電車での痴漢の件、あれは今も軽いトラウマになっている。  口に出したおかげで(?)少しは発散できたけど、屈辱以外の何物でもなかった。  朝の北斗の台詞のせいで、痴漢された時の事まで思い出し、思わず身体を抱きしめると、 「何だ? 吉野、寒いのか?」  反対行きの電車を待つ隣のクラスの久保が、見当違いの事を心配そうに訊いてきた。     家に帰って簡単に昼食を済ませ、すぐバイトに行く。今日は二人共部活は休みで午後からバイトだけど、一時から始まる北斗の方が、帰りも少し早いはずだ。  こうした学校で行事のある日や、部活の無い日は、できるだけバイトに出ていた。  熨斗書きは特殊技能だからと言って、仁科さんが今年から特別手当なるものを付けて下さり、一日二時間程度しかいられない俺としては、非常に居心地が悪くなったんだ。だからせめて、時間の許す限りここに来たかった。それに客が減るどころか、少しずつだけど顧客が着いたり、大口の契約が取れたりで、忙しくもあった。手書きをこの店の売りにしているのに、手が足りないからといって、またパソコン印刷する訳にはいかない。  信用に関わる仕事を任されるのは気が重いけど、字を書く時は精神を集中する訓練にもなるから、俺にはそれ程苦痛じゃなかった。 『なあ兄ちゃん、これとこれ、どっちの方がいいと思う?』 なんて聞かれるより、よっぽど気楽だし楽しかった。 「ほんと、吉野君って綺麗な字書くねー。筆致流麗って言うのかな」  このコーナー(ギフト専門店)のチーフ‐去年のクリスマスイブに、プレゼントだと言って、バイト時間を短縮してくれた人だ‐加西さんが俺の手元を覗き込んで、感心するように声を掛け、それに乗じて店員の橋本さんが、 「毎日毎日書いてて飽きない?」  と、なんだか悪戯っぽく訊いてきた。「『わーっ』って叫びたくなったら叫んでいいわよ。但しお客様のいない時にね」  気分を(ほぐ)そうとしてか、そんな事を言うけど、実際俺が叫んだらみんな驚くだろうな、  なんてふっと考えると笑えてきて、手が止まってしまった。  ……駄目だ、つぼにはまった。力が抜けて書き出せない。  剣道なんかやってると、奇声を聞いても何とも思わなくなるんだ。  でも、俺はあまり声は出さない方だと思う、というか出ない。  声を出して集中する奴や、自分を鼓舞する奴もいるし、俺も相手の声に怯む事もある。だけど、どちらかと言うと対峙する時の静寂が好きだ。それと竹刀を打ち合う音。  試合に集中したら周りの音も聞こえなくなるって言うけど、残念ながら俺はまだそんな相手と当たった事はない。しいて言えば昨年の矢織前主将との試合がそれに近かったかな。  これから先、もっと沢山試合したらそんな相手にも出会えるんだろうか。 「ごめんねぇ、吉野君。力抜けちゃった? 邪魔するつもりなかったんだけど、今日はいつもよりバイト時間長いって聞いたから、疲れる前にリラックスさせてあげようかなって。…悪かったわ」  橋本さんが、送り状への宛先をパソコンに入力しながら、申し訳なさそうに謝り、結婚式の引き出物用にギフトカタログの箱詰めを始めた加西さんも、 「いつもさっと来てさっと帰っちゃうから、こんなおばさんの相手する暇ないよね」  独特のさっぱりした口調で、からかい気味に俺を見て言う。  けど、おばさんって、二人共まだ三十才前後なのに、俺が子供扱いされてるのか相手が謙遜しているのか?  俺には言葉の裏を推理する力はない。言われた事にそのまま返事するだけだ。後でどんなにからかわれても、笑われても、それが俺なんだから仕方ない。北斗辺りなら、相手の望む以上の返事をさらっと言うんだろうけど。 「すみません、バイト時間短くて。それに話相手ができるほど大人じゃないし、話しながら書いてたら間違えそうで黙ってるだけです。でも俺、ここで過ごす時間、好きです」 そう答えると、 「あら、嬉しい事言ってくれる」  加西さんがほんとに嬉しそうに笑った。「仁科君が吉野君を連れて来た時には、売り場の店員にしといた方が絶対いいと思ったんだけど、さすが人と未来(さき)を見る目は超一流だわ」  仁科さんに賛辞を贈る、その言葉使いに驚いた。 いくらさっぱりしてると言っても自分の上司、それも年上の人にこんな言い方する人じゃない。 「――『仁科君が』って、店長はチーフより大分年上じゃないんですか? 仁科さん四十二才って聞いた気がしますけど」  腑に落ちなくて尋ねたら、加西さんより先に橋本さんが笑い出した? 「もう、吉野君ってば可愛すぎ! 加西さんと仁科さん、同期でここに入って来たのよ、この店ができた時、それぞれよそから引き抜かれてね。五年くらいになりますよね」  加西さんが頷いたのを確かめて、話を続ける。 「同い年同士、気も合って…そうそう、もう一人ペットショップの方にいる畑山さんも、同い年なはずよ」 「え! あの頭の禿げたおじさんが?」  叫んで、慌てて手で口を塞いだ。  ……ウソだろー。いつもランディーのエサを買いに寄ってるからよく知ってるけど、五十才は過ぎてると思ってた。  なんか大人ってわからない。  目の前の人が俺の母さんの年代だなんて、……北斗の母さんはそれなりに見えたんだけど。 「あーあ、惜しい事したみたい。私の事、一体何才に思ってた?」 「え、…えーと、あの…橋本さんと同じくらいかと……」  しどろもどろに答えたら、 「おや、上手く逃げたわね」 笑いを零した加西さんが、秘密を明かすように声を潜めた。 「接客してるとね、若作りになるの。陰気な店員さんなんてみんな嫌だからね」  ……確かにそうだけど、この人は厚化粧って感じ、少しもしない。すごく自然で、いつも自信と活気に満ちている。 「実はね、私の子供も今年から西城に通うの」 「え、そうなんですか?」  という事は、ほんとに四十二才なのか。……いや、疑ったわけじゃないんだけど。 「吉野君の事、時々話してたから、あの子にはすぐわかると思うな」  楽しそうに笑い、箱詰めの終ったカタログを手際良くラッピングしていく加西さんを、いつの間にか自分の親と重ねていた。  ……母さんも生きてたら、こんな風に笑いながら俺の事を誰かに話したのかな? 「じゃあ、後輩って事ですね。男の子ですか?」  親近感と興味が湧いて、俺にしては珍しく自分から家族の事を訊いてみた。確率からいくと圧倒的にその方が高い。でも加西さんは首を横に振った。 「残念、女の子。私も黎明に行くもんだとばかり思ってたら……見た目はボーイッシュだけど、中身はやっぱり女の子だったわ。憧れの先輩が西城に行ったから追いかけるって、去年猛勉強してね、あそこは競争率高いから」 「はあ、そんなに頑張ったって事は、『憧れの人』っていうのは好きな人で、その人が二年か三年にいるって事ですよね」  親子の会話を分析して、出てきた事実を口にすると、思いもしない結果(おまけ)がついてきた。 「吉野君もそう思う? 詳しく話さないから私の勘なんだけど、あの子だと思うの、ほら…仁科君の再婚相手の息子。去年の春休みだけ彼に頼まれてここにバイトに来た……」 「ああ、北斗君ですか? そういえば仁科さんもすごく可愛がってましたよね、その気持ちわかるけど」  思いがけないところで最も親しい奴の名前が出て、それが好意的なものであるにも関わらず、何故か心がざわついた。 「まあね、あの子だったら、うちの子が追いかけても全然文句なんかないけど……それどころか、応援したくなる。あんな子が息子になってくれたら、私だって嬉しいな。その点では吉野君も二重丸だからね」 「え………」  唐突に、今度は自分の名前を出され、きょとんとすると、加西さんが贈り主の書かれた熨斗紙をラッピングの終った箱に巻き、俺の字を指先でちょんとつついた。 「ま、娘なんて見向きもしないだろうけど、……最初はね、あんまり美形なんで、ちょっと敬遠してたんだけど、真面目だし礼儀正しいし、何より一生懸命な所が、見てて気持ちいいなって。頑張ってる子を見ると、こっちも益々元気になるわ」  加西さんがにっこり微笑んで、そんな風に言ってくれた。  だけど俺は……胸に棘が刺さったような痛みを覚え、軽く頭を下げると無理矢理熨斗書きに神経を集中させた。
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