二人の時間

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二人の時間

「うわ、…桜の花が浮かび上がってる。こんな近くでゆっくり見るの、初めてかも」  街灯にライトアップされた大木を見上げ感嘆の溜息をつく北斗を、意外な思いで見た。 「そうなのか? 夕べすごく綺麗だったから北斗と見たいって思ったんだけど、見慣れてるんだろうなって…」 「中学生が夜うろうろしてたらやばいだろ?」  何度忠告されても危機感を持たない俺に呆れたのか、じろっと睨まれ、小さく舌を出す。  そんな俺の態度を見て、諦めたように短く息を吐いた。 「去年は瑞希と話した時に来ただけだから夕方だったし」  すぐに目を上げ、懐かしむような瞳で呟いた。「あれからちょうど一年か。色々あったから遠い昔のような気がする」 「そう? 俺、昨日の事のようにはっきり覚えてるよ。な? ランディー」  俺達の間に悠然と座る、ランディーを見下ろした。 「あれだけ興奮してたのに、北斗の『伏せ』で大人しくなったの見て驚いたんだ。よく躾けられてるなって」  すると夜桜に見入っていた目を俺に向けた北斗が、意外な返事を返してきた。 「俺は心臓止まりそうだったぞ、人間に襲い掛かってたんだから。…それが吉野だって気付いて……もっと慌てた」 「え、何で? お前はもう同級生だって事もわかってたんだし、取り合えず知ってる奴でよかっただろ?」  首を傾げて訊くと、 「……知ってたからだよ」  視線を対岸に移し、遠くの明かりを見つめたままぼそっと告げられた。「俺、お前に興味持って、店でわざわざ声掛けようとしたんだぞ。なのに飼い犬がそいつを襲うなんて……」  ランディーをちらっと見遣り、大袈裟に溜め息を吐くけど、そんなに動揺していたか?  疑惑の眼差しを向けられても少しも意に介さず、北斗が出逢った時の思いを口にした。 「信じられない不運に目の前が真っ暗になって、後でランディーをきつく叱ろうと思ってたら……瑞希、別れ際に笑いかけてきて、なんかそんな気失せてしまったんだ。ランディーも辛そうだったし――」  そう言うと、今度はクスクス笑い出した。「その次の日は目、真っ赤にして…『泣いてました』って、顔に大きく書いてるし。何となく一人にさせられなくて、気付いたら土手に座ってた」 「悪かったな。でも…すごく心細かったんだ。知らない土地で本当に一人ぼっちになって、…自分で決めた事だから今更引き返せないのはわかってたけど」 「――俺、祖父母の存在がどんなものかわからなくてさ、ただ溺愛されてたんだろうなって単純に思ってた。瑞希の事は誰も知らなかったから、親の転勤に合わせて西城を受験したか、親元を離れて気ままな一人暮らしか……そんな話、お前を見た奴らがしてたから、孫の様子見がてら遊びに来ていたのを見送ったんだろうって」  何だ、その恐ろしく逞しい想像力は。  俺のバックグラウンドを、勝手に作って遊ばないで欲しい。 「それくらいで泣くわけないだろ」  泣いた事実に対する恥ずかしさは忘れ、呆れた声で答えると、思いがけず真剣な表情で北斗が俺を見返した。 「ああ。すぐ後で親がいないって聞いて、ほんとに驚いた。……あの時もっと詳しく訊くんだったな。そしたらみーちゃんだと気付いたかもしれないのに」  残念そうな声で言うけど、俺はきっぱりと言い切れる。 「いいや。北斗は絶対そんないい加減なもので、死んだと思ってる奴を簡単に生き返らせたりしないよ。可能性なら、お前か仁科さんが俺の名前をおばさんに言って、そこで初めてわかる方が高かったと思う」 「何で? 俺……そんなに鈍そうか?」 北斗は不満気だけど、俺の言いたい事は勘がいいとか悪いとか、そんな単純なものじゃない。 「違う。お前は確かなものしか信じないからだよ。俺には信じさせようとするくせに、自分はああならいいのにとか、こうなって欲しいとか、他力本願な希望的願望は、一切持ってないだろ? だからだよ。もし頭を掠めたとしてもすぐに却下してる。ありえないって片付けて、それで俺自身と向き合ってくれるんだ。そうだろ?」  思ったままを口にすると、勢いに気圧されたのか、瞬きした北斗が本気とも冗談とも判断しにくい返事を返してきた。 「……どしたんだ? 瑞希。おだてられてもお茶しか用意してきてないぞ?」 「え、コーヒーじゃなくて?」 「ああ、今日は俺が付き合うんだからな」 「ほら、やっぱ俺と向き合ってくれてる。……まあ北斗の口の堅さはよく知ってるから、おばさんに言う事もなかったよ。どうせ俺の名前なんてな」  非難めいた台詞に、北斗が肩を竦ませた。  少しは反省してるんだろうか? 口が堅い…と言えば聞こえはいいけど、親とのコミュニケーションもある程度必要だと、認識して欲しい。 「そういえばお前、自分の事もあんまり言わなかったけど、ほとんど何も訊かなかったよな、俺の事。事故の状況と、他の男が怖くなかったか、それだけだったっけ」 「ん、そうだったか?」  覚えていないのか、逆に聞き返された。「――まあ、人にあれこれ詮索されるの嫌だからな。それに大切な事は自分から打ち明けてくれた。それから田舎にも誘ってくれた。それだけでもう十分だったんだ」  心から満たされたように微笑まれ、不思議な気分になる。  そうだった、両方とも俺の『核』……とでも言うのか、人格形成の一番大切な部分。  この街で成長していたら絶対なり得なかった自分。それを北斗――成瀬に知って欲しいと思った。  田舎で彼が、俺の思い出話を楽しそうに聞いてくれた時も、本当に嬉しかったんだ。    お互いまだ気付かずにいた去年の夏休みを、懐かしく思い出していたら、北斗が再び口を開いた。 「和彦の一件で俺、心臓凍りついたけど、あれがあったから田舎に行く気になった。お前に出会って……再会してから、驚いたり嬉しかったり、慌てたり楽しかったり……感情のバロメーター振れまくってる気がする。ぶっ壊れたら瑞希のせいだからな」  再会する前も結構激しい人生を送ってきたと思うんだけど、口には出さないでおこう。 「それは俺も同じだって。でも俺、あの日ここでお前に会えてよかったって、あれから何度も思ったよ。あの出逢いがなかったら……想像できないな。だけど、今ほど幸せな気分じゃなかった気がする」 「……本当に?」  じっと目を見て尋ねてくる、北斗の本心に気付いた。  さっき涙声になった事、心配してるんだ。 「―――うん、ほんとだよ」  北斗に見詰められると、心の内を暴かれそうで、時々怖くなる。  彼に対して何か秘密を持った時、俺はこの瞳に耐えられるんだろうか?   でも、これは余計な心配だ。そんな事、どう考えても起こり得ない。     身体の事以上の秘密なんて、俺の人生にあるわけ無いんだから。 「じゃ、素振りするから、北斗、ランディーの相手頼むよ」 「もう竹刀振り回しても吼えられないか?」  楽しそうに聞く北斗を、ぎろっと睨みつけた。 「あれから何ヶ月経つと思ってるんだ? な、ランディー」  ランディーにだけ笑いかけて、持って来た素振り用の竹刀を手に、川辺へと下りた。    同居してすぐに、俺は夜の散歩を申し出た。  初め渋っていた北斗も、素振りの練習したいからって言ったら、『まあ、竹刀持ってる奴に襲い掛かる馬鹿もいないか』と了承したけど、ランディーはそんなにスムーズに納得してくれなかった。  初めての日、川辺で竹刀を振り上げた俺にいきなり唸り始めたんだ。  それから振っている間中、ワンワン鳴き続けられた。  これなら誰も寄り付かなくてよかった……なんて安心できるはずもなく、少しずつ振る回数を増やしていく事にした。  でも大人しく見るようになるまで一ヵ月近くかかってしまった。  途中から、素振りの間は吼えないと……みたいな義務を感じたらしいんだよなー。  飼い主も変わってたけど、犬もやっぱり変だった。  それでも毎日続けている内、疲れてきたのか慣れたのか、今では呑気に寝そべって見守ってくれ、俺はやっと心置きなく、思う存分素振りできるようになった。
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