二人の時間

2/3

5人が本棚に入れています
本棚に追加
/47ページ
「〝玉竜旗〟って?」 「九州の福岡で行われる高校生の剣道の大会。日本中で大小色んな大会があるけど、少年剣士の憧れの一つなんだ。高校球児の甲子園と似てるかも」  素振りを少し早めに切り上げ、桜の木の下で北斗の入れてくれたお茶を飲みながら、今度新しく監督になった千藤先生の事を教えていた。 「インターハイとどう違うんだ? お前そっちに出たかったんじゃないのか?」 「ああ、あれは個人戦があるから…。自分の力がはっきり試せるだろ? 団体戦も全国に行けたら嬉しいけど、ここじゃなかなかね」  剣道部の盛んなこの県では、私立の……それこそコーチ陣まで選りすぐりの人達が指導する所まであって、上位に入るのさえ難しい。  公立だけなら、間違いなくトップなんだけど。 「団体戦の試合形式って知ってる?」 「んー、そうだなあ、確か五人の選手で、先鋒とか大将とか名前が付いてて、順番に試合していくってことくらいしか知らない。悪いな」 「いいや、上等だよ。先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の順で、同じ者同士試合して、勝った人数の多い方が上に行けるんだ。引き分ける時もあるから一概には言えないけど」 「ふん、それで? 玉竜旗はそうじゃないって事か?」 「うん、団体戦しかなくて、代表が五人なのは一緒だけど、勝抜き戦なんだ。だから一人目が勝ったら、そのまま続けて相手の二人目と試合する。で、どんどん勝っていったら、一人で相手全部倒す事もある。それが五人抜き、で、次の試合も続けてそれやると十人抜きってわけ」 「で、今度来た監督が二年続けて十人抜きしたって言うのか」 「うん。噂だけど、今日会って目を見ただけで強い人だってわかった。明後日からの部活、すごく楽しみになってきた」  自然と笑みの浮かんだ俺を見て、北斗が目を細めた。 「良かったな。お前、三年が引退してから覇気なかったもんな」 「そう? そうかもなー。好きな先輩卒業しちゃったし、…相模主将と辻先輩、それに白井先輩くらいしか相手になる人いないから……。あ、でも新見は凄いよ、腕力あるし、力強い剣道するから、俺とは対照的で面白い。中学から始めたとは思えない」 「瑞希は……十三年目か。部の中で一番長いんじゃないのか?」 「うん、そうみたいだ。次入って来る一年も楽しみ―――あっ!!」 「何だ?」  突然の叫び声に、今度は目を見開いて俺を見る。  確かに、俺のせいで北斗のバロメーター振れまくってるかもしれない。 「今日、ホームルームで藤木を委員長に推したら、『じゃあお前副してくれ』って……」  言いかけると、北斗の方が興味深げに訊いてきた。 「へえ、それで? やるのか?」  やけに嬉しそうな声色を出され、一瞬答えるのをためらった。 「……いや。新見が阻止した」 「なんだ、残念。やればよかったのに」  ほんとに残念そうだ。そんな暇ないの、お前が一番よく知ってるだろ! と、言ってやりたい、けど……。 「それが……剣道部の部長やらせるから、俺には役当てないでくれって事だったんだ」 「ハハ! 何だ、そういう事か。なら仕方ないよな」  北斗は楽しげに笑いながらそんな事言うけど、この街の事も学生の事もやっと少しずつわかりかけてきた程度の俺には、みんなをまとめて引っ張っていく事は、必要以上に気持ちの負担になる。 「やめてくれ、荷が重すぎるよ。本当に決められたらどうしよう……」 「先輩の命令はどの部も絶対だからな。二年は何人だ?」 「八人」 「実力から選ぶなら、間違いなくお前だな。だから三年の先輩もこの時期から声かけたんだろうけど」 「そんな事ない、それに……」  俺の主将に対する思いを、口にしかけて止めた。  北斗にとっても他人事じゃないと、気付いたから。 「いや、いい。まだ四ヵ月は先の事だし」 「そうだな、とりあえず目の前の目標に全力を尽くすのが先だな」 「うん。北斗、駿の事……頼むよ」 「ああ。出来るだけの事はする。けど、心配いらない」 「……そうかな?」 「あいつは絶対みんなから好かれる。じゃないとチームがまとまらない」 「そっか、…うん、そうだよな」  答えて、桜の枝を仰ぎ見た。    暗闇に浮かぶ薄桃色の花弁(はなびら)は、香り立つように咲き誇り、気高く、色気さえ感じる。  夜の闇がそうさせるのか、太陽の(もと)で穏やかな優しさを感じさせる時とは、明らかに違っていた。  ふと、北斗に似ていると思い、一人赤面した。  人間に表と裏があるように、自然界に生きるもの全てに、通じるものがあるのかもしれない……。  なんて哲学っぽい事を考えていると、俺を赤面させた奴がのんびり訊いてきた。 「なあ瑞希、何となく腹減らないか?」  ……こいつは、色気より食い気だった。でも、否定できない自分がちょっと悲しい。 「……よくわかったな」  不本意な声音になったのを自覚しつつ答えると、北斗が何故か嬉しそうに笑った。 「まあ一年付き合ってるからな。ほら、桜餅」  わざわざ水筒を入れてきた、非常に不自然な袋の中から、塩漬けした桜の葉に(くる)まれた、薄桃色の和菓子が並ぶパックを取り出し、蓋をパリッと開けて差し出してくれた。 「わ、風流ー! この季節になったらばあちゃんが毎年買ってたんだ。さっきはお茶しかないって言ってたのに」  驚いて隣に目を遣ると、そんな俺を楽しそうに眺めてる。 もう…こういうところ、ほんと大好きだ。 「――夜桜見ながらこんなの食べれるなんて、最高だよ」 「やっぱり…洋菓子より和菓子の方が反応いいな」  桜餅を頬張りながらしゃべる俺をじっと見つめ、そんな感想を洩らした。 「ん? そう?」 「ああ。バレンタインにやったチョコケーキより嬉しそうだ」 「あれは……日が悪いよ。あんなにチョコ貰ったら、なんか食欲失せちゃって……。でも、街って何でも派手だよな。田舎であんな事一度もなかったから、俺、知らなかったよ」 「けど、しっかり返ししてたじゃないか。俺んとこの女子、今度はキャンディーの争奪戦してたぞ。お返しの日にちには笑えたけど」 「十四日は学校入試で休みだったから。あんなの、遅くなるより早めの方がいいだろ? それに同級生にしか返してないし……」  バレンタインデーの事を思い出すと、憂鬱になってしまう。「松谷がうるさくてさ、『髪の毛一本でもいいからちゃんと返せ』って。……そんなの貰ってどうするんだ?」 「裕也か。あいつ要領いいからな、山崎と違って」 「そう言う北斗は? チョコの返しどうしたんだ? 俺よりもっとすごかったんだろ?」 「……俺、もらってないぞ」 「え! ウソだ」 「嘘じゃない。持って帰ってなかっただろ」  そういえば、家では見かけなかった。部の奴らと食べたと思ってたんだ。 「何で? どんなマジック使ってるんだ? 俺にも教えてくれ!」  詰め寄る俺を呆れたような目で見るけど、俺にとっては切実だ。上手に断る方法があるならぜひ伝授して欲しい。  藁にも縋る思いで尋ねた俺は、北斗の返事にまたショックを受けた。 「『マジック』っていうか、これもお前のおかげなんだけどな」 「なに? ……あ! 『大切な子』?」 「そういう事。だから中学の時からずっと貰ってないし、持ってこられても断ってる」 「俺も断ったよ! 『そんなの貰えない』って。じいさんが『ただで物を貰うのは乞食と一緒だ』って、言い続けてたから。……吉野家の家訓の一つなんだ」  そう言った途端、北斗が笑い出した。 「ハハ、それでか。かなり強行に出た女子も、お前の頑固さの前に砕け散ったって、泣いて帰ってきてたぞ」 「でも……いつの間にか机の上に置いてあったり、中に突っ込まれてたり……何でか自転車のかごにまで入ってて、ちょっと怖かった……」 「お返しなんかしたから、来年はもっと悲惨になるぞ。裕也の言う事なんかほっとけばよかったのに」 「だって『返しようがないじゃないか』って困ってたら、松谷が『諦めて持って帰れ』って…」 「あ、納得。それでさっきの『髪の毛』発言が出たのか」 「うん」 「まあ、お前も律儀だから、それに吉野家の家訓は大事だし、貰いっぱなしにはできないだろうな」  人事だと思ってクスクス笑う。「俺のは毎年の積み重ねだ。絶対受け取らないとわかって持ってくる奴は嫌がらせに近いから、そういうところ西城の女子はよく知ってるぞ。控えめな子の方が多くてほんと助かってる。無駄な金使わせるのも可哀想だしな」 「そうかなあ? 田舎の女子の方がもっと控えめ…っていうか、興味なさそうだったよ」 「―――でも、本心ではみんなお前に渡したかったんだってさ」 「はあ? ……何でそんな事、北斗にわかるんだよ」 「孝史に聞いた」 「いつ?」 「法事の前の日、瑞希が温泉でのぼせた日の夜中」  知らず、ドスの利いた声になる。 「………他に何話したんだ」 「色々」 「俺にも教えろ!」  掴みかかりそうな勢いの俺を、北斗がうんざりした目で見た。 「またか、……お前の事をお前に教えてどうするんだ? 安心しろ、陰口も暴露話もしてないから。頼んでも孝史は教えてくれないだろうけどな」  つまらなそうに言うけど、そんな事が問題じゃない!   孝史の奴、今度会ったら釘を差しておかないと、そう思った俺の心を読んだように、北斗がすかさず庇った。 「孝史を責めるなよ。俺が『離れていた間の瑞希を知りたいんだ』って、無理に聞き出したんだから」 「お前だけずるい! 俺も北斗の事知りたいのに」 「あれ、そうなのか? なんだ、だったら俺のアルバムでも見せてやったのに。三冊程だけど」 「え、…十一年で三冊ってことはないだろ?」  俺の場合、特別だけど、生まれて一週間で一冊あった。 「写真は写す奴がいるから、増えていくんだ」 「だって……それはそうだけど、誰かから貰ったりもするだろ?」 「そうか? そんなのあんまりないな。自分の子供写すのに必死だろ、それにもうビデオが主流だったしな」  平然と、……当たり前のように言う北斗の言葉が、なんだか辛かった。  一緒に見て欲しいと頼んだ俺のアルバム。  一体どんな思いで付き合ってくれていたのか。  まだまだ俺には、北斗の心を掴む事はできそうにない。 「……いい、見たい。今晩見せて」 「今晩? また急だな」 「これから先、多分今まで以上にゆっくりする時間無くなりそうだから、駄目?」 「いや、構わないけど、ならもう帰ろ。まだ風呂入ってないし」 「北斗はいいんだろ? 俺、シャワーだけでいい」 「夜風で身体冷えたから温まりたいんだ。ランディー、帰るぞ!」  ここのところ、すぐ寝てしまうランディーに声を掛けると、むくむくっと起きてきた。 「なんか…すっかり瑞希に似てきたな」  溜息混じりに呟かれ、首を傾げた。 「え、どういう意味?」 「俺が散歩させてた時は途中で寝る事なんか無かったって事。ぐいぐい引っ張って、『遊んでくれー』って」 「ランディーのうたた寝は俺のせいだって言いたいわけ?」 「お、よくわかってるじゃないか」  並んで歩きながら楽しげに答える北斗に、横からドン! と体当たりした。  けど、わざとらしくよろける振りをするのがよけい悔しい。 「もう、いちいち腹立つ奴だなぁ、あれは年のせいだ。年寄りはうたた寝が好きなんだ」  言った途端、北斗がゲラゲラ笑い出した。  何がそんなに可笑しいのか……呆気に取られて見ていると、 「―――悪い。お前の…うたた寝は、おじいさんとおばあさんの…影響だったのかって……思ったら………可笑しくて……止まらない………苦し……」  息も絶え絶えに、そんな事を口にした! 「朝まで笑ってろ!」  立ち止まって笑い続ける北斗に捨て台詞を残し、ランディーに「帰ろ」と声を掛けたけど、何故か動こうとしない。  そこで今朝の夢を思い出した。  北斗が帰るのを待ってるんだ。  どうせね、俺は飼い主っていうよりランディーのお友達だよ……。  一人ふてくされて帰りかけた後姿に、今度はランディーが大声で(?)吠え出した!  全く……いいようにあしらわれるのは、北斗にだけじゃなかった。  情けない気分を引きずりながら、まだ笑い続ける北斗と、満足そうなランディーと、おぼろ月夜の道をとぼとぼ帰る、足取りはいつになく重かった。
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加