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「なあ北斗、ほんとにこれだけ?」
さっきの約束通り、北斗の机の上でアルバムを広げながら、ベッドに寝そべる彼を振り向いた。
「ああ、生まれてから高校までちゃんとあるだろ?」
「一応、でも………」
出してくれた三冊の内、一冊は今リビングに置いてある、俺のアルバム四冊分を凝縮したようなものだった。
事故に遭うまでの……北斗の両親が離婚するまでの写真。
後の二冊が小、中学校の時のもので、成長の過程ははっきり見てとれたけど、クラスの集合写真とか入学式や卒業式の写真がメインで、北斗の喜怒哀楽が少しも伝わってこなくて、それも何だか淋しかった。
溜息をついて隣の本棚に目を遣ると、一番上の隅に立てかけてある一冊のアルバムに気付いた。
立ち上がって「あれは?」と指差す俺の、視線の先を確認した北斗が、慌てて飛び起きた。
悪戯心を刺激され、北斗より先にアルバムを抜き取り胸に抱え込むと、
「こら! 瑞希、駄目だ! 返せよ、それは写真じゃないって……」
むきになって取り返そうとする。こんなに慌てる北斗、初めて見た。
「嫌だ。そんなに嫌がってる北斗、見たこと無い。絶対中身見てやる!」
「お前なあ、…もう、成績表だよ、通信簿! 瑞希には何の意味もないもんだろ」
「見たい!」
本気で叫んだら、北斗が「このやろ」と、力ずくで奪いにかかってきた。
逃げかける俺の腕をしっかり掴み、抱えているアルバムを引き抜こうとする。
何だかレスリングに近いようなアルバムの奪い合いが、ベッドサイドで始まった。
「何でそんなに嫌がるんだ! お前の成績いいの、俺知ってるよ」
「そういう問題じゃない」
言い合いながら床にうずくまり、必死に抵抗する俺の両脇に腕を差し込んで、ベッドの上に引っ張り上げようとする。
「ちょっ、やめ……北斗! くすぐったい」
笑い声を上げ、身を捩って逃れようとしたけど、北斗の力の強さに勝てるはずもない。
アルバムを抱えたまま羽交い絞めされ、もつれるようにベッドに倒れ込むと、弾む息を整えている間に、北斗にアルバムを奪い返されてしまった。
「……お前、どんな育ち方したらそこまで激しくギャップができるんだ?」
呆れるように俺を見て、ベッドの端に腰掛けた北斗が言う。
もう何回も言われた台詞。だけど、俺にはあまりピンとこない。
身体を起して、北斗を見返した。
「どういう意味?『ギャップ』って、食い違いって事だろ? 俺、ずっと地のままだよ、無理なんかしてないし。…あ、北斗と同居始めてから、ちょっと甘えてるかもしれないけど」
「そうじゃなくて―――」
言いかけた口が開いたまま、僅かな間を置いて大きな溜息に変わった。
「は~、和彦達の心境がだんだんわかってきた。……確かにきついよな、これは……」
がっくりと肩を落とした北斗の態度にムッとする。
「何だよ、やな言い方するなあ。たったあれっぽっちの写真で北斗の十一年をわかれって方がきついだろ。何でもいい、お前の事がもっと知りたいんだ。嫌がらせしたのは悪かったけど、お前だって俺が寝てる間に、孝史と好き勝手な話、したんじゃないか」
言い募って、口調が荒くなってきた。
何で俺、こんなに感情的になってるんだろ?
北斗に、俺といるときついと言われた気がして、ショックを受けてる。
俯いた俺の頭にパコンと硬い物が当たり、「ほら」と言って、北斗がアルバムを差し出してきた。
「え、……」
顔を上げると、俺とは対照的な、穏やかな眼差しでこっちを見ていた。
「本当に真っ直ぐな奴だな。そんなに俺の事が知りたいなら見せてやるよ。けど、成績がいいってのはデマだ」
「え! ウソだ、だって山崎が言ってたよ。現に今も二十番以内にいるじゃないか」
「……見ればわかる」
「いいのか?」
「俺は、な」
手渡しながら俺に向けた瞳が、微妙に色を変えた気がした。
……こんなに北斗が嫌がるもの見て、俺…後で後悔しないだろうか?
半年前、野球を取り戻す為に、北斗の父さんの家に押しかけた時と、同じ事してる?
いいや、あの時は北斗の為だった。今は……自分の欲望を満たすための我侭だ。
「ごめん、北斗。やっぱいい、俺が無理言ったみたいだ。北斗の事は知りたいけど、心の中をこじ開けるような真似してまで、探る事じゃなかった」
頭を下げて謝り、おずおずと北斗に目をやると、驚きに見開かれた瞳がゆっくりと細められ、全てを包み込むような笑顔に変わる。
それを見ただけで、無理強いしなくてよかったと思えた。
「いいんだ。瑞希には俺を知って欲しいって言っただろ? 俺は全然かまわないんだ。ただ―――」
言いかけて、少し考えるような仕草をしたけど、その続きを口にはしなかった。
「いや、なんでもない。瑞希がそう言うなら、これは仕舞うぞ」
「うん、ごめん」
「謝るなよ。謝らないといけないのは、本当は俺の方だ」
また、訳のわからない事を言ってきた。
うーん、何を考えているのか、さっぱり掴めないんだよなー。
「あれ!? もうこんな時間?」
机の上に広げたままだったアルバムを片付けようとして、デジタル時計が11:43と表示しているのに気付いた。
慌てて元の場所にしまい、
「じゃ、部屋に戻る。お休み」
言い置いて出て行こうとすると、北斗が不思議そうに声をかけてきた。
「あれ、お前こっちで寝るんじゃないのか? 明日休みだぞ」
ここのところ、休みの前日はずっと北斗の部屋で寝ていたから、今日も当然ここで寝るものと思っていたらしい。
だけど、今朝早く散歩に出かけたのを思うと、ゆっくり休めてないようで……。
「もしかして、遠慮してるのか?」
やっぱり、心を読んだ北斗が、ズバッと核心を突いてくる。
返事に詰まった俺を見て、読みが当たった事を確信したみたいだ。
「気を遣うなって言ってるだろ。ほら、枕」
ベッドの隅に置かれていた枕を投げて寄こし、「電気消して」と言う。
「だって……北斗、最近ゆっくり眠れてないんじゃないのか?」
飛んできた枕を受け止め、突っ立って尋ねると、
「夜が明けるの早くなってきたからな。俺、明るいと眠れないんだ」
肌掛けを捲りながら答える。「なんか俺も…年寄りくさいよな」
そう言って笑った。
本心? でも、今俺がする事は一つしかないみたいだ。
部屋の明かりを消し、北斗の隣に少しだけ隙間を空けて入った。でも、今日は俺の方が中々寝付けなかった。
さっきのアルバムの件も気になっていたし、それに……
「瑞希……何があった?」
ふいに掛けられた言葉にドキッとして、北斗に顔を向けた。
「お前、寝付きだけはいつも最高にいいからな。…さっきの事、まだ気にしてるのか? それとも……バイト先で何かあったのか?」
ああ、これがあったせいか。
本当に、呆れるくらい心の機微に聡い奴だ。寝るのを誘ったのも、この為だったんだ。
「別に……大した事じゃない」
喉元に押し寄せる、痺れるような痛みを隠して答える俺に「本当に?」と、問いかけてくる。
「隠し事するなよ。お袋も言ってただろ、全てじゃなくていいけど、お互い何でも話せって。同居が上手くいく秘訣らしいぞ。おかげで自分達もこの上なく上手くいってるんだと。息子にのろけるか、普通」
明るい口調で話す北斗は、もう親離れして自立した一人の男だ。
微塵の甘えも感じさせない。
「……それは同居じゃなくて、結婚生活だ」
「異なった考えの二人が一緒に住む事に変わりはないだろ? どっちにも共通すると思うぞ」
話すまで解放してくれそうもない北斗に、仕方なくバイト先での加西さんの台詞を繰り返した。
「……結婚相手が北斗か俺なら、応援するって、言われた」
「―――は?」
「本当なら嬉しいはずなんだ。人間性を認められて、親が祝福してくれるなんて、こんな嬉しい事ない。だけど……孫の……子守り………するのが夢だって言われて………」
続けられなくて、唇を噛み締めた。
「……瑞希……」
俺以上に辛そうな声で名前を呼ばれ、無理矢理に言葉を紡いだ。
「――北斗ならその夢、楽に叶えられるのに、俺には……踏み潰す事しかできないのかなって……思ったら………」
それ以上、どうしても言葉にする事ができなかった。
「も……いい? これ以上……無理………」
北斗に背を向け、枕に顔を押し付けた。
こんな事でいちいち傷付いて、振り回されたくない。
頭ではそう思っていても、感情は簡単に割り切れなかった。
必死に飲み込む何度目かの涙は、苦くて……深い絶望の味がした。
―――大丈夫、明日になったらいつもの俺に戻れる。
だから……今夜は少しだけ、このまま泣いていたい。
「―――大丈夫」
不意に聞こえた、自分の想いに重なる穏やかな声と、頭を撫でる優しい手に、ビクッと身体が震えた。
「大丈夫だよ、瑞希、安心して泣け。一人で泣かれるより、俺…ずっと幸せだ」
……幸せ。
俺が、隣で泣くのが、北斗の幸せ?
よくわからない。
でもその言葉で、こめかみを伝い落ちる苦いだけの涙が、意味合いを変えていた。
北斗が後ろから腕を回して、俺を身体ごと抱きすくめる。
ベッドの中でこんな風に抱きしめられるのは、初めてだった。
前に回された腕に自分の手を絡めて静かに泣き続け、いつの間にか泣き疲れて眠ってしまった。
明日の朝、どんな顔をして北斗を見ればいいんだろう。
そんな事、これっぽっちも思わなかった。
惨めな自分も、みっともない顔も、もう散々見られてる。
今更どんな俺を見せたって、北斗は少しも変わらない。
少し驚いて、新しい発見をしたみたいに、楽しそうに笑いかけてくれる。
それがわかっているから、俺はこの腕の中が、最高に心地好いんだ――
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