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心の洗濯
翌朝、洗面所で想像以上に腫れた瞼を確認してダイニングに行くと、リビングのソファでテレビを見ていた北斗がスイッチを消し、俺の方に近付いてきた。
「おはよ、よく眠れたみたいだな」
もっと何か言われるかと思ったけど、目の前を横切りキッチンに向かう。
ちょっとだけ拍子抜けした気分で、その後姿にぺこんと頭を下げた。
「うん、…ごめん。ありがと、北斗」
「何が? 俺、なんにもしてないぞ」
コンロに火を点け味噌汁を温めなおす間に冷蔵庫を開け、いくつかの小鉢をカウンターの上に置いていく、その量が半端なく多くて――気が付いた。
「え、もしかして待ってた?」
「ああ、今日は午前中休みだから、一緒に食べようと思って」
それを聞いて慌ててカウンターへ行き、テーブルに小鉢を並べていったところで、その中の一つに目がいった。
「あ、菜の花のお浸し、久しぶりだー。これもばあちゃん、この時期になったら欠かさず出してたよ」
イスに座り、箸を取りながら教えていてもしかして、と思い聞いてみた。「これ、今朝採ってきた?」
キッチンから二人分のご飯を茶碗によそい持ってきた北斗が、「当たり」と答える。
「夕べは暗くて気付かなかったけど、新芽がすごく旨そうだったんで二人分だけ頂いてきた」
舌を出し、茶目っ気たっぷりに笑ってる。
ほんとに花より団子の奴だ。でも、もちろん俺はこのお浸しも嫌いじゃない。
こういうのを美味しいと感じるようになったという事は、俺も少しは大人になったんだろうか?
しかし。
「北斗、明るいと眠れない体質より、こういう料理作れる方が、年寄りくさい気がする」
「そうか? お袋、季節の物色々使うぞ。蕗とか竹の子とか、仕事先で貰ってたから」
「あー、竹の子食べたい。これからシーズンだよな、北斗は竹の子料理できる?」
「ん? …いや、灰汁抜きしてあるのなら使えるけど、皮付きはさすがに無理がある」
「すごい……灰汁抜きする事、知ってるんだ」
尊敬の眼差しになった俺を呆れるように見返してくるけど、普通十六才の都会の男子高生はそんなの知らないと思う。
俺は目が良いのを買われて竹の子掘りに連れて行かされたから、必然的にそういうのも覚えてしまっただけだ。
「じゃ、ばあちゃんに頼んでいい? 灰汁抜きの済んだ竹の子送ってって」
「俺はいいけど……田舎の野菜美味しいもんな。あんなに味が違うなんて思ってなかったから驚いた。ご飯も甘くて、一粒一粒独立して自己主張してる感じするし」
茶碗を箸で示しながら力説するのが笑える。「向こうで食べた時も美味しかったけど、あれは田舎だからだと思ってたんだ。けどおばあさんが送ってくれた野菜やお米、俺がここで料理してもやっぱ美味しいし、それに食費、すごく浮いてるの知ってるか?」
「そう? でも俺、お正月に貯金式にした時のまま、月一万しか払ってないよ」
二ヶ月同居してみて、一回ごと割り勘にするのは面倒だという事で、共同財布を作り、お互い月一万円ずつ入れて、足りなくなったら足すように支払方法を変えていた。
「俺もだ、けど三ヶ月で二万円以上越してきてる。おばあさんの送ってくれる分、安くついてるんだ」
そんな風に言ってくれるけど、もちろんそれだけじゃない。北斗のやり繰りが上手だからだ。
この菜の花のお浸しにしても、元はただだけど、こうしてしっかり食卓に彩を添えてる立派な一品だ。
俺はそう思っているんだけど、本人は全然気付いてないようで、
「二人にお礼したいんだけど、何がいいのかさっぱりわからなくて、瑞希に相談したいと思ってたんだ」
などと真剣に訊いてくる。
「んー、でもそんな事したら逆に気を遣いそうだよ、それでなくても北斗の料理の事話す度に『お野菜使ってくれて嬉しいけど、瑞希の為に申し訳ない』って言われてるし」
「ふーん、そういうもんかなあ。でも、なんか気持ちが落ち着かない」
「じゃあ夏休みに顔見せに帰ろうよ。それが一番喜ぶと思う」
「そんなんでいいのか?」
北斗は物足りなそうだけど、彼を本当の孫以上に信頼して可愛がってる二人だ。これ以上嬉しい事ってないと思う。
「それがいいんだよ、それに四時間かかるんだ。帰省だって簡単じゃない」
「わかった。なら今年も夏祭り行けるかな? 去年面白かったから、行くならその頃がいい」
「お前、また里香に無理難題押し付けられても………あ! やばいっ!!」
いきなり叫び声を上げてしまった。里香の名前が出て、思い出したんだ。
「何が?」
箸を止め、きょとんとして尋ねる北斗を見返して、夕べの一件で気付いた事を口にした。
「俺の成績表!」
「は?」
「ばあちゃんが全部まとめて、仕舞ってくれてるんだ」
「……はあ、それで?」
「里香が『見せて』ってせがんだら、ばあちゃん出してきそう」
心配顔の俺を、北斗が不思議そうに眺めながら、食事を再開した。
「なんだ? 夕べあんなに俺のを見たがったくせに」
「だから気付いたんだよ。人の成績は気になるだろ。年齢からいってそろそろ好奇心持ちそうだし相手はあの里香だ、早く取り返しておかないと……」
「荷物と一緒に送ってもらえば?」
慌てる俺に冷静な意見が出されたけど、
「絶対駄目! やぶへびだよ。一言でも言ったら、ばあちゃん…わざわざ出してきて見せそうな気がする」
「やっかいだなあ」
「夏休み持って帰る。北斗、覚えといて」
「人を当てにするのか? 俺、甲子園にいるかもしれないぞ」
悪い笑みを浮かべてからかう根っからの野球少年に、しっかり言い返してやる。
「北斗が行ってるなら俺だって行ってるよ。応援に」
ほんとにそうなったらどんなにいいだろうと思う。
もし甲子園に行く事ができたら、田舎に帰れなくても、成績表を里香に見られても、全然構わないのに。
「夏休み中野球するわけじゃないだろ? 二日くらい何とかなる。それに北斗の方が頼りになるし」
「………そしたらさ、もう一人…頼れる奴増やさないか?」
「え?」
箸を止めて話し込んでいた俺は、その意味深長な台詞に、口まで止まった。
「お前の担任の丸ちゃん、配布物遅らせる名人だって言っただろ?」
「うん」
「昨日みたいに親の印鑑とか、急ぐ書類とかあった時、瑞希は特に困るだろ? もしかしたら保護者のサインがいるのもあるかもしれないし」
「あ、それはそうかも……」
「藤木にお前の両親の事、話す気ないか?」
「………」
北斗がそんな事言い出すなんて思ってなかったから、面食らってしまった。
「あいつなら担任のフォローも上手にしてくれるし、何よりお前の信頼度高そうだ。藤木のこと、気に入ってるんだろ?」
「それは……うん。なんか気が合うんだ。俺が一方的にそう感じてるだけだと思ってたけど、一緒のクラスになってちょっと違う感覚で話してみて、藤木の方も同じように感じてくれてる気がした。長い付き合いになりそうな……予感?」
「『予感』!! 瑞希の口からそんなの聞いたら意外な気がする。全く縁のなさそうな言葉だ」
「………お前、朝から喧嘩売ってんのか?」
じろっと上目遣いに睨みつけると、北斗が大袈裟に驚いて見せ、余計な一言を付け足した。
「とんでもない。素直な感想を言っただけだ」
「…………」
ほんとに、何で俺にはこんなにあからさまに意地悪言うんだ?
やっぱ迷惑かけてる分、密かに仕返しされてるんだろうか?
ちらっと北斗の様子を伺うと、何事もなかったような顔をして箸を動かしている。
俺も、もそもそ食べながら、何となく居心地の悪さを感じていた。
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