それぞれの立場

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それぞれの立場

 翌日から平常通りの授業が始まり、俺の周囲は激変した。  総勢二百人の後輩が、俺に挨拶してくるんだ。  いや、それは当たり前なんだけど、みんな「吉野先輩」とか「瑞希先輩」とか、名前をつけて挨拶するのに驚いた。  はっきり言って俺の知り合いは駿だけ。後の一九九人はほとんどが初対面のはずなのに、なんで後輩は俺の名前知ってるんだ?   同級生ですら怪しいのに、今年度も後輩の名前を覚えるところから始まりそうだった。    一年生の元気一杯の声に「おはよう」と応えながら二年の教室に入ると、山崎がやってきた。  ほんとに去年と同じ。  一ーEでの記憶が重なった俺に、声までかけてきた。 「おう吉野、今年もえらい騒ぎ起こしてるじゃないか」 「何が? 『今年も』って、去年騒いだ覚えも一度だってないよ」  全然身に覚えのない事を言われて反論すると、 「あれ、自覚症状なしか?」  大袈裟に驚いてみせる。「新入生みんなお前に興味津々でさ、吉野の来る時間に合わせて来てる奴もいるんだぜ」 「なんでわざわざそんな事しないといけないんだ? これからずっと同じ学校に通うんだ。いつかは顔も合わせるだろ」 「いつかじゃ駄目なんだよ、今日じゃないと。かく言う俺ももう駿に会って来たぜ」 「え! ほんと? どうだった? っていうか何組? 俺も会いたい」 「一のA。だけど駿の為を思うなら今は止めとけ」  山崎にはっきりと行動を止められ、少なからずショックを受けた。  直接会ってきたせいか、自分はちゃっかり名前で呼び捨てにしといて、俺には『会うな』だなんて、随分勝手な言い草じゃないか。 「何で? 駿には俺しか知り合いいないんだよ?」 「あいつなら大丈夫だ。お前だって去年は本当に一人だったろ? なのに誰よりも早くみんなの心、掴んだじゃん」 「そんなことない。だって俺まだ同級生全部覚えてないんだよ、…申し訳ないけど」 「ま、あと二年もあれば何とかなるって」  肩を軽く叩いて励ましてくれるけど、気分は少しも晴れてくれない。 「でも……後輩も俺の名前、知ってた」 「それは自業自得だ。北斗に聞いたぞ。お前、坂元に名前言ったんだって?」 「坂元? …ああ、可愛い声の一年生?」 「そう、『坂元里穂』、そいつ気を付けろよ。見かけに反して情報操作の達人だから」 「はあ?」 「坂元に話した事は、一年生全員に言ったも同じなんだよ」 「ウソ! そんなの聞いてないよ」  「だから今、教えてやってんじゃん」  遅すぎるだろ!! という非難に満ちた俺の視線を綺麗に無視して、坂元のプロフィール(?)を教えてくれた。 「中学の時、あいつの同級生が面白がって対戦相手の資料頼んだら、120%以上の内容調べてきてさ、生年月日から好みの女の子のタイプまで。野球とどう繋がるんだって事まで書かれてたんで、キャプテンだった北斗も「やりすぎだ」って注意して、本人に返した事があったんだ」  俺の事でさえほとんど何も聞かなかった奴だ。  普通のデータ収集ならまだしも、見ず知らずの人間を探るような真似、黙認するはずがない。 「うん、北斗はそう言うかも。でも、合格発表で会った時、北斗からそんな険悪な印象は受けなかったけど?」 「あいつがいつまでもそんなの引きずる訳ないだろ。さっぱりしてるっていうか……ま、坂元に関心がないから何も言わなかったんだろうけど、まさか今日こんな騒ぎになってるとは、予想してなかったみたいだ」 「え、北斗にも会って来たのか?」 「もちろん」  当然、と言わんばかりに不適な笑みを浮かべ、「俺が何故、朝早く学校に来るか」  と、なぞかけをする。 「勉強が好きだからじゃない、って事だけはわかる」  真面目な声で答えると、睨む振りをした山崎に頭を軽く小突かれた。 「色んな情報を仕入れる為だ。たった一晩でも、何が起こるかわからないからな」  今度は好奇心たっぷりの笑みを浮かべて、「今日みたいに」と付け加える。  こいつの方が絶対一枚上手だと、つくづく思う。  だけど……困った。 「俺、その坂元って子に名前言っただけだけど、どんな事が伝わるんだ?」  これから先の事を思うと念のため聞いておきたい。  場合によったら本当に覚悟しといた方がいいかも……そこまで思い詰めていると、 「ああ、吉野の場合は大丈夫だ。ベースがこっちにないから」  平然と言い切った山崎の言葉に、ちょっと拍子抜けした。 「え、ほんとに? どういう意味?」 「情報収集の場合、坂元はターゲットの友達に近付いて、色々聞き出すらしい。女に迫られたら男の口は軽くなるんだ。なんでか」 「ふーん」 「おや、人事みたいな返事。吉野もそれでやられたんだろ」 「え、…俺、迫られてなんかないよ」 「でも坂元に話しかけられて、名前を言った。だろ?」 「う……ん、そうなるのか」 「あの声も曲者なんだよなぁ。なんか警戒心薄れるっていうか……」 「それ言えてる! ほんとに可愛い声だよな」  思わず同意すると、一瞬ポカンと見つめた山崎が、俺の両肩をガシッと掴んだ。 「吉野、それ絶対本人の耳には入れるなよ。背後霊の如く付きまとわれるぞ」  声を潜めて脅してきたけど、俺にはお前の台詞の方が怖いよ……。  不安げな顔に気付いたのか、そのままポンポンと肩を叩いて、手を離し口調を変えた。 「ともかく、だ。坂元もお前の田舎まで押しかけたりはしないだろ」 「…そう願いたい。後ろめたい事はないけど、プライベートを探られるの好きじゃない」 「まあな。悪気があるわけじゃないから、止めろとも言えないし。…情報に関しては完璧だから、あの趣味さえなかったら言う事ないんだけどな。ま、北斗の事も絡んでるし、吉野は必要以上に近寄るな」  最後の方は案外本気で俺を心配していたらしく、小声での忠告になった。 「ん…わかった、気を付ける。ありがと」  その事は山崎に感謝しつつも、もう一つの問題の方は、どうにも納得できなかった。 「だけど、何で駿に会いに行ったら駄目なんだ? 大切な後輩だよ、声かけるくらいいいだろ?」  鞄を持ったまま話し込んでいた事に気付いて、自分の席に向かいながら訊くと、山崎が俺に合わせて移動しながら呆れ声を出した。 「お前…本当に自分の事何もわかってないな。一年にとって吉野は今『客寄せパンダ』なんだよ。お前から一年の教室に顔出してみろ。それこそ駿に嫉妬の嵐が襲いかかるぜ。それでなくてもあいつ、もうクラスの女の子の注目の的になってたんだ。これ以上皆のネタ作りに協力してやることないだろ」  山崎の言う事にも一理ある。だけど、そんなに簡単に納得できそうな話でもない。 「………なんか息苦しい。行きたい所にも行けないなんて……」 「まあそう言うな。駿の事なら俺が逐一報告してやるから。俺もお前以上に駿の事は気になってるし、気に入ってるんだ」  そう言うと「じゃな」と手を上げ、また教室を出て行った。
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