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席に座り、山崎と北斗、二人の言葉を思い返してみる。
『頼れる奴増やさないか?』
『気を付けろ、情報操作の達人だ』
……どうしよう。藤木は信用できる、けど打ち明けることで、リスクを負わないだろうか?
俺の事情なんてそんな大層な物じゃないけど、それでも相手にしたら何のメリットもないし、負担になる可能性の方が高い。
その事を考え込んでいた俺は、藤木が声をかけたのに気付かなかった。
「吉野?」と、心配そうな顔で覗き込まれて驚いた。
「うわ! びっくりしたー」
「どうしたんだ? ぼんやりして。一年生に追いかけられて疲れた?」
「はあ? ……違うよ、考え事してただけ」
そう答えると、藤木が何か言いたそうに、じっと見詰めてくる。
「ん? 何? 何か用?」
「………話があるのは吉野の方じゃないの?」
「え!?」
心臓がドキンと大きく脈打った。だって頭の中で考えてただけで、まだ一言も口に出してないのに、藤木の方が誘いをかけてきたんだ。
何でこんなに鋭いんだ! どうしたらいいんだ?
まだ心の準備、できてない……。
内心で動揺しまくる俺に反して、藤木の方は溜息を一つ吐くと、俺の苦悩とは全っ然、関係ない事を口にした。
「……僕、聞き間違えたのかな? 今年剣道部、玉竜旗に参加するって聞いたんだけど」
「あ? ああ、その事! 出る出る。行くよ、福岡まで」
何の問題もない事を伝えるのは、なんて楽なんだろう……と、心からほっとして明るく答えた俺に、藤木の向ける視線はどこか冷ややかだった。
「……ふーん。今朝は一番にその報告聞けると思って、楽しみにして来たんだけど、吉野にとったらそれ程でもなかったって事か」
「そんな訳ないだろ、はっきり言って俺の……剣道してる奴みんなの夢だよ。だけど何で藤木がその事知ってるんだ? 一昨日の昼だよ、話あったの」
情報の伝わる早さに驚いて尋ねてみると、
「一日あれば十分なんだよ」
「………」
どこまでも冷たい返事。
こいつの事は、あまり怒らさない方がよさそうだ……。
でも、何でこんなに機嫌悪くなったのかわからないんじゃ、どうしようもない。
途方に暮れるような気分で視線を泳がせると、藤木がぶつぶつ言い出した。
「僕なんてさ、その事聞いてから、もし透の学校と当たったらどっち応援しようってずっと悩んでたんだよ。それなのに……一人で舞い上がって、なんか馬鹿みたいだ」
「ごめん。でも玉竜旗で当たるよりインハイの方が確率的には高いだろ?」
「そっちは吉野を応援するからいいんだ」
当然のように言う藤木に、慌ててしまった。
「ちょっ……なに言い切ってるんだ! 相手はお前の従兄弟だよ、それにずっと見てきたんじゃないのか? そんな簡単に宗旨変えしていいわけないだろ」
すると明らかに傷付いた顔をして、席に座り視線を落した。
「………吉野は僕が応援したら迷惑?」
「バカ言うな! 嬉しいに決まってる。けど……」
その続きを遮るように、ぱっと顔を上げ「よかった」と応えるけど、こっちは非常に複雑だ。
「いや、だからよくないって。俺、藤木さんに恨まれるよ」
「何で? 透は僕が誰を応援しても怒ったりしないよ。それに僕が吉野のファンだって事、知ってるから」
「はあ?」
何なんだ? その『ファン』って言うのは。今日の藤木、本当に様子が変だ。何かあったのか?
「どうかしたのか? 藤木、……いつもの冷静なお前じゃないよ」
不思議に思って尋ねると、頬杖をついた藤木が、意外な返事をしてきた。
「僕にとっても玉竜旗は憧れなんだ。その大会に今年、僕の大好きな奴が出る事になったんだ。冷静でなんかいられるかっての。それなのに肝心の奴がさっぱりなんだもんなー」
片肘をついてあごを乗せたまま、俺をじとっと睨んだ。
「……え…っと、『大好きな奴』って、もしかして俺の事?」
「正確には吉野の剣が、好きなんだけどね」
訂正された。
けど「俺が好き」って言われるより、断然嬉しい。
こんなにストレートに言われたのも初めてで、なんだか頬まで火照ってきた。
そんな様子を面白そうに眺める藤木の、まとっていた空気がやっと穏やかになった。
「最初はさ、透が見て来いってうるさくて、二学期に一度練習覗いたんだ。そこで……一目で釘付けになった。面を付けていても吉野はすぐにわかった。立ち居振る舞いっていうのか、身のこなしが抜きん出て綺麗で、格好よかった」
「藤木、褒めすぎ」
「本当の事だよ。透の試合を見に行っても、あんなにドキドキした事なかった。新人戦は見に行けなかったけど、インハイは絶対行く。福岡にも行きたいくらいだ」
「そんなに肩入れしてくれて嬉しいけど、何で自分はしないんだ? 剣道の事詳しそうだし、そんなに好きなら機会もあっただろ?」
不意に感じた疑問を何も考えず口にした俺は、その直後、自分の軽率さをまた深く悔いる羽目になった。
「……僕、子供の頃酷い喘息持ちだったんだ。今も完治したとは言えない。だから激しいスポーツは……怖い。あの発作の苦しさが忘れられなくて―――」
俺相手に、拗ねたり熱くなったりしていた表情が消え、怯えの色が僅かに浮かんだ。
「! ごめん! 知らなかった。無神経な事言って、ほんとごめん」
頭を下げて謝る耳に「思った通りだ」と呟く声が届いた。
反射的に藤木に目を遣ると、俺の反応に満足したような顔で何もなかったみたいに鞄を開け教科書を出し始めた。
「謝る必要ないよ。吉野が喘息の事知らないの、僕知ってるから」
ふざけるように、明るく返す藤木の顔が見れなくなった。
何で藤木がルールとかについて詳しかったのか、やっとわかった。
好きだったんだ、剣道が……。
藤木さんが始めて好きになったのか、藤木が好きになったから、藤木さんが始めたのかわからないけど、二人の間に何らかの繋がりがあるのは確かだ。
俯いてぎゅっと握った拳をじっと見つめていると、一時間目の用意を終えたらしい藤木が、いつもと変わらない口調で続けて話してきた。
「一昨日、吉野が僕をクラス委員に推してくれたの、実はすごく嬉しかったんだ」
「……嘘だ、だって藤木にとったら負担にしかならないじゃないか」
あの日、すぐに反省した事もあって強く否定すると、
「他人から見たらそうかもね」
あっさり答えた彼が、俺の全然知らなかったこれまでの自分の経緯を打ち明けた。
「今まで友達は僕の病気知ってたから、気遣ってくれて、推薦とかはもちろん、何かの役に付く事もなかったんだ」
その言葉に驚いて藤木を見た。こんなに人をまとめるのが上手で、頭のいい奴が?
俺の気持ちを察したのか、やっと嬉しそうな笑顔を見せてくれる。
「去年、体験学習のリーダーは、高校生にもなってそんな……みんなに庇われるような自分が嫌で、思い切って立候補したんだ」
「そうだったのか。本当にそんな事、思いもしなかった。だって誰よりもしっかりしてた」
一年前感じた事をそのまま口にしたら、藤木がふふっと小さく笑い、当時の心境を明かした。
「北斗が代表の挨拶辞退して、代わりにやっただろ。普通なら大役を終えてほっとするのに、あの日からずっと憂鬱だった。なのに、吉野が電車で声を掛けてきて、名前覚えてくれてたのが嬉しくて、あれから北斗に感謝したよ」
クスクス笑いながら「現金だよね」と言う。「だけど、自分から動く事で周りの見る目が違ってくるって、吉野が気付かせてくれたんだ。だからリーダーやりたいって思った」
あの時の藤木にそんな悩みがあったなんて、全然知らなかった。
マリンパークは初めて行く場所だったし、心細かった時に自分の知ってる奴が一人で電車に乗って来て、つい声を掛けたんだ。
「先生は心配だったみたいだけど、あれくらいどうってことなかった。全力で走ったり跳んだりする訳じゃないんだ。それに…すごく自信のなさそうな奴がグループにいてさ、何かにつけて僕を頼ってきたんだ」
体験学習の事を思い返して、俺をからかう。
「……うん。頼りまくってた」
「なんでこんな奴が僕なんか頼りにするのか……さっぱりわからなかったけど、リーダーっていうのがそういうものなんだって思ってた」
「………」
そうだったんだろうか、それだけじゃない気がする。リーダーじゃなくても、藤木がいたら俺はきっと声をかけていた。
その思いを伝えるより先に彼が続けた。
「でも一昨日、吉野が『藤木がトップなら安心してついて行ける』って、クラスに持ちかけて……びっくりしたけど、すごく嬉しかった。みんなが賛成してくれたのはもちろんだけど、吉野のくれた言葉が何よりね」
そう言って穏やかな眼差しを俺に向けた。「スポーツとか一緒にできないの知ってるのに、吉野の呼びかけで僕を認めてくれたんだ。あんなに嬉しかった事ってなかったし、本当に吉野と一緒に委員、したかったよ」
少しだけ残念そうな顔をした彼に何て言えばいいのか、自分の言うべき言葉を探した。
「……そんな事言われたら、何て返事していいかわからなくなる。……けど、ありがとう藤木。俺、委員はできないけど、代わりにもっと剣道頑張るから、見ていてくれるか? …じゃなくて見てて欲しい」
その決意を受け止めた藤木が、正面から俺を見返した。
「もちろん。透になんか負けるなよ」
「……それは何とも」
「じゃあ、透に当たるまで負けるな」
「うん。それなら少しは望みあるかも」
答えながら決めた。
藤木には俺の事、自分の口からちゃんと伝えたい。
「藤木、今日の昼食一緒にどう?」
尋ねた俺に「いいよ」と、屈託のない笑顔を寄こしてくれた。
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