それぞれの立場

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 先に食べ終えて、自販機横のゴミ箱に包みを捨てに行き、ついでに二人分のお茶を買おうと上着のポケットから財布を取り出していると、がやがやと話し声がして、数人の学生がこっちに歩いて来るのが見えた。  一体誰の悪戯か……駿と久住や渡辺達、合格発表の時に会った面々だった。 「あれ、吉野先輩! 何してんです? こんな所で」  朝から何度となく呼ばれた俺の名前。でも自分も相手を知っていると、すごく心強くなれる。 「渡辺達こそどうしたんだ? 辺境まで来たりして」 「うわ! 先輩、僕の名前もう覚えてくれてんの? めっちゃうれしー!」  明るい。こんな子が駿の傍にいてくれたら、ほんとに何も心配いらない。 「自分から一番に自己紹介したじゃないか」 「そうだけど……でもまさか先輩まで覚えてるなんて思わなかったから……」 「駿の大切な仲間だ。久住と…高木、橋本に瀬戸もな」  居合わせた子の名前を呼んで笑いかけると、それぞれが何とも形容しがたい表情をし、  それを見て益々笑いがこみ上げてくる。そんな俺に、西城のブレザーを誰よりも自然に着こなした駿が複雑な顔をして話しかけてきた。 「瑞希先輩、後輩をからかわないで下さい」  半分呆れて苦情を言う。だけどこのメンバーに会って、初めて一年生を可愛いと思えた。 「ごめん。俺、今やっと二年生になった事、実感したんだ。今朝から百人以上知らない子に名前呼ばれて、挨拶されて……ちょっとナーバスになってた。山崎に当分駿には近付くなって言われるし、それもショックで……」 「え……」 「あー、でも俺もその方がいいと思います」  目を瞠った駿の横から口を挟んだのは久住だった。「すみません。坂元のせいで、なんか一年の間で吉野先輩すごい事になってしまって……」 「何?『すごい事』って」  いつの間にか食事を終えた藤木が、俺の隣から口を挟んできた。  お互いよく知ってるんだろう。目を見交わすだけの挨拶をして、久住が続けた。 「その…二年生の吉野瑞希って人がすごいイケメンで、笑顔が素敵でどうのこうのってふれ回って、みんな好奇心丸出しで…先輩が教室に入るまでに一目見たかった、と………」 「『イケメン』って?」  意味がわからなくて尋ねると、後輩が一斉に冷たい視線を寄こした?  駿だけが軽く溜息を吐いて、説明してくれる。 「いけてる男、要するにかっこいいっていう様な意味合いです。でもくれぐれも他の人には尋ねないで下さい。先輩が訊くと、はっきり言って嫌味ですから」  冷静な声で平然と言い放つ駿を、藤木が面白そうに眺め、 「相原! お前、先輩に向かってすごい事言ってるの、わかってるか」  上下関係をきっちりしていそうな久住が驚いて止めさせるけど、『イケメン』の意味を知った俺は、さっきの久住の言葉でやっと山崎の言っていた事を理解した。 「ああ、『客寄せパンダ』! なるほど、ぴったりだ」  一人受けて笑い出した俺を見て「何事?」と不思議顔で尋ねる藤木に、山崎との会話を教えた。 「今朝、藤木が来る前、山崎に言われたんだ。一年にとって俺は今、客寄せパンダだから、自分から駿に近付いたりしたら駿の方が被害を受けるって。その時は訳がわからなくて息苦しさだけ感じたけど、今…久住に言われて、やっと俺の置かれた状況がわかった」  そう答えて駿に視線を移した。「俺、山崎の言う通り、駿の所には当分行かない方がいいみたいだ。けど、大丈夫だよな」  五人の同級生をゆっくり見回して聞くと、みんなそれぞれに頷いてくれる。 「心配要りません、先輩。今…会えたから」  にこっと笑って返事する駿の笑顔に、胸が詰まった。  駿も俺に会いたくて、でも会えなくて……その想いを(こら)えていたと気付き、堪らなくなって歩み寄り、肩を強く抱きしめた。 「傍には行けないけど、ずっと見守ってるから、何かあったら俺を呼んで。いいか、絶対一人で抱え込むなよ」  耳元でそれだけ告げて身体を放すと、見返した瞳が安心したように(やわ)らいだ。  高木達が駿の肩を叩いて「よかったな」とか「同じ中学行きたかったよー」などと口々に声をかけてくる。 「俺達、先輩に会えなくて落ち込んでる駿に、奢ってやるつもりでちょっと遠出してきたんです。部室の下見も兼ねて」  久住に、ここに来た理由を簡単に説明され、この後輩達にもささやかながら入学祝いを兼ねて缶ジュースをご馳走してやった。 「それじゃ、遠慮なくいただきまーす」  渡辺が音頭を取り、八人で乾杯する。  カツン、カツンとあちこちで缶をぶつけ合い、勢いをつけ過ぎてこぼれる中身に、明るい笑い声が起こった。 「入学おめでと。でもこの事は他の一年には秘密な」 「うわ、吉野先輩と秘密を共有できるなんて感激! なんかこれから先、もっとすごい事が起こりそうな気がしてきた」  ジュース一本奢っただけでここまで盛り上がれる渡辺に、感心してしまう。  アルコールは入ってないはずだけど……。 「なんか悪いな、吉野。僕までご馳走になっちゃって」 「元々藤木にお茶を買おうとしてたんだ。俺が付き合ってもらったんだ。これくらいしないとバチが当たるよ」  謝る藤木に答えると、何故か一年の間からどよめきが起きた。「何? どうかした?」 「吉野先輩の口から『バチが当たる』なんて言葉が出たら……すごい違和感、感じます」  久住が遠慮気味に言い、 「そうそう、それにその玉露茶。何で先輩がお茶? 微糖のコーヒーとかの方が絶対似合ってるって思うよな?」  遠慮の欠片もない言い方で、渡辺が駿の肘を突付いて同意を求めるけど、 「――瑞希先輩はずっとこうだ。前からお茶が大好きで、流行語より古い言葉の方が断然詳しい。それに……」  言い淀み、すり替えて言い切った台詞は、みんなの度肝を抜くものだった。「……それに、誰より鈍感だ」 「駿ッ!! また……何言い出すんだ、お前は――」  駿が俺を『鈍感だ』と言った事より、久住が駿を呼び捨てた事に驚いた。  駿も初めて名前で呼ばれたのか、びっくりして久住を見ている。    田舎の同級生ですら、駿を名前で呼ぶ奴はいなかった。  駿が友達との隔たりを感じた、一番の理由。  おじさんの死後、みんな急に彼の事だけ、苗字で呼びだしたんだ。  そんな事されて傷付かない人間なんかいるはずないのに……  目に見えないものへの怖れは、人をたやすく残酷にさせる。  一人一人はほんとに素朴で、ごく普通の後輩だったんだ。  だけど、駿との仲は、もう修復される事はない。  だからこそ、何年ぶりかで同級生に名前を呼ばれた駿の喜びが俺にはわかる。    ありがとう、久住。  彼らも出会って三日目だけど、この後輩達の中で駿は自由に呼吸している。  それが、何より嬉しかった。  北斗の信頼している後輩を、俺も誰より頼もしく感じていた。
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