ささやかな贈り物

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ささやかな贈り物

   その日の夜。  バイトを終えてランディーを連れ、いつもの散歩兼素振りを済ませて帰ると、九時半を過ぎていた。  二年生としての部活の初日がすごく刺激的だったせいか、何となく部屋で一人宿題をする気にならず、ダイニングで北斗を待ちながらやることにした。  取り合えず提出物だけは出さないと、成績に響いたら即バイト停止だ。 月五万円前後のバイト代は俺にとって大きな自信だ。  何もかも一人でやっていく事なんてできないけど、疲れた時、自分を信用して仕事を任せてくれる仁科さんを思うと、負けるもんかって気になる。  田舎の温泉で、孝史に、流されそうな自分を保つにはどうしたらいいのか訊かれ、考え込んでのぼせてしまった事もあったけど、今なら一つは言える。  自分を信頼してくれる人を裏切らない。  それだけでも十分心の支えになる事を知った。  時計の秒針がやたら大きく聞こえていた俺の耳に、ランディーの鳴き声が届いた。  三回、北斗だ。  急いでホールまで行ってつっかけを履き、鍵を開けて「お帰り」と出迎えると、そこにいるはずの姿がない。 「あれ……北斗?」  外に出て、キューン、キューンと甘える声で、居場所がわかった。  リビングの東側、自転車が二台並んだカーポートから奥を覘くと、ダイニングの明かりが漏れる場所に北斗がしゃがんで、ランディーの身体を撫でていた。 「お帰り、北斗」  背中に声を掛けたら「ただいま」と、返事だけ返してくる。 「寝る前にこうやって触らないと、なんか落ち着かなくて」  知らなかった。  今までダイニングで宿題した事なかったから、気付かなかった。鍵も北斗が自分で開けていたし。 「……もしかして、俺が散歩に行きだしてからずっと?」 「いや、そうでもない。今日は駿の報告も兼ねてる。こいつ、駿を気に入ってるからな」 「あ、やっぱり? 妙に懐くよな。山崎にはそうでもないのに……何で?」 「さあ、…ランディーに訊いてみろ」  からかっているのか……横顔に目をやると、労わるような眼差しで、ランディーの毛を梳いてやってる。  冗談で言った訳ではなさそうだ。 「……うん、そうする」  俺も隣に座って、話しかけてみた。「なあランディー、お前…駿が好きか?」  真っ黒い、無垢な瞳を覗き込むと、心なしか嬉しそうに見える。「駿はお前が好きなんだって。よかったな」  頭を撫でながら、ふと思った。「こいつ、淋しい奴がわかるのかな?」 「そうかもな。そういうところ、人間より敏感らしいから」 「そっか」  俺も一年前、どうしようもなく淋しかった。そこへランディーが真っ直ぐに走ってきたんだ。 「俺、お前と会って淋しくなくなったよ。とんでもない奴を連れて来てくれたし」 「……それって、俺の事か?」 「北斗以外誰がいるんだ?」 「…………」  首を傾げて訊き返す俺に、無言の視線を送ってきた。  それを見てクスクス笑いながら、いつものように頭をポンポンと叩いてやった。 「駿もきっともう淋しくないよ。最高に頼もしい仲間ができたからな」  すると、その言葉を理解したのか、首を持ち上げて頬を舐めてきた。 「『頼もしい仲間』って?」 「合格発表の時会った北斗の後輩。もう駿と打ち解けてた」 「ああ、あいつらか。みんな今日入部届け出しに来たぞ。明日から早速練習に参加する」 「今日は? どうだった?」 「見学だけ。でも…どっちが見学してるんだって感じだった」 「え、どういう意味?」 「去年のお前と一緒だ。上級生は誰も駿を知らないから、『あいつ誰だ』って……久住や渡辺が親しげに話してたから、余計気になったみたいだ。お前に見せてやりたかったよ」  楽しそうな口調、それとは対照的に、自分の声が少し沈んだ。 「そう。でも俺、当分駿の所には行かないって決めたから、どっちにしても無理」  言い方に翳りを感じたのか、俺に憐憫(れんびん)の目を向けた北斗が、先に立ち上がった。 「駿もそんな事言ってたな。中入ろ、お前の話聞きたい。藤木に打ち明けたんだろ?」 「それも知ってるのか?」  歩き出した後姿を追って訊くと、 「久住達と会っただろ、裏庭で」  昼休みの事は知らないはずの北斗が答えた。「渡辺が教えてくれた。瑞希に奢ってもらった事もな」  話しながら玄関前のアプローチを上がり、ドアを開け、先に入るよう促す。 「そう」と頷いて中に入り、つっかけを脱いでホールに片足を掛けたところで、背後から突然、押し殺したような含み笑いが響いた。 「何だよ、気味悪いな」  嫌そうな顔で振り向いたら、俯き気味にまだ笑いながら北斗が渡辺の言ったらしい台詞を口にした。 「――『名前覚えててくれただけでも嬉しい驚きだったのに、ジュースまで奢ってもらって、乾杯し合って、昨日の入学式より感激した』って。その話になったらみんな興奮しまくって大変だったんだぞ。瑞希、愛想よすぎ」  靴を脱いでスリッパに履き替えた北斗が横に並び、頬を指でつついていく。  だけど俺、普段は絶対そんな事しない。藤木と重なったのもあるけど、 「北斗の信頼してる後輩だ。それに駿の友達だし、何より俺が彼らを気に入ったんだ」  きっぱり言い切ると、驚いたように目を瞠った北斗が、本当に嬉しそうに微笑んだ。    
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