不協和音

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 言われた通り防具を外し、弧を描くように正座した俺達に、その中心に座った先生が淡々と告げた。 「こんなに雰囲気の悪い中で稽古を続けても意味ないからな。その代わり言いたい事は全てこの場で吐き出してしまえ、後日に残すな。明日から部活は休みに入る。試験明けまでこの状態が続いたら、全国なんか行けるはずもない」 「他の奴は無理でも吉野が行くだろ。これだけ目も手も掛けられてるんだ。きっといい成績残してくれるよな」  即座に反応した嫌味丸出しの古谷(ふるや)先輩を、隣に座る本城が俺の代わりに睨みつけた。  という事は、後の一人は古谷先輩だったんだ。  それまで中心人物が誰だかわからなくて、ただ漠然としていた不安が、はっきりと形を成していく。  噂していた三人の内、二人からは完全に疎んじられているみたいだ。  だけど、きっとそれで終わりじゃない。  ……あと何人から、こんな台詞を浴びせられるんだ。  唇を、血が滲むほどきつく噛み締めて俯く俺は、この場から逃げ出す事もできない。  そんな事したら久保や本城、新見を裏切ることになる。  その思いだけで、何とかこの場に留まっていた。 「吉野、黙ってないで何とか言って。でないと立場もっと悪くなっちゃうよ」  本城が稽古着の袖を引っ張って必死に訴えるけど、白井先輩に言った以上の言葉なんて、もう俺には浮かばない。 「言う事なんて……何もない。何言ったって伝わらないなら、話す必要なんかない」 「伝わるか伝わらないか、言ってみないとわからないだろう」  左側に座る三年生の中、相模主将が自暴自棄になった俺を諭すように話しかけてきた。 「俺は二人が付き合ってるなんて思ってやしないし、まして吉野が先生に誘いをかけて、その見返りに稽古をつけてもらってるなんて噂は論外だ」  初めて耳にしたらしい先生が驚いた顔で主将を、次いで俺を見た。  こんな場で、そんな事を口にされただけで頬が熱くなる。  赤くなったのを自覚し顔を背けた俺の態度に、またこそこそと話しだす部員をあえて無視して、主将が続けた。 「だが、たとえ馬鹿馬鹿しくても、一度疑いをもたれてしまったらそれを晴らす為の努力はしろ。簡単な事だ」  そこで言葉を切った主将の意図が掴めず、心の内を図りかねていると、 「シャワーを使って急いで帰宅する訳。それさえ説明してくれたら皆納得するんだ。こんな噂が出たのも、家に帰るだけのお前がいつもわざわざ部室で身奇麗にするからだ」  確かに、最も簡単でわかりやすい解決策を提示してくれた。  でもそれは、俺の一番言いたくない事だ。  バイトはまだいい。でも両親がいないと知られたら……坂元以上に興味本位で近付く奴が出てくるかもしれない。  そうなったら同居もすぐにばれてしまう。  今まで気にも留めなかったけど、学校側は許してくれるだろうか。  何より、これまでのような穏やかな生活なんて送れるわけない。相手はあの北斗だ。 「相模さん、吉野は一年の時からずっとそうだったって、俺…何回も言いましたよ」  返事を返せないでいた俺の代わりに、思いがけず久保が庇ってくれた。  けど、白井先輩がすぐにそれを無効にしてしまう。 「久保の口から何回聞いても意味はない。そうやって今までと同じ振りをして、お前を利用しておいて、実際は監督と会っていたかもしれないだろ」  冷淡な声で俺と先生との仲を作り上げていく先輩に、まるきりその可能性がないとは言えず、久保ももう何も言えなくなってしまった。  俺も……勘違いとはいえ久保を引っ掛けた振りをした事を、今になって心底悔いた。  また騙されたと久保が受け取ったら、もう二度と信用してくれないかもしれない。  でも、ありもしない監督との仲を否定する、そんなものの為に自分のプライベートを明かさないといけないのか?   どこまで?   どこまで話したら皆納得するんだ。  大体、ここまでこじれてしまったら、打ち明けたからといってすんなり信じてくれるとも思えない。  言いたくない、……言えない。  やっと手にした北斗との大切な時間(とき)が、壊れてしまう。  俺は、一体どうすればいいんだ!? 「いい加減にしろ、白井。俺は吉野の潔白を知っている。『言いたい事は全て吐き出せ』と言いはしたが、大切な後輩をどれだけ侮辱し傷付けているか、わかってるのか?」  失うものの大きさに怯え黙してしまった俺を救ったのは、他でもない監督だった。  それまで口を挟むことなく成り行きを見守っていた千藤先生が、厳しい表情で白井先輩を叱責した。 「嫉妬するのは勝手だが、それで相手を傷付けていい理由にはならないぞ。好きな子を苛める子供と同レベルだ。お前らの不満がそんな事なら、このミーティングは何の意味もない」  そう言い切って、部員全員に視線を巡らせた。 「他の皆も、俺は吉野の稽古について最初に言ったはずだ。『当面は俺が相手してやる』と。白井は聞かなかったのか?」 「……いえ、聞きました。でも――」  言いかけた先輩を手で遮った先生が、突然思いもよらない事を明かした。 「実は、吉野の事は小学生の頃から知っていたんだ」  一瞬、何を言われたのかわからず、ぽかんと口を開けてしまった。 「面白い奴だと仲間内で評判だったからな。大小さまざまだが、出る大会全て三位以内の成績を修めてきたんだ。興味持って当然だろ?」  さっきまでのきつい表情とは打って変わり、白井先輩の台詞を逆手に取って、楽しそうに目配せして見せる。  だけど俺は、あまりの驚きに瞬きすら忘れて監督を凝視した。 「先に断っておくが、ひいきじゃないぞ。俺は後輩を指導する立場でもある。才能のある者を見出し、今以上に伸ばして後に継がせる役だ。この国の国技…相撲や柔道と同じ、絶やすわけにいかないからな。そこでここに赴任して、噂の吉野を直に見て、お前達と同じに惹かれたわけだ。そうだろ? 白井」 「………」  問いかけられた先輩は何も答えず俯いてしまったけど、俺には先生の言ってる意味が理解できない。  先輩が嫉妬していたのは俺に対してだったはずだ。  それなのに先生はまるきり反対の内容で白井先輩をからかった。 「お前がさっき言った台詞、俺には『俺達から吉野を奪うな』と聞こえたぞ」 「え……」 「な……なに勝手に解釈してんだ! そんな事、一言も言ってないだろ!」  怒気も露わに真っ赤になって叫ぶ先輩を、先生が軽くあしらった。 「ハハ、まあいいさ。お前の言うように少々入れ込み過ぎたのは確かだからな。久しぶりに童心にかえって剣道を楽しめた。若い者の相手するのはやっぱりいいもんだな」  あまりにもにこやかに話す千藤先生に、部内の棘々した空気さえ和らいでくる。    ……大人なんだ、この人は。  初めから噂なんか気にも留めてないし、相手にもしてない。  大人の余裕と懐の深さで疑惑を払拭させてしまった。  だから本城は監督に、ありのままをぶつけたんだ。  和みつつある部内の空気に安心したように、「監督……いいですか」と遠慮気味に手を上げたのは、地区大会団体で驚異の活躍をした一年生の「佐倉 玲(さくら れい)」だった。 「僕、監督と吉野先輩の一本試合見て、即入部を決めました。先輩に剣道習いたいって思ったんです」  ――俺に…習う……?   一年からも自分の名を出された上、佐倉の入部理由が俺にあると聞いて、今度は複雑な思いに囚われた。 「僕は噂の真偽なんてどうでもいい。でも、一ヶ月経つのに、吉野先輩あいさつ以外一度も僕達に声掛けてくれなくて……もちろん自分はまだまだ下手で、とても及ばないのは知ってます。先輩の稽古が一番ハードで、僕達に裂く時間なんかほとんどない事も。だけど楽しみにしてたのに、ちょっと残念で……」 「な?」と、隣に座る同級生に同意を求めるけど、俺にとったらそれこそ心外だ。  そんな事したら先輩との間に完全に亀裂が入ってしまうだろ、と言いたい。いや、言わないと、そう思い口を開こうとして先生に先を越されてしまった。 「そうだな。問題は俺と吉野の関係より、そっちの方が深刻なはずだ。そうだろ、吉野」 「え? 何を――」  話を振られたけど、意味がわからない。西城では新入生を見る役は三年生だ、俺なんかが口を出すような事じゃない。先生は着任したばかりだからそれを知らないんだ。  そう気付いて顔を上げると、先生も俺をじっと見詰め、意外な事を訊いてきた。 「まだ…他の奴の指導、できないのか?」 「どうして……その事……」  戸惑う俺に重なる小さな囁きが、一年生を中心に波紋のように広がった。 「佐倉と同じだ。お前から誰かに教えたり注意してる姿、一度も見かけなかったからな。普通、吉野クラスになったら相手の癖や弱点くらいすぐ気付いて、指摘する事なんかわけないのに、お前はわざと避けて触れようとしない。西城にとっては大きな損失だ」  腕を組み、瞑想するように瞼を閉じた彫りの深い精悍な顔に、不似合いな影ができた。 「――性格的に他の奴はどうでもいいと考えているなら、指導者には向かないし、こっちも気にかけるだけ無駄というものだ。だが、吉野はそうじゃない」  俺以外の二年生がうんうんと頷くのを見て、口元に笑みを浮かべた監督が、表情を改め真剣な口調で訊いてきた。 「吉野にとって、こいつらはどういう存在だ?」 「どうって……仲間だと…思ってます」 「本心からそう言えるのか?」  射るような眼差しで問う先生に、俺は…頷く事が……できなかった。 「――剣を交える相手として、部員が増えるのは楽しみだったし、強い後輩が入部してきたのはすごく嬉しいです。それに同級生は仲間としても信じられます。先輩も、大丈夫だと……思えるようになりかけてた。でも……」  先輩の方が俺を疎ましいと感じているなら、仲間だなんて言えない。  そう思ってしまうこの気持ちも……言えるわけがない。 「後輩の事は、まだよくわかりません」  先輩に対する今の思いは隠しても、後輩については本当の事を言うしかなかった。  社交辞令が通用する監督(ひと)じゃないのは、最初に会った時からよくわかってる。 「だろうな。まあ本心を見せてくれただけよかったと言うべきか」 「どういう事です? ……監督、吉野に…何か?」  相模主将が心配そうな声で監督を見る。  だけど俺にとっても、何一つ知らないはずの先生がどうして急にこんな事を言い出したのか不思議だった。 「吉野のこれからの為にあえて言うが、こいつは他人に教える事ができない。というよりできなくなった」 「――『できなくなった』、という事は過去にはできていたという事で、先生はその理由……というか原因? 御存知なんですね」 「ああ。中学の時の監督に話を聞いた」  いつの間にか俺抜きで話が進んでいき、その流れは急すぎてついていけない。  監督、高橋先生と話したのか。一体何を?   思い当たる事が見出せず、ただ黙って座る俺に代わり、相模先輩が主将として説明を求めた。 「話していただけますか? 剣道部の今後にも大きく関わってくるはずです」 「もちろん。半分はその為のミーティングだからな」  言い置いて部員を見渡した先生が、北斗にさえ打ち明けていない俺の過去を語り始めた。
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