不協和音

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 部室に引き上げ、自業自得とはいえシャツについたしわを気にしながらも急いで着替え、バイトに遅れるのを承知で相模主将の後を追った。   各部の部室裏手―一ヶ月前、久保がしゃがみ込んだ辺りで追いついて声を掛けると、先輩が他の人達と別れ、俺に合わせて自転車用の通学路を下ってくれた。    ブレーキをかけながらハンドルを握り、話し出すタイミングを計りかねていると、主将に「それで?」と用件を促された。 「――あの、さっき……ありがとうございました」  追ってきた理由(わけ)を口にする前にミーティングでの事を謝ると、俺をちらっと見た主将が、小さく首を振った。 「ああ、いや。俺こそ監督不行き届きで申し訳ない」 「そんな事ないです。それに……どうしてですか?」 「え? 何が?」 「久保の事。相模さんに頼まれたって聞きました。何でそこまでしてくれるんです?」 「あれ? なんだ、ばれてたのか。まあ久保にしてはよくもったな」  可笑しそうにクスクス笑う主将を見つめた。 「理由は、俺にもわからないんだ」  久保と同じような事を言われ眉を潜めると、主将がもっと理解に苦しむ事を告げた。 「実は俺も頼まれたんだ。矢織さんに」  ガツッ。 「()ーっ、………」  最も尊敬していた前主将の名前が飛び出して、足元への注意がおろそかになった瞬間、ペダルに向こうずねをしたたかぶつけた。  孝史達に自転車の特訓を受けて以来、久々の激痛に思わずしゃがみ込むと、主将が咄嗟に自転車を支えてくれる。  笑いを堪えながら「大丈夫か?」と見下ろされ、「何とか…」と返事して、上目遣いに続きを促した。 「いつだったかな? 吉野が入部してほんとにすぐだった。『何も聞かず頼まれてくれ』と頭を下げられた。けどお前のこと全然知らなかったし、俺が残ったら不自然だろ? だから後輩の中で一番親しい久保に頼んだんだ」 「矢織さんが……頭を下げた――」  益々わからない。  どうして矢織先輩が面識もないただの新入部員の俺に、そこまでしてくれたんだ?   うずくまったまま考えていると、頭上で先輩が続けた。 「理由は聞かないで欲しいって言われたんで、部の揉め事を極力作らないように主将として先手を打ったのかと勝手に想像していたんだが――」 「……俺って、そんなに問題児に思われてたんですか」  ちょっとショックだ。揉め事を起こすつもりなんか、これっぽっちもないのに……。  だけどさっきの事にしても、半分以上はやっぱり俺のせいなんだよな。  ようやく立ち上がり、先輩から愛車を受け取って……しょんぼりと項垂(うなだ)れ、また道を下り始めると、「手の掛かる奴」と言いたげにちらっと俺を見て溜息を一つ吐いた先輩が、さっさと話を元に戻した。 「とにかく……さっきお前の両親の事とか聞いて、少しわかった。矢織さん、吉野のそんな事情知ってたんじゃないか、と」 「え…嘘だ! だって誰にも話した事なんかない……です」  顔を上げ強く否定すると、先輩も軽く頷き返した。 「真相はわからない。でも俺はそう感じた。――この街に突然やって来た、中性的な顔立ちの、一見近寄り難いけど、どことなく自信がなくて不安そうな『吉野瑞希』。西城の学生はそんなお前に興味持っていたからな。だけど後で考えて、その当人が入部したからといって、それくらいであの人、後輩の俺に頭まで下げるだろうかと思えて……吉野の剣技を知って益々混乱した。なんでこんな強い奴、見守る必要があったのか……」  まだ明るい初夏の街並みを見下ろして、一年前を思い返す先輩を黙って待った。 「――自分が主将になって、今年入部した佐倉、あいつ去年の吉野に何となく似てる。顔なんかお前よりずっと童顔で可愛い部類だけど、俺はそこまでしてやる気にならない」 「はあ……」 「で、俺の結論。だから、矢織さんは全部知っていたとしか思えない。誰も守る者のいない吉野の身を案じて、万が一にでも何か事が起こるのを防いでいたんだ」  自分の考えを率直に話してくれた。  だけど、それは裏付けの取れた真実じゃない。 「……そうですか。じゃあ先輩も頼まれただけで、真相は本当に知らないんですね」 「まあそういう事だ。すまないな」 「いえ、とんでもない。俺の方こそ、なんか……すみません。知らない内に煩わせてたなんて、申し訳なくて……」 「吉野の気にする事じゃない。こっちが勝手にやってるだけだ」  そう言うと、視線を眼下の街に移した。 「もう行け、急ぐんだろ? それと……悪かったな。皆の前で泣かせるような事を訊いたりして」  少しためらいがちに謝罪を口にされた途端、醜態を思い出して頬が朱に染まった。  フルフルと首を振り、一礼して自転車に跨ると、傾斜に任せて坂道を一気に下る。  俺を見守る温かな視線を背中に感じて、これからの自分の先輩としての立場に、思いを馳せずにはいられなかった。
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