不協和音

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「そんな事があったのか、…なら今日はすごく貴重な一日だったな」  ベッドに並んで座り、宿題が片付くのを見計らって入れてきたコーヒーを飲み終えて、そう感想を洩らす北斗に「うん」と、相槌を打った。  噂話の方のミーティングを中心に、ここに来ないでいた四日間の事を一通り話しただけで、日付が変わっていた。 「でも一言くらい相談してもよかっただろ。俺…本当に気が気じゃなかったんだからな」  空になったカップを手にぶつぶつ文句を言う北斗を、解せない気分で睨みつけ、 「それならそっちから声かけてくれよ」と言いそうになって、無理か……と思い直した。 「うん……ごめん。俺もやっぱり聞いて欲しかった」  素直に謝ると、北斗が柔らかな笑顔の中に、なぜかほんの少し淋しさを漂わせて呟いた。 「それにしてもよく和解できたな、瑞希。よかった、…凄いよ、お前」 「解決してくれたのは千藤先生と相模主将だよ、それに本城。俺、何もしてないどころか、何で皆納得したのか、実は未だにわからないんだ。…白井先輩にはもっと軽蔑されたし、……それに学校中に噂が広まってるなんて、ほんと全然知らなかった」  なんでこう鈍いのか、自分でも嫌になるけど、同級生の態度には少しも変った様子なんてなかった……と思う。  ほんの少し…だけど、落ち込んだのを察したのか、こつんと頭を小突かれた。 「当たり前だ。他の学年の奴は知らないけど、二年でそんな噂を鵜呑みにする奴なんかほとんどいやしない」  北斗がベッド横のサイドテーブルに、空になった二つのカップを置きながら、思い出したように付け加えた。 「――ああ、付き合ってるっていう方は、半分ほど信じてショック受けてたけどな」  ……事実か冗談か、冗談だと思いたい。  まったく、せっかくの共学なのに、どうしてそういう発想が出てくるんだ?   山崎達の『女の子大好き!』っていう方が、絶対普通だし理解できる。 「なんか、学校行くの恐いよ」 「そうだな、もうちょっと長引いて他の先生の耳にでも入ったら、まずかっただろうな。でも大丈夫だ」  自信ありげにはっきり言い切られると、つい信じそうになるけど、今回はちょっと……。 「どうしてわかるんだよ?」 「剣道部の中で収めたから。後は広げた人達が収拾していく」 「だといいけど………あー! どうしよう!!」 「? なに?」  いきなりの叫び声にももう慣れたのか、北斗が平然と訊いて来た。 「俺、もしかして北斗との同居もこれで終わりかと思ったら……辛くなって、皆の前で思いっきり泣いたんだ。涙が…止まらなくて……」 「え………」  目を瞠り、呆然と俺を見つめる北斗にも、その胸中にもまるっきり気が回らず、皆の前で大泣きした自分の事だけまた思い返して、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。  片腕で顔を覆い、来週からの事を想像して久しぶりのマイナス思考にどっぷり浸かる。 「収拾どころか広められたりしたら本当に学校行けない、恥ずかしくて……」 「……ほんと馬鹿だな。誰がそんな事言いふらしたりするか、もったいない」  北斗が後ろに片手をつき、俺を見下ろして笑う。  呟いたその声は、さっき耳元で囁かれた時とは別人のように穏やかだった。「俺もその場にいたかったよ。そしたら誰にもそんな所見せなかったのに。…あー、悔しいなあ」 「はあ?」  腕を外し、きょとんと見上げた俺の目元に、北斗が……七ヵ月ぶりのキスをした。  軽く啄ばむような……外国人の挨拶並みの、軽くて優しいキス。  身体を起し、北斗の唇が触れたところに手をやって、「また!」と、睨みつけたけど、本当はたったそれだけの口づけが、たまらなく嬉しかった。  そんな心の内を知ってか知らずか、睨まれたって全然お構いなしの北斗が、 「もう俺以外の奴の前で泣くなよ。『一人で泣かれるより幸せだ』と言ったのは、俺の手の届くところで泣いて欲しいって意味だぞ」  少し悪戯っぽく、でも瞳が真剣だったから、俺も今の気持ちを正直に伝えた。 「――俺、今回の事でお前に疑われるのが、一番辛かったみたいだ。……だからさっき逃げ出そうとした。北斗に疑われて軽蔑されるなんて、耐えられない」  膝に置いた手を握り締めて、白井先輩から浴びせられた言葉の(やいば)を、思い返した。  勢いに任せて吐き出された虚偽への怒りの中にも、真実は確かにあった。 『―――ここにいる奴は皆、必死に頑張ってる……生半可な気持ちでやってる奴は一人もいやしない―――』  その事を忘れないように、もう一度心の中に深く刻み込んだ。  北斗に話せた事で、先輩の言葉も今は冷静に受け止められる。  それは北斗が、微塵も俺を疑わなかったからだ。  ただ純粋に、俺と千藤先生の間に師弟関係以上のものを感じて、口を出せなくなった。  もしも噂が『抱かれる見返りに―――』というものだけだったら、北斗は迷わず俺に教え、もっと早くに最悪の事態を防いでくれていた、そんな気がする。  それを証明するように、北斗が呆れたような溜息を吐いた。 「あのなぁ、俺に限らず瑞希を知ってる奴は、あんないい加減な噂、信じたりしないし、まして軽蔑なんかするわけないだろ。あんまり見損なうなよ」  頭をくしゃっと撫で、そのままぽんぽんと軽く叩いて、手が離れていく。  あっさりとした仕草に寂寥感が溢れた。 「……俺、北斗と離れたくないよ。傍に……いてくれよな、いてくれるよな?」 「当たり前だろ、お前が嫌にならない限りはな」 「じゃあ俺達は永遠に一緒だ、よかった。ありがと、北斗」   十二年前、母さんに言った台詞だと、口にして思い出した。 『―――だったらかんたんだ。 だってぼくたち、ずーっとはなれないもん。 いつもいっしょにいるんだ―――』    永遠に一緒にいられると、本気で信じて疑わなかった、遠い昔の幼い自分。  その願いが、本当はとても困難で危うくて……だからこそ貴重なんだと改めて気付き、ベッドに並んで座る北斗の身体に両腕を回し、そっと……でも、しっかりと抱きしめた。  驚いたように一瞬身体を強張らせた北斗が、力を抜いて、俺からの抱擁に身を委ねてくれる。  思わずじゃなく、自分の意思を持ってこの腕に誰かを……大切な人を抱きしめる事が、こんなに勇気のいる行為だなんて知らなかった。  拒絶される恐さと、受け入れられる悦びを、この夜初めて体験した。     何もかも…とはいえないけど、一応問題が収まって安心した俺は、それで全て終った事にしていた。  駿が俺を『鈍感だ』と言う一番の要因が、自分の身に起きていた事も……やっぱり全然気付いていなかった。
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