和解

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和解

 十日後の試験最終日、まずまずの出来にほっと肩の力も抜け、部活の始まる学生の為、今日から開けてある学食に本城と行くと、六人掛けのテーブルのほとんどが埋っていた。    東京の某レストランで二十年以上料理長をしていたこの高校出身の大先輩が、三年前に定年を迎えこの地に戻って学食で働き初めてから、メニューと味が一変したらしい。  インターハイを控えて、体育会系の部はこれからラストスパートになる。  安価でボリュームがあり、その上すごく美味しい学食は、育ち盛りの学生にとって競争率の激しい最高の食卓だった。  きょろきょろと二つ空いた席を探していると「吉野!」と名前を呼ばれた。  声のした方、真ん中辺りに目を遣ると一‐Eの時同じクラスだった松谷が、 「ここ、とっといてやるから昼飯買って来いよ」  前の席を指差しながら言い、親睦会の時、相手チームのピッチャーをした田島も松谷の隣の席で手招きしてくれる。 「ありがと、助かるよ」  二人に軽く手を上げ、今日のお得メニュー『野菜コロッケセット‐和風』を頼んで味噌汁とご飯を盛ってもらい、同じセットの洋風を選んだ本城の後について行くと、田島の前に新見が座っていた。後姿だったからわからなかったんだ。 「なんだ、かっちゃんだったのか」  本城が安心したように新見の横、真ん中のイスを引き、俺はその隣、一番端にトレイを置こうとしたところで、松谷が人の悪い笑みを浮かべ話しかけてきた。 「連休前から面白い話題を提供してくれて、ありがとな」  その一言で力が抜け、トレイを落としそうになり、かろうじてテーブルの隅に引っ掛けた。 「わっ! 危な、気をつけろよ」  落下しかけた勢いで激しく音を立てた食器を見て、まるで人事みたいに言われたけど、何でそんな事こんな所で口にするんだ! と言いたい。  斜め前の松谷をぎろっと睨んでイスに座ると、 「そうそう、G・W明けであんなに学校行くのが楽しみだったのって、まずないよな」  去年、親睦会でヒットを打った仕返しなのか、田島までからかってくる。  あの時野球を一緒にしたせいか、あれ以来野球部の面々とはクラスを超えて懇意にしていた。  山崎が何かと俺に構うのと、北斗だけが俺を「瑞希」と呼びだしたせいもあって、今では準部員並みの扱いを受けている。  彼らの行きつけの店、『ひょうたん』の御主人が俺を覚えていて、時々様子を訊くらしく、それも影響しているみたいだ。  その代わり遠慮も自然となくなるわけで、座るんじゃなかったかな? と後悔し始めていると、 「ちょっと、あんまり苛めないでよ」  居心地が悪くなった事を察した本城が、すぐに庇ってくれた。 「まあまあ、デマだってわかってるからこうやって本人に話せるんじゃないか。本当だったらいくら俺でも食堂なんかで話題にするわけないだろ」  相変わらずクスクス笑って言い訳する松谷の態度に、本城の怒りが爆発した。 「そのいい加減な噂のせいで、剣道部も吉野も大変だったんだからねッ!」 「でもな、『火のない所に煙は立たぬ』って言うだろ? なあ、吉野」  憤慨する本城を軽くいなした松谷が、思わせぶりな視線を寄こして話を振り、二人の会話を無視して食事を始めていた俺は、喉に野菜コロッケを詰まらせてしまった。  ゴホッ、……ゴホッ、ゴホッゴホッ………!  立て続けに咳が出て、止めようとするほど酷くなる。  テーブルに片肘をついてむせていると、本城が慌てて席を立った、と同時に背中をさすってくれる。 「―――ごめ……本城……」  咳の合間に謝ると、 「本城なら水取りに行ってるぞ」  その、背後の聞き慣れた声に咳がもっと激しくなった。 「吉野、水! …大丈夫?」  心配そうな本城に横からコップを差し出され、背中をさすっているのが誰なのか、再確認した。  取りあえず持って来てくれた水を流し込んで咳を止め、本城に礼を言う間に、目の前の空いた席に新しいトレイが置かれ、北斗が松谷に「サンキュ」と言いながら腰を下ろした。  最初から取ってあったのか。  そう言えばこの三人も今年二‐Bで同じクラスだった。  やっぱり座るんじゃなかったと心底後悔しつつ、 「北斗も、ありがと」  付け足して礼を言うと、 「いや、いいけど……何むせてたんだ?」  当然の疑問をストレートに訊いてきた。けど、答えられるわけない。  赤くなって俯いた俺に代わり、松谷が楽しそうに返した。 「連休明けの噂でさ、ちょっと吉野に説教しようと思って」 「説教?」 「そ。吉野の鈍さは親睦会とバレンタインでよくわかってたつもりだったけど、それにしても今回のは酷すぎるだろ?」  どちらかと言うと怒りの成分を含んだ口調に、あれ? と思い松谷を見た。  案外本気で心配してくれてたみたいだ。 「……まあな」と相槌を打つ北斗に満足そうに頷くと、皿の上のハンバーグを一切れ口に放り込む。  だけど……野球やってる奴って皆口悪いのか? なんかこう胸にグサグサくる。  密かに傷付いて黙って聞いていると、 「で、吉野の方にも問題がある事を一年の時のよしみで教えてやろうと思ってな」  さっきの『説教』について、今回の件で俺にも問題があると言われ、ドキッとした。  北斗と俺に対する部の先輩達の態度の違い。  それはやっぱり俺に悪い所があるからなのか……  それを松谷は知っている?   だとしたら教えて欲しい。俺の何がいけなかったのか。 「――『問題』って?」  顔を上げて訊ねると、松谷らしいスパッとした口調で、行動の軽率さを指摘してきた。 「吉野の気持ちがどうあれ、お前の一挙一動はここでは注目の的だって事。部内の事はよく知らないけど、一人の人間に入れ込んだりしたら疑われるのは目に見えてるのに全然気付いてない。俺にしてみれば最低最悪の要領の悪さだね」  歯に衣着せない言い様で、俺を責めた。 「そうは言うけど本当に凄いんだよ、あの監督。吉野じゃなくても剣道やってるなら……ううん、やってなくても誰でも夢中になるって」  本城が間髪入れずフォローしてくれるけど、それって俺が千藤先生に夢中になってたって公言してるようなものじゃないのか?  確かに監督は凄いけど、先生個人に夢中だったわけじゃない、つもりだ。  ただ、熱心に相手してくれる監督の期待に少しでも応えたいと思っていただけなのに。  それのどこがいけないのか。  それなら要領がいいって、真剣な相手に適当に応じる奴の事?   そんなの俺には絶対できないし、いくら考えてもそれがいいとは到底思えない。   堂々巡りする当事者を置いて、会話は思いもしない方へ流れていった。  部内での監督の人格を崇拝しているような本城の言い分に、 「それはそうかもしれないけどな……」  あえて同意し、「んー、どう言えばいいのか……」  グサグサと残りのハンバーグを刻みながら考えていた松谷が、ふと思いついたように隣の北斗をフォークで示した。「俺だってリトル時代、敵ながらピッチャーやってた北斗にずっと憧れてたし、中学でフィールダーに転向した時も、そのプレイに益々惹かれて、未だに見惚れる事もしょっちゅうだけど、誰も俺が北斗に恋愛感情持ってるなんて思わないだろ?」 「当たり前だ!! 気持ち悪いこと言うな」  即座に食事を中断して隣を睨みつけた北斗が、「こんな奴の話、聞かなくていいぞ」  俺に向かって冷たく言い放つ。けど松谷も負けてない。 「いや、ぜひ聞いとけって。一生懸命になるのはいいけど、お前の場合、少しは周りに気や目を配れ。もし本気で好きな子ができた時、今の吉野だったら即ばれてしまう。お前は隠れてこそこそ付き合ったりしないだろうし、オープンに付き合うなら本来相手に嫉妬や妬みが集中するんだって事、自覚しろよ」 「…………」  そのきつい台詞に戸惑ってしまう。  そもそも話の論点が、微妙にずれてきてないか?  大体本気で好きな子ができたとしても今の俺に付き合えるわけがないし、気持ちを伝える事すらできやしないのに。  だけど、そんな事情を知らない松谷は、俺の未来を自分の事のように案じてくれた。 「――例えばさ、力で相手を守れる自信があっても嫌がらせみたいなのは陰でされる方が圧倒的に多い。好きな相手をそんな危険に晒したくないなら、本心を隠す要領のよさも必要だってこと、わかるか?」  今までになく真剣に松谷が言ってくれるけど――問題がそこにあるというなら、俺はそれについて何も答えられない。 「……ごめん。その恋愛論は高度すぎて俺にはよくわからない。けど心配してくれてたって事はすごくわかる。ありがと、松谷。クラス変わっても迷惑かけてごめん」  自然に頭が下がり、『わからない』と流した代わりに感謝の気持ちを口にした。  彼らの存在がなかったら俺は今以上に窮地に立たされ、落ち込んでいたはずなんだ。 「あのなあ、これのどこが高度なんだ? お前、ほんっとに恋愛に関してはスペシャル級の奥手だよな。どうしてその(つら)でそこまで鈍く育ったのか理解できない。もしかして深窓の御令息なのか?」  松谷の疑問に、それまで黙々と食べていた新見が淡々と言い放った。 「『深窓の御令息』は、竹刀振り回したりしない」  その一言でこのテーブルだけ一瞬凍りつき、次の瞬間、新見以外の爆笑が学食に響いた。 「新見~、それお約束すぎないか?」  ゲラゲラ笑いながら正面に座る田島が言うと、 「かっちゃんがそんな駄洒落言うの、もしかして初めて聞いたよ」  涙を拭きつつ本城も笑うけど、当の新見はにこりともせずに、 「洒落なんか言った覚えないぜ」  食後のコーヒーパックにストローをぶすっと突き刺して、中身をズズーッと吸い込んだ。 「言ったよ、たった今。『竹刀振り回したりしない』って」 「ああ? くだらねえ。つまんねえ事で笑ってないで、部活行くぞ」  飲みかけのパックを手にトレーを持つと、返却口へさっさと行ってしまう。  残った同級生が顔を見合わせ『変な奴』、という視線を大柄な背中に送る中、本城だけはその眼差しの意味が違っていた。それにもう一人、北斗も、俯いて小さく笑みを零す。  俺の為にわざと話を逸らしてくれたのか? そうは思えないけど、でも俺より付き合いの長い二人はそう受け取ったみたいだ。  改めて、学食を出て行く後ろ姿に目を遣ってみたけど、俺にはどうしてもそんな芸当ができる奴には見えなかった。 「そんなに心配するな、裕也」  高度な恋愛論も、新見のいうところの「つまんねえ」台詞で吹き飛んでしまい気がそがれたのか、大きく溜息を吐いた松谷に、北斗が何事もなかったかのように呼びかけた。  その声音はいつもに増して穏やかで、さっきの、嫌悪を込めた眼差しで睨んでいた時とは別人のものだった。 「瑞希はこのままでいいんだよ。そんな要領のいい奴だったら、こんなに皆の心、掴めるはずないからな」 「んー、それはそうだけど………」  そう答え、しばし逡巡した松谷が、「……ま、もし本気で好きな子ができたら何でも相談しろよ、アドバイスくらいしてやるから」  それだけ言うと、残り僅かになった付け合せの線キャベツをバリバリと食べ始めた。 「ん、ありがと。頼りにしてる」  御座なりじゃなく返事を返し、急いで食事を終え、新見の後を追って立ち上がると、 「――瑞希、大丈夫。自信持って行って来い」  北斗が深く澄んだ眼差しで、真っ直ぐに俺を見上げ背中を押してくれた。  学校でこんな風に励まされたの、一年前の四月以来かも…と思いつつ、こくんと頷いた。 「うん、行って来る。松谷と田島も、ありがと」  他の野球部の面々にも笑顔を返し、本城と二人、慌しく学食を出て行った。
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