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終章 望んだのは……
「――只今より、準々決勝を始めます。選手の方は―――……」
場内アナウンスが流れ、ざわついていた会場が少しだけ静けさを取り戻す。
三時半。
北斗達の試合は終わっただろうか。
気にならないと言えば嘘になるけど、今は全て忘れて目の前の相手、昨日の団体戦決勝で常盤高校の副将を務めた田辺さんに集中する。
「始め」
主審の声で、掛け声と竹刀を打ち合う音が一斉に響いた。
相手にプレッシャーを与えつつ、間合いを詰める。
ゆっくりとした攻めに、焦れた田辺さんが打ち込んできたのを竹刀で受け、体をかわしながら狙い通り小手を打つ、一瞬の攻防。
旗が三本上がり、技が決まったと知る。
「小手あり」
主審の声で開始線に戻り、再び竹刀を合わせた。
「二本目」
あと一本、絶対に取る。
昨日の相模主将の台詞――『守りに入った俺の負けだ』
先輩達と交わした言葉の一つ一つが、自分の精神的な糧となって、強気にさせる。
連戦のせいか、明らかに相手の打突に昨日のような切れがない。
パンパンッパンッ!
激しく竹刀を交差させ、田辺さんの動きが鈍る。
迷わず思い切り踏み込み、面を放った。
ベスト4入りを決めたのは俺が二番目、藤木さんの後だった。
それから今の試合で相模主将を破った桜華学院の松坂さん。
最後に、昨日の決勝戦で相模主将と戦った、常盤高校の兵藤さんとなった。
西城のもう一人の代表の辻先輩は、二つ前の試合で藤木さんに惜敗したけど、俺はともかくほとんどが下馬評通りの結果で、会場は大いに盛り上がっていた。
いよいよ準決勝。
これに勝った者だけが、全国大会への切符を手にできる。
行きたい。
全国のレベルをこの目で見て、対戦してみたい。
その為には―――
俺を見つめる強い視線に気付いて見返した。
藤木さんだ。
昨日、初めてしっかりとその顔を見た時、知的そうな眼差しが藤木に少し似ている、と思った。
見た目通りクレバーな試合展開をするこの人に、自分にはない勝負への冷静さを見つけて、戦いたいって感じたんだ。
短い休憩を取っていると、アナウンスが流れた。
藤木さんとの試合まで、あと五分。
なんとかここまで来れた。
二階席で見ている藤木の為にも、全力で戦う。
主審の指示で試合場に入り、蹲踞してお互い礼をする。
次の瞬間、俺の周りから雑音が消えた。
千藤先生に対して感じたような、圧倒的なプレッシャーはなかった。
ただ、強いと認めたら、もう自分の世界に入り込んでしまっていた。
最初は互角だったと思う。
相手の動きを読み、流れを引き寄せる為に仕掛ける。
それをかわして次の攻めを探り合う。
一瞬の隙も許されない、見せたらそこから必ず付け込まれる。
全神経を藤木さんに集中させて打ち合った四分間、制限時間のベルの音で我に返った。
両旗が真上に上がり、同時に驚くほど大きな拍手が起こる。
もう一試合が終ったのかもしれない。けど、気にする余裕は全くなかった。
開始線に戻ると延長戦を告げられる。
「延長、始め」
合図と共に再び竹刀を交え近付くと、初めてのつば競り合いになった。
どんなふうに仕掛けてもかわしてくる藤木さんを前に、この人の技術の高さと、試合慣れした巧みさには正直敵わない、と思いかけていた。
四分間、全ての力を出し尽くしても優位に立てなかった事が焦燥感を生む。
力と力のぶつかり合いは、藤木さんに有利に思えた。
心臓が激しく脈打って、自分の呼吸だけが上がってる気がしてきた。
―――駄目か……
そう思った途端、額から汗が一気に噴き出し、流れ落ちた一滴が目に沁みて、それに気を取られた。
「痛っ!」
小さく上げた声を、藤木さんは聞き逃さなかった。
やばい…と感じたのと同時に、ものすごい力で押し返され、勢いで身体が浮きそうなほど突き飛ばされた!
ダンッ!!
大きな音と共に、床に横なりに叩き付けられ、一瞬気が遠くなる。その時、
『瑞希!』
聞き慣れた声が――一番聞きたかった声が脳を刺激した。
!? 北斗の声!?
―――夢? 空耳?
何でもいい! 今ので飛びかけた意識が呼び戻された!
咄嗟に身体を反転させ上半身を起こすと、藤木さんが面を決めに走って来る!
右手に掴んでいた竹刀で振り下ろされてきたそれを撥ね返し、そのまま藤木さんの喉元に剣先を向け、動きを牽制した。
二階席の歓声が、急に届いてきた。
それまで相手に集中していたからか、異様に騒がしく感じていると、
「止め」
主審の声と重なって、
「瑞希! 足ッ!!」
そう叫ぶ声が、はっきりと聞こえた!
まさか……来てるのか!?
つられる様に藤木さんから視線を外し自分の足元を見ると、片膝を立てて応戦していたせいで袴の裾が捲れ上がり、太腿まで露わになってた……。
けど、こんな事、気にするのはあいつだけだ。
―――いる。
二階席から俺を見てる!
立ち上がって二、三度軽く跳び、身体の力を抜きながら観客席の方に目を遣った。
こちらからは見えない、けど俺を「瑞希」と呼ぶ奴は一人しかいない。
来て…くれたんだ、どうしてだかわからないけど。
そう確信しただけで、それまでの劣勢なんか忘れてしまった。
ここからだ。
見てて、北斗。
悔いのない試合にするよ。
『落ち着いて、全力を出し切れるように願ってる』
その想いが、直に伝わってくる。
体中に力がみなぎって、感覚が最高に研ぎ澄まされていくのを、文字通り肌で感じた。
残された時間はあとわずか。
再開の合図と共に、何度目かの竹刀を交えた。
激しい技の応酬、持てる力の全てを出し切って藤木さんに応える。
勝ち負けなんかもうどうでもいい。
一秒でも長くこの時が続けばいい、本気でそう思えるくらい楽しくてしょうがない。
藤木さんもそう感じている。
俺にはわかる。
俺達だけが共有できる、至福の瞬間―――。
その藤木さんの手元が、誘いをかけるように上がりかけた。
今! ここしかない!!
一瞬のためらいもなく思い切り踏み込んで、小手を打っていた。
同時に藤木さんの竹刀も俺の面部を掠める。
打った勢いのまま離れ、踵を返して再び敵に対峙する。
と、相打ちだと思ったその一本に、審判員の旗が!
俺の背に結んである色と同じ白旗が、二本上がった。
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