終章   望んだのは……

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   ―――決まっ……た? 本当に!?  半信半疑の俺同様、会場のあちこちから拍手と同じだけのどよめきが起きた。 「藤木先輩負けちゃった?」 「ウソォ! どおしてぇ!?」  開始線に戻り礼をかわす俺の耳に、甲高い女の子の声が聞こえる。  けど、俺が一番信じられない!  だって、試合場を出るまでは何とか持ちこたえたけど、監督の元に戻る足が……震えて、まともに歩けない。  強かった。  千藤先生に出会わなかったら……北斗が来てくれなかったら、勝てるはずのない相手だったんだ。  俺、見えない力で守られてる―――。  藤木も、本当に俺を応援してくれていたのか?   藤木さんにとっては、最後の全国大会へのチャンスだったのに……。  試合が終わると、色々な思いが頭をよぎって、心の底から喜べない自分がいた。 「吉野、よく持ち直したな。最後の一本、最高のタイミングだったぞ」  まだ息の上がっている俺に、監督が惜しみない賞賛をくれる。 「――ありがとうございます。本当に…先生の指導のおかげです」  踏み込みの練習がなかったら、あそこで小手なんかとても狙えなかった。  そう思い、心から頭を下げると、監督が笑いながら自分の頭を指差した。 「決勝戦まで少し時間がある、面外して休め」  それに頷いて控え席に行くと、準々決勝で敗れた相模主将が俺のサポートにまわり、タオルとドリンクを準備してくれていた。 「兵藤さんと松坂さんの方はどうなりました?」  小手を外し面の紐を解きつつ、気になっていたもう一つの準決勝の結果を尋ねてみた。 「松坂の一本勝ちだ」 「そうですか……」  面を外した途端、周囲…特にこの真上、会場に突き出た二階席の話し声が聞こえてきた。 「―――藤木、なんか攻めあぐねてたよな」 「ああ、今日調子悪かったのか?」 「全国行って欲しかったよなー、あいつしか上位狙えないだろ? 今年期待してたのに」 「うん、なんかがっかりだね……」  ………聞きたくない。  藤木さんに勝つ――という事は、この会場の…千人以上の観客を敵にまわすって事なのか?   それって、あまりにも不利だ。  そう思って落ち込みかけた矢先、まだ鋭敏なままだった五感の中の聴覚が、本当に耳を塞ぎたくなるような下劣な会話に捉まった。 「なっさけねえなぁ藤木も。二年にやられるなんてよォ」 「違うだろ、相手が転んでから急に攻撃の手、緩めたように見えなかったか?」 「そういえば派手に倒れてたよな」 「なんだ、さすがの藤木もあの色っぽい露出に骨抜きにされたか?」 「バカ言え! あいつがそんな事で動揺するか!!」 「そうかぁ? わかんねえぞ、男なら。西城の吉野って、一年の時から話題になってる奴だろ?」 「そりゃ確かに整った顔してるとは思うけどさ、それにしてもせこい手使うよなー」 「あんなの松坂さんには意味ないね。決勝戦で『渇』入れてもらえていいんじゃないか」 「それもそうだ。『打倒、藤木』で一年過ごした硬派な人だからな、あんな汚い真似する奴に、優勝なんかさせるかっての」    頭上から聞こえる下卑た笑い声が、俺に火を点けた。  足を見せたのがわざとだなんて!   まして藤木さんとの試合を……藤木さんをこんな形で侮辱するなんて、絶対許せない!  身体が熱くなったのが、自分でもわかった。  松坂さんのいる桜華学院剣道部員の、つまらない陰口。  でも、聞き流すなんてできない。  近くにいるだろう藤木の耳に入ったら……  あんなに剣道を愛してくれてる彼を、どれ程深く傷つけてしまうか。  もうすぐ決勝戦が始まる。  だけど、冷静でなんかいられるか!    怒りに任せ、固く握り締めていたタオルで、もう二度とさっきみたいな事がないように額の汗を入念に拭いておこうと開いた瞬間、カツン……と何かが床に落ちた。  目で、音を立てた物体を確認して、はっとした。  北斗が持たせたムーンストーン―――俺を守る宝石(いし)。  あまりの怒りに、タオルに挟んでいたのも忘れてた。  屈んで拾い上げた時、さっきの北斗の叫び声が耳元に蘇った。 『瑞希! 足ッ!!』  あいつ、周りの目もはばからずに叫んだんだ。俺が、気にも留めずにいたから。  ―――バカ。  あいつもバカだけど、俺はもっと大バカだ。  こんな事で自分を見失いかけるなんて。  藤木さんとの試合を皆に認めてもらうには、次の試合しかないのに。  藤木さんが本当に強い人だとわかってもらう為に、できる事はたった一つ。  残っている力を全てぶつけて、松坂さんと戦うんだ。 「―――吉野」  黙り込んで俯くのを見て瞑想していると思ったらしく、それまで一言も話さなかった相模主将が、監督が席を外すとすぐ、試合前にもかかわらず珍しく声をかけてきた。 「あそこ……野球部の連中じゃないのか? なんか大勢来てるぞ」 「え!? どこに?」  弾かれたように顔を上げ、主将の指差す方に目を遣ると、ずらっと並んだ座席後方の通路から、手摺りを掴みこっちを見下ろしている、見慣れた夏の制服姿の集団が目に留まった。  視力は人並み以上にいい。面を外したら観客席の人の識別くらいは何とかできる。  ブラインドの下りた薄暗い二階席を、再び目を凝らして見ると、例の乾杯をした一年生や駿、山崎、松谷、関といった面々が、何やら楽しそうに話している。  みんな来てくれてたんだ。  ……一体どうして?   試合はどうなったんだ? 外、雨でも降ってるのか?   そこまで考えて、そんなわけないと苦笑した。  さっき矢織さんと話した時、朝と同じ、どこまでも青い空が広がっているのを見たんだ。  沢山の疑問はあるものの、野球部の皆がここに来ている事に変わりはないと自分を納得させ、北斗の姿を探して他の場所にも目を遣ってみたけど、彼だけはとうとう見つけることができなかった。  多分……この真上、藤木や本城達と一緒に、一番近い所にいてくれる。  そう信じ、張り出した観覧席を見上げ、握っていたムーンストーンに視線を落とした。  その淡い輝きをじっと見つめ……そっと唇を寄せる。  決勝戦へ向け、冷静な俺が戻ってきていた。
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