終章   望んだのは……

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 監督と相模主将の祝福を受け、控え席の片隅で防具を外し、式の準備をしていると、 「吉野君、優勝おめでとう」  背後から、聞き覚えのない声が掛けられた。  振り向いて、意外な人物を目の当たりにし、驚きに目を瞠った。  戸惑う俺に少しも構わず、近付いた藤木さんが、何故か握手の手を差し出してきた。  複雑な思いでその手を握り、にこりともできず形だけの礼を言うと、「ふふっ」と、藤木によく似た笑顔を寄こした。 「去年の僕と、同じ顔してる」 「え?」 「素直に喜べないのは、僕の事を考えてくれてるからかな?」 「――いえ、そういうわけじゃ……」  言い淀むと、聡明な眼差しで俺を見つめ、「ないのかい?」と小首を傾げる。  初めて話す藤木さんは、思っていたよりずっと気さくな感じの人だった。 「聡を剣道で夢中にさせた君と最後に試合できて本当によかった。楽しかったよ」  明るい声。  本心からのものだとすぐにわかる。  だけど、何て返事すればいいのかわからない。 「そんな、俺の方こそ……」  俯いてしまいそうになった俺の耳に、藤木さんの激励が届いた。 「――君になら負けても悔いはない、全国大会頑張って来いよ」 「…………」  その励ましに、完全に口を閉ざしてしまった。すると、 「去年、決勝戦の後で、矢織さんが僕にそう言ったんだ」 「え……?」  思いも寄らない告白に、呆然と藤木さんを見返した。 「本当なら、実力ではあの人の方が上だった。去年の準々決勝、吉野君のせいで必要以上に体力消耗してしまったから、僕に負けただけだ」 「………」 「君は矢織さんの(かたき)を討ったわけだ。だから、もっと喜んでいいんだ。そんな辛そうな顔してたら、応援に来てくれてる西城の生徒にはもちろん、真剣に戦った僕に対しても失礼だよ」  思いがけない厳しい口調に、洸陽学園主将の姿を見た。 「はい。すみません……」  小さく謝ると、藤木さんが今度は自身の言葉で激励してくれた。 「試合に勝つって事は、負けた相手の想いも背負って戦うという事だ。その重みをしっかり理解している君なら、きっと全国大会でも沢山の事を吸収して成長するだろう。できるなら、それを自分だけのものにしないで、一人でも多くの人に教えてやって。それが代表に選ばれた者の役目だし、自分を支えてくれる仲間への礼だと思うから」  その言葉に、自然に深く頷いていた。  自分一人の力じゃない、皆で勝ち取った勝利だ、だから素直に喜べって言ってくれてるんだ。去年の藤木さんがそうであったように。  その想いをはっきりと酌んで顔を上げると、満足そうな笑顔を見せた藤木さんが、 「ところで――」  と、急に口調を変え、声をわずかに落とした。 「僕との延長戦で転んだ時、彼女でも見つけたのかい?」 「はあ!? 彼女? そんなのいませんけど」  いきなり話題転換され、馬鹿正直にはっきり言い切って、ちょっと情けなくなった。  藤木さんが負けた時、二階席で応援していた女の子達は、間違いなくこの人に好意を持っていた。 「そうなのか? あれから君、それまで以上に集中力が増したみたいで、攻める隙がなくなってしまったんだ」  そう言うと、少しだけ表情を改めた。「後で仲間から『吉野の色気に惑わされるなんて』って散々けなされたけど、最初何を言ってるのかさっぱりわからなかったんだ」  困ったような顔で内輪話を暴露する。  でも俺は、さっきの桜華学院の陰口を思い出して身体が強張ってしまった。  まさかとは思うけど、藤木さんにまでそんな目で見られたのかと不安になったんだ。  だけど、そんな心配無用だった。 「訳を聞いて納得したけど、そんなものお互い気にする暇なんかあるかっての。なあ?」  可笑しそうに笑い、同意を求めてくる。 「はあ、なんか、すみません。俺、友達や……後輩にまで『鈍感だ』って言われるんですけど、ほんとに鈍いみたいで……全然気に留めてなかったんです」 「まあ、あんな事で騒ぎになるのは君くらいだろうけど、実際こうやって間近で見ると、ほんと際だってるよ」  じっと観察するように俺を見て、うんうんと頷く。 「外見じゃない、内面からの輝きだってよくわかる。聡が惹かれたのも納得する。だけど、損する方が多そうだね……」  同情するように溜息を吐かれた。 「部員にはきつく注意しといたけど……嫌な思い、したんじゃないのかい?」  そう訊かれ、無理に笑顔を作った。 「……いえ、俺は全然。――中学の頃はもっと小柄だったんで、倒される事もしょっちゅうだったし。でも、藤木さんがあれほど力強いなんて思わなかったです」 「当たり前だろ、渾身の力を込めて突き放したんだから。…引き面とか狙われてそうだったからね」  俺にそんな余裕なんてあるわけなかったのに、試合が終わってしまえば相手の思惑や見えなかった事が明かされて、それも案外面白い。 「押し返してすぐに一本取るつもりが、あんなに吹き飛んだんで驚いたよ。せっかく勝ててたのに君に体勢立て直されてしまった。惜しいことしたよ」  後悔の台詞もさらっと言ってのけ、楽しそうに笑う藤木さんに、「ほんとですね」と、汗に濡れた前髪を掻き上げながら、相槌を打って微笑み返した。  俺達のやり取り、藤木には見えていないかな?  この人は確かに彼のいとこだ。穏やかな中に、強気の気性を感じさせていた。  
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