地球儀

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 指先で弾いた地球儀はクルクルと回り、そしてゆっくりと止まる。 「電気も点けないで何してるの……」  真っ暗にしていた部屋に一筋の光が入る。振り返ると怪訝そうにわたしを見つめる彼氏の姿があった。 「電気ぐらい点けろよなあ」  彼は部屋に入り壁伝いに電気のスイッチを探すけれど、わたしはそれを制して中に入るよう手招きした。 「ちょっと待ってて、これ点けるから」  わたしは握っていたスイッチをパチリと入れる。すると目の前にある地球儀が内側から淡く光りだした。 「地球儀なんて持ってたんだ」 「うん、押入の中に入ってたのを出してみたんだ」  指で弾くと地球儀はくるんと回り、光の筋が残像のように目に焼き付く。ぼんやりと地球儀を眺めていると、彼は隣にやって来て腰を下ろした。そして同じように地球儀を見つめる。 「地球儀ってちゃんと見たことないや」  彼は地球儀を触り、指で国名を確認しながら回転させた。どこか楽しそうな彼を見て、自然と顔が綻ぶ自分に気づく。わたしはそっと地球儀に手を伸ばした。 「ほら、この国名見てみてよ」 「どれ?」 「まだソビエト連邦時代の地球儀なんだよ」 「あ、ホントだ」  指し示した国はまだロシア連邦になる前、解体前のソビエト連邦の名前が記されている。今では独立して国として存在している国々も、当時はソビエト連邦下にある地方のひとつだった。  これは地球にとって一瞬の出来事にしか過ぎない。 「あとはね」  くるりと回した先はヨーロッパだ。わたしたちは一瞬で国境線を跨ぎ飛び越えていく。 「まだ西ドイツと東ドイツ、あとはチェコスロバキアの時代か」 「なあ、この地球儀かなり古くね?」  今はなき国名を辿りながら、彼はするすると地球儀に指を這わす。 「そうかも、いつ買ったかなんて知らないし。母にでも聞いたらわかるかなあ」 「そんな前か」 「そんな前なんです」  他にも色々と違うところは沢山あるだろうけれど、わたしの知識ではこれくらいが限界かもしれない。今という時代さえも満足に知り得ていないし。  地球の姿は変わらない。  変えているのはわたしたち自身の手によってだ。地球儀に引かれた国境線は、人間が自ら定め決めたもの。  地球はただ惑星として宇宙に存在し、人間を、地球に生きる者たちを生かし続けてくれる揺りかごでしかない。 「知らないことが多すぎるね」 「なに、突然」 「日本の歴史自体ちゃんと知らないのに、世界のことなんて全くわからないし」  日本の今、世界の今、同じ時を生きていてもわからないことばかりだ。 「なにより自分たちのこともちゃんと知らないし」  ねえ、と同意を求めて彼を見つめた。地球儀から放たれる光は灯籠の(あか)りのように揺らいでいる。  彼はわたしをじっと見つめて、視線を地球儀へと移す。地球儀が映し出す光の陰影はどこかあたたかい。 「じゃあさ、まずはもっとお互いを知るという意味でも……」  おもむろに口を開いた彼は地球儀を回しぴたりと止めた。 「旅に出てみようか」  指し示した先には小さな島国があった。私たちが暮らす国、日本だ。 「いつ?」 「明日」 「……また急だね」 「もう旅館予約してるから、明日朝出るぞ。行き先は京都で」  彼は日本地図もほしいな、と地球儀を眺めながら呟く。  そんなことより、明日から旅行という彼の突飛な行動に驚きながらも、その行動力が彼のいいところでもある。だからというわけでもないが特に文句はなく、むしろ旅行が楽しみすぎて仕方ない。 「日本地図もそのうち買っておくね」 「おう、頼むわ」  真っ暗な闇の中、部屋の中央で光る地球儀を2人で見つめる。  宇宙に放り出されたわたしたちが見た光は、輝く星、地球。今生きている自分たちの惑星を見つめた。 「地球の果てってあるのかな」 「さあな」 「でもまずは京都か」 「そういうこと」  行けるなら2人で行きたいと思う。手をつないで、2人並んで、どこまでも。  それがわたしたちの軌跡になるはずだ。歴史の一片にも残らないけれど、わたしたちの中で残り続ける大切な記憶と記録。  これから2人で紡いでいきたいと、淡く光る地球儀を眺めながら思った。
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