恋歌ロンリネス

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 最近は構内のセキュリティも厳しくなり、方々でIDカードが必要になった。逆にいえばIDを提げていればそうそう怪しまれまい、と思っていたのだが、老紳士はつと顔を上げると、驚いたように楓の顔をしばし見詰めた。  妙に長い沈黙に、楓は慌てて補足する。 「あ、突然失礼しました。私、理学部の助教で、山科といいます。何かお困りのようでしたので、つい」 「いえ… あいすみません、ちょいと驚いて… ありがとうございます」  東京弁、いや、江戸弁か?  楓は僅かに眉を上げた。この古都では殆ど耳にしない懐かしい音律だ。散歩中の近所の住人、という可能性は早々に消去する。  一方、老紳士は切れ長の目を眇めるように楓を見ていたが、視線が合うとふうわりと微笑んだ。杖や髪の色からして父親より一回り年上くらいかと予想していたのだが、妙に水気があるといういうか、色気のあるひとだなと思っていると、「実は」と切り出したところを聞けば草履の鼻緒が切れかかっているという。  どれ、と楓も屈んで確認する。 「ああこれは… ダメそうですね」 「ええ、どうも長く使っていたもので…」  これを履いて歩くのは無理だろう。楓は紳士の様子をちらりと観察する。和服に杖、となれば短い距離の移動でも難しい。しかもその草履は門外漢でもわかる高級品で、適当に代わりを探すということにもならなさそうだ。  楓は即断すると顔を上げて紳士に告げた。 「少しお待ち頂けますか。修理できる店を探してみますので」 「えっ」  大家の同僚に呉服屋の息子が居る。当然、家業は継いでいないが、心当たりくらいはあるだろうと算段し、スマフォを取り出した。
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