恋歌ロンリネス

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「今日はね、先達て、K大の図書館にうちの師匠のXXXの録音があると聞きましてね。レコードにもなってない噺で… これも何かの縁と伺いました」  師匠の師匠は昭和の大名人なのだとか(女将談)。古い土地では、好事家が所有していたものがひょんなことで見つかることがある。その貴重な音源もそういった来歴だろうか。 「そこでこの有様ですよ。難儀していたところを、山科先生には助けて頂いて」 「先生、人助けなさいましたねえ」  いやそれほどのことでは、とその表現を固辞しつつ、謎はすべて解けた気分で「ではこれで」と腰を上げようとすると先手を打たれた。 「せめてお礼を… 履き物をお借りしたばかりか、こちらまで案内して頂いて」 「…いえ、むしろ大変な失礼をしているような」  菊助師匠の足下に視線を落とし、楓は何とも言えない気分になる。あの草履の修理代で、ホームセンター産のこのサンダルが14足は買えるだろう。  どちらかといえば、これを縁にこの履物屋や御曹司の実家の顧客になってもらった方がありがたい(このご時世、日常的に和装をする男性は貴重どころか絶滅危惧種だ)と歯に衣着せぬことを言うと、師匠は苦笑し、女将もカラカラと笑う。  しかし、やはりそういう訳にもいかなかった。 「それではアタシの気が済みません。山科先生、落語はご存じですか?」 「…お恥ずかしいことに、寿限無ぐらいしか」  楓は答えながら、今後、知らないことを問題にするような物言いは絶対にしないと心に誓った(さすがに言わないようにはしているのだが、学生相手が長いと油断する)が、さすがに菊助師匠はふふふと微笑む。 「上出来ですよ、理系の学者さんですもんねえ。なら、寄席もお入りになったことはござんせんでしょう?」 「ええ…」 「じゃアタシの高座、いらっしゃいませんか。ものは試しに」 「高座、ですか」 「その後に改めてお礼もさせて下さいな」  ポスターによれば独演会は明日の夜、大家の登板は来週だから時間はある。あまり断るのも失礼、というのと生の落語への興味もあって楓は結局、その申し出を受けることにしたのだった。  その後、本物のお弟子さんが師匠を迎えに来たのを潮時に、楓は履物屋を辞した。  大学に戻って、とりあえずと女将が持たせてくれた干菓子を加納に渡し、顛末をざっくり話せば、元落研という隣の研究室のM2が菊助師匠を知っていた。 「レアなんすよ、菊助師匠。ウラヤマです、山科先生!」  というので、空き時間にグーグル先生のお世話になった。  するとなるほど、キャリアの割には情報が少ない。ほとんど古典落語一辺倒で、人情話や艶話が得意で、テレビは勿論、高座以外にはほとんど姿を出さないという。人嫌い的な評まであって、今日、助けた老紳士の印象とまるで違う書き込みに楓は首を捻った。  菊助師匠はいったい、どんな噺家なのだろう?
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