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小学生
父さん母さん、僕やっぱりみんなと同じように生きるの無理みたいだ。
道を外れる最初のきっかけを思い返してみると、それは小学生の時にサッカースクールに通い始めた時なのだと思う。
僕は保育園から小学校低学年までは、活発で明るく物怖じしない少年だった。当時はJリーグ開幕によるサッカーブームで、校庭ではサッカーをする子が多く、名前にカズと付く子は皆、ゴールを決めるとカズダンスを披露していた。
その中でも僕はサッカーが上手な方で、先生や周りの生徒から「町のサッカースクールに通ってみては」と勧められたのだった。その気になった僕は親に直談判し、小学校4年生の時に、サッカースクールへ入団した。
サッカースクールには同じ小学校に通う子が何人かいたが、そこは今までの遊びのサッカーとは違う勝負の世界で、1クラスしかない小学校で分け隔てなく過ごしていた僕にとって、決して居心地の良い場所ではなかった。他の町のチームで弱いところはのびのび活動しているのだが、僕の町のサッカースクールは強い部類で、遊びの延長という力加減ではない。
だが、寄ってたかって物を隠したり嫌がる事を言ったりという所謂イジメは無く、僕が一番気を揉んでいたのは、試合中にミスをした時に、普段可愛がってくれる先輩や仲の良い同級生から非難の声を浴びせられるという事だった。
僕は根がおおらかなのだろう。人に対しても自分に対しても甘く「まあ良いじゃないか」で済ましがちな傾向はこの頃から既にあった。サッカースクールで出会った「まあ良いじゃないか」で済まさない人達から僕は距離を取り、この時生まれて初めて、輪から外れるという体験をした。
そんな感じだから試合に出るのが嫌でなんとか休もうとするのだが、僕の事を過大評価している母に、半ば強制的に連行されるのであった。
馴染めずに辞めていった子は多かった。しかし母や祖母から聞かされる根拠の薄い「お前はできる子」という類の発言が子どもながら重荷になり、どうしても辞めたいと言い出せなかったのだ。
先に書いたようにイジメらしいイジメは無かったのだが、ここに通っていた時の出来事で一つだけ許せない事がある。
一男という陰湿な男がいた。コーチや上手い上級生に良い顔をして取り入ろうとするのだが、自分より格下の者には踏ん反り返った態度をとるという、嫌なガキだった。
ある試合で、一男が執拗に僕にパスを回すのである。かなり小柄な僕は、ボールを遠くに蹴飛ばす事が出来ない。中盤より下で起用されても役に立たないので、普段は前線でちょこまか動いて相手の守備を撹乱する役割を与えられるのだが、この日は練習試合だったのか、僕はディフェンダー付近のポジションで出場していた。そんなにゴールに近い場所でミスでもしようものなら、すぐに失点に繋がってしまう。誰も彼も大きな体の対戦相手は僕に狙いをすませてボールを奪いに来るし、堪りかねて外にボールを蹴り出そうものなら、一男から嫌味ったらしい罵声を浴びせられるのである。一男は公の場で僕に罵声を浴びせたい、恥をかかせたい一心で、そうしていたのだと確信している。
見かねたコーチが僕をベンチに引っ込めたが、あの時交代するべきだったのは、ピッチ内で僕に対して横暴な振る舞いを見せ、公開処刑のような事を行っていた一男であるはずだ。何もわざわざ僕にパスを回すしか選択肢がなかった訳ではなかろうし、本当に他にパスを回す選択肢がなかったのであれば、パスをもらう動きをしなかった他のチームメイトにも非がある。なのに僕以外をベンチに下げる選択を採らなかったコーチには、今になってこの出来事を考えると幻滅する。一男の人間教育より、僕を外してチームの輪を保つ方を選んだのだ。
とは言え当時の僕は、ベンチに下がる事ができてホッとしたのだと思う。
一男は普段から僕の事を見下した態度を見せていた。僕がゴールを決めた時でも「〇〇のパスが良かったから、瞬ちゃんでも決められたよね」と祝福するふりをして発言するとか、監督が僕にPKを蹴らそうとした時にもあからさまな悪態をついたりと、そんな具合だ。
一男は最高学年の時に副キャプテンを任され、僕と同じ中学校へ通った後に別々の高校へ行ったが、その後も人としての成長は見受けられず、たまに町で顔を合わせるとニヤニヤしながら「イジメられているあいつが、お前の事を友達だと言っていた」と、僕にわざわざ伝える必要があるのかどうかも不明な情報を知らせてきたり、大学生の年代になった頃には「お前の母ちゃんが俺の母ちゃんにこんなしょうもない事を言ってたらしい」と、ついには家族の事にまで言及するような鬼畜となっていた。
この歳でこのような傾向のある子供がまともな大人になるわけがない。一男は国立大を卒業し、町役場に勤めているらしい。いつか町のプロモーション動画に一男が出演しているのを見つけた時には、僕に寄生虫のように寄ってきては目の敵にしたり見下したりして自分の優性を証明して悦に浸っていた寄生虫が、どの顔下げて家庭を持ったり職業に就いたりしているのか、と腹立たしく思い、すぐに動画を停止して低評価ボタンをクリックした。
そもそも僕自身が、国立大学に行って地元に帰って銭にならん事をしてるくせに税金食って生きていく現在の一男の生活を、羨ましいとも成功しているとも感じない。まともな給料を得ていても、電車で妊婦や老人に席を譲らない奴だっている。学歴と仕事は、人間の優劣を測る尺度じゃない。そこが尺度であると思う奴は、そいつらだけで国でも作って暮してくれないか。
僕側の尺度で優れた人間に、一男は現在はなっているという可能性も否めなくはないが、過去の事があるので会っても僕は拒絶するだろうし、実のところ、未だに薄汚い笑みで自分のプライドを満たすためだけに人を蔑むところを見てみたい、という気持ちは強い。
サッカースクールでの体験と、一男によるその後10年にも及ぶ僕に対する振る舞いは、確実に僕の人格を歪めた。僕自身が元々歪む性質だったという解釈もできるが、これが引き金であったという事は断言できる。
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