高校生

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高校生

進学した高校は隣町で、僕は電車で通学した。  一昔前はワルの巣窟のような学校だったらしくて、ビーバップのような校風なのかと予想していたが、もはやそのような時代ではないし、それは想像していた以上におとなしいものだった。  ただその高校がある隣町の中学校はその当時でも未だにワルく、想像していた程では無かったが、ワルそうな奴がいるにはいた。  彼らの中の下っぱの一人に目をつけられ、ちびだの小学生だのと罵られた期間が一週間程あった。しかしそれも、僕が当時流行していたロックミュージックに精通していると周りにわかった途端、ぱたりと止んだ。止んだだけではなく、その事だけで難なく彼らの輪の中に迎え入れられたのだ。  芸は身を助ける、類は友を呼ぶとはこの事。当時は国内のマイナーなロックシーンを知る術は、深夜のテレビ番組と一部の雑誌の誌面上しかなかったが僕は中学生の頃からその全てをチェックしていたし、祖父の金をくすねて購入した膨大なCDで当時の「イケてる」音楽はある程度耳に通していた。この中学時代の行いが、ここにきて実を結んだ形である。ある者は自ら発見した音源がイケてるかどうかの評論を求めてきたし、ある者は僕が祖父の金をくすねて購入した最新のCDをMD(!)に録音してくれるようせがんだ。  そのような、ムーブメントの渦中にいるような状態であったが、学生の花形、学園祭のバンド出演にはお呼びがかからなかった。やはりあれはイケてる者のためにあるわけであって、僕のような学者タイプの人間がおいそれと出てはならないものなのだ。それを不良の彼らはよくわかっていたのだろう。当時は僕も出演したいと心の底で思っていたが、今思うとこれで良かったのだ。  僕は中学生の時に友人にギターを譲ってもらい、しばらく触っていたが主観的にどうも上手く弾けている気がしなくて、所謂挫折をしていた。高校に入って今度は父の知り合いにベースを譲ってもらい、押さえる弦が一本で良い事に、こんなに簡単な事で良いのかと歓喜した。自室で黙々と研鑽した技術は後年日の目を見るのだが、この時はまだだった。    同じ中学から進学した友人がいた。正義という名で、中学まで野球をやっていた、のらりくらりとした奴だった。正義とは小中と一緒で、放送部で給食の時間に好きな音楽CDを持ち寄って校内に流し、DJ気分を味わう仲だった。この高校へ進学を希望したのも正義が志望していたからに他ならなかったが、入学早々仲違いする事になる。彼が教室内で虫を殺したのを僕が執拗に責め立て、それはかなり冗談を含んだニュアンスであったのだが、正義はそれが癇に障ったらしく「お前のそういうところが嫌なんだ」と言って、それ以降口をきいてくれなくなった。僕にも一男や裕二のような人を見下す節があった事に、この時初めて気がついた。正義とはそれっきり、同窓会で二言三言交わしたきりである。人と人との関係は儚い。出会っては別れる、という事は現在までも癖のように繰り返しているが、ましてこれは十歳台の人間関係である。  正義とは仲違いしたが、新たな友人ができた。隣のクラスの、崇というひょうきんな男だ。長身で当時では珍しく黒縁の眼鏡をかけており、顔も悪くなかったのだが僕と同じで全く女子にモテず、そういう部分で話が合ったのと、音楽の趣味が同じなので意気投合した。僕は1年で辞めたが入学してから卓球部に所属していて、そこで知り合った。  2年生になってから後輩との折り合いが悪くて卓球部を辞めた後も、「カラオケ部」「キャッチボール部」と2人きりの部活動を称して、放課後も休日も、昼も夜も行動を共にした。そのうち特に力を入れていたのは「キャッチボール部」の活動だ。崇の家の前がバスの終点なので広くなっており、そこで交互にピッチャーとキャッチャーの役割を行うのだが、背面投げ、超低空アンダースロー、プロ野球選手の真似など、普通に球を投げる事はしなかった。アンダースローだけに関してだけは、たまたま居合わせた野球部員も舌を巻く精度だった。    そのようなまあまあ楽しいという程度の高校生活を送っていたが、3年生の時に崇に彼女ができ、僕にもそのおこぼれのような形で生まれて初めて彼女ができた。崇の彼女は所謂誰とでも関係を持ってしまうタイプの女子で、崇との関係もいろいろ割り切ったものであったらしい。その崇の彼女の妹に何故か僕は気に入られてしまい、なんとか僕を紹介してくれという経緯から交際がスタートした。  その彼女は裕美という名で、崇の彼女に比べてかなり美人だったのだが顔は思い出せない。整いすぎた顔というのは、意外と印象に残らないのかもしれない。同じ高校の一年生で、そばかすが多かった事と、ロングヘアで美しい髪だった事、僕より背が高かった事だけ覚えている。  裕美と付き合ったのは夏休みの間だけで、デートは二度か三度しただけ、一緒にプロ野球観戦に行ったのを最後に後日別れた。裕美からしたら恋に恋する年頃で、丁度手の届くところにいたのがたまたま僕だっただけの事なのだと思う。少し年上というのも、いかにも女子供が憧れそうな距離感だ。で付き合ってはみたものの、僕は所詮男としてのスペックは低いし決して思いやりのある性格ではないから、なんとなく興醒めして破局、となったのだろう。当時の僕は二度と立ち直る事はないだろうというレベルの落ち込み方をしたが、今思い返してみると、学生の男女交際なんてそんな程度の浅はかなものである。  この時受けた心の傷は、その後数年引きずる事になる。たいていの人が経験する淡い恋の経験は、誰も心の底から信頼した事がなかった僕にとって、やはり自分は女性に受け入れられる事はないのだと再確認させ、女性に対する今まで以上の苦手意識を植え付けただけであった。一度信頼させておいてたいした理由も告げずに振られるという扱いを受けたのだから、上げて落とす、落ちる助走がついていたので落ちた先は奈落である。そこから一般的な位置まで這い上がる過程を考えると、なんとも恨めしい。  
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