大学生

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 僕は高校を出たら地元の新聞屋で働くつもりだった。裕美という彼女もできて地元でこじんまりと生活するつもりだったので、大学進学を勧める家族の反対を押し切って、新聞屋で将来の修行を積んでいた。しかし裕美に別れを告げられた事で自暴自棄になった僕は一転、地元を離れてリスタートを切りたいと思うようになり、家族の言うように大学受験の準備を始めた。どういうカラクリなのか、兼業農家の我が家に金はあったようだ。  とりあえず推薦入試で、滑り止めの岡山の私立大学に合格した。校内ではお勉強のできる部類で、純朴な容姿のために教師からある程度の信頼を得ていた僕は、推薦という形でこの大学を受験する事ができたのだった。  しかしどうせなら学費の安い大学へ行ってくれという事で、続いて沖縄、島根の公立大学を受験するが失敗。センター試験経由の推薦入試だったが、農業高校生の学力で5教科の高得点を出せるはずはなく、沖縄と島根の受験は観光に重きを置いたものになった。結局岡山の私立大学へ進学する事となったのだが、この時の僕は教師や家族に言われるがまま事を進めており、もともと地元で就職するつもりであったから「大学に行ってあげる」という思いを持っていた。  いざ一人暮らしを始めてみると、それが性に合っていたのか日々を快活に過ごす事ができた。TVゲームに長時間没頭していても咎められないし、好きな時に好きなものを食べて過ごす家族の目から離れた生活は、悠々自適そのものだった。  とりわけ、大学の軽音楽部に所属した事がよかった。気の合う仲間と気の向くままに音楽の話をし、気の向くままに酒を飲み、寝たい時に寝て起きたい時に起きていた。学校はいわゆるFラン大学なので、要領良くしていれば落第の心配はない。今になって思えばこういうぬるい環境が、現在の自分の体たらくを形成しているのでは、とも思うのだが、これはこれでよかった。  大学で念願の、高校時代に組む事のできなかったバンドを組む事ができた。メンバーは軽音楽部の同級生、お調子者でドラムを始めたばかりの智洋、地元で悪かったと豪語するがそうは見えないヴォーカルの卓也、口から産まれてきたようないけすかないギターの剛、と僕で、90年代和製スケート系パンクみたいなコンセプトの選曲のコピーをするバンドだった。  その名もなきバンドは先輩が主催する、数週間後のイベントに出演のオファーがあった。楽器を始めたばかりの奴も、僕も含めて初めてバンドをする奴もいるし準備期間もたいして無いので、当然の事ながら玉砕したのであるが、このライブの後に放った剛の「このバンドはもう辞めよう」という一言で解散した。ライブの出来はさておき、初めてバンドで演奏し、他者に見せつけたという達成感を得ていた僕は、閉口した。これから、と思った矢先だったのである。  剛は大樹に寄る性質の人間で、その後は地元で名の知れたバンドに加入した。もともと自己顕示欲が強くていけ好かなかったが、僕の剛に対する評価を更に下げたのは、そのバンドの活躍がさも自分のおかげであるかのように、周囲に吹聴して回っていた事だ。もともとあった所に入ったのだからその活躍は、もともとのメンバーの手柄であるはずだ。多少ギターが上手いくらいで、自分で何も生み出せないくせに周囲に自己顕示欲を振り撒く振る舞いは、剛より賢くない人間には有効だったかもしれない。僕は見透かして相手にしていなかったが、それが面白くなかったのか、剛は僕を避けるようになった。  そのバンドが解散した後、その後何年も活動する事になるバンドを組んだ。先のバンドでドラムだった智洋、饒舌で背の高いギターの啓介、音楽の知識が豊富で根暗のボーカル末吉、僕がベースで、ニルバーナのコピーから始めた。秋の学園祭に出演しそこそこの手応えを掴んだが、その打ち上げで先輩に粗相を働いた末吉がその後失踪、そのバンドは意図せず3人で活動を続ける事となり、ボーカルは僕が担当した。  僕は歌う事が達者ではないので、何度もボーカルを入れようという話が出たが、それはさせなかった。真の自己表現は自分が矢面に立たずして成り立たないのだ。しかしメンバーをそう説き伏せた上でボーカル加入を阻止したのではなく、あくまでのらりくらりと、事が自分の思う方へ向かうように仕向け、メンバーの不安を他所にライブハウスでの初ライブにこぎつけた。一度ライブをしてしまえばこっちのものだという算段だ。  その初ライブはお客が疎らな中で行われ、特にリアクションもないまま終えた。メンバーは手応えが薄かったようで、次のライブ予定を入れる事を躊躇ったが、そうはさせなかった。どのようなシーンにおいても成功を収めるのは積極果敢な人物であり、歩みを止めた時点でジ・エンドなのだ、という考えは当時無かったが、突き進むべきだという衝動に駆られていた。自ら何かを興し、育んでいくというDIYの初体験を、素直に楽しいと感じていたのだ。  とにかく僕は形から入る性質で、その後は練習をテープレコーダーで録音したデモテープを作製し、これを無料でばら撒いた。この製作過程においては、グラフィックに興味のあった啓介にジャケット製作の役割を与えるなどして、自分本位にならぬよう、またメンバーに参画意識を持たせてモチベーションを保つ事ができるように仕向けるという、今になって思えば若いのに可愛げのない事をしていた。だがこの甲斐があってかメンバーも徐々にこのバンドの活動、3人での活動に力を注いでくれるようになっていった。  このデモテープに、中学生の頃に集めていた仮面ライダーチップスのダブりカードを封入しており、音楽ではなくこちらの方に一部の層から強烈なリアクションがあったのだが、これはどうでもよい出来事である。  
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