宣言します!

2/9
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/67ページ
 僕は新卒で今の会社に入社し、社会人5年目を迎えた。中堅食品メーカーの営業マンとして、古くからの付き合いがある取引先へ営業することが業務の中心となっている。  昔から憧れていた職業に就いたというわけではないが、自分が携わった商品をお店で目にすることも多く、とてもやりがいのある仕事だ。今のところこの仕事を辞めたいと思ったことはない。  また周りには、穏やかで仕事をきっちりこなす人が多く、とても恵まれた環境だと感じている。  そんな職場環境に恵まれた僕は、社会人としての日々の生活に満足はしていたものの、何かが足りないという意識をいつも頭の隅に持っていた。満足しているけど、何かが足りない。どっちなんだよと言いたくなるが、それが正直な感覚だった。  そんなある時、人生の目標として「仕事を生き甲斐にしようかな」とふと考えたみたことがあった。ちょうど3年目に入った頃だろうか。僕は細かな日々の目標ではなく、これからの長く続く人生の軸をなんとなく探していたのだ。  でも、残念ながらすぐに、僕の場合は「仕事」だから生き生きと動ける人間だと判明する。休みの日に自社製品のお菓子を見て回ろうと計画を経てたところで、なんだかんだ理由をつけて実行まで至らなかった。 「今日は布団を干し終わってから行こう」 「今日は良い豆のコーヒーを優雅に飲んでから行こう」  そんなことをしていると、休日なんてものははいつの間にか終わってしまう。  あくまで仕事は仕事として頑張ろう、そう決心するのに時間はかからなかった。  思えば入社してから1、2年は、生活サイクルに慣れることに必死で、自分で考えて生活していくというところまで行き着かなかった。  入社した当初から、一昔前よりプライベートな時間が持てる環境になりつつあったとはいえ、1から仕事を覚えることは簡単なことではない。とにかく目の前のことをこなすことに全神経が注がれ、毎日クタクタだった。  平日は必死で目の前の仕事に食らいつき、家に帰ったら休む。休みの日にようやく、家事をしたり学生の頃の友人や同期と遊んだりしていた。  まだほんの数年だけど、あの頃は大変で、でも楽しかったのかなと思う。  特別優秀ではなかった僕でも、3年目になると少しずつ自分の力でも仕事ができるようになってくる。  自分が望むような程よい疲れをもたらす働きができ始めていた。家に帰ってからも一人暮らしに必須な家事を無理なく出来るくらいのゆとりある疲れではあったが、遊びに行くほどの余力は生み出せない疲れだった。  そこへさらに、プライベートな時間を大切にしようという社会の後押しもあり、僕は世間一般で理想的だとされる生活習慣が得られるようになってきた。  完全週休2日。帰宅するのは早くて18時半、遅くとも20時。  自分でも申し分ない生活サイクルだと思う。心が健康に生きていくためには、このくらい自分の時間が大事なのではないか。ガムシャラに働き続けた経験はないけれど、きっとこの生活は間違いではないと思う。  そんな生活が2年程経った去年の春、ふと自分が過ごしてきた1年を振り返ってみることにした。少しずつ時間を持て余すようになってきて、とんでもなく暇だったから、1年越しの春が物思いにふけさせたように思う。 「うーん、去年1年は何があったかな…」  仕事では4年目を迎え、1人で仕事を任されることが増えてきた。責任が増して大変なこともあったけど、やり遂げた時の達成感も増え、充実していた。それは間違いない。  それじゃあ、プライベートでは……。  自分のプライベートを振り返る。春夏秋冬で服の装いは変わるものの、毎日同じように家事をして、もう覚えてもいないTVやSNSを見ていた映像が蘇る。  あんなにたくさん時間を過ごしたのに、同じ映像しか流れてこない。そして、その時々の感情が全く思い出せない。 「嬉しいとか悲しいとか思ったことあったっけ…?」  必死に思い出そうとするものの、その熱意とは裏腹になんとなく過ごした日々の映像が浮かんでは消えていく。たまに浮かんでくる充実した気持ちは、家に帰っても仕事の喜びに浸っていた時のものだった。  思い出すことを諦めた時、自分が驚くほど無感情な日々を過ごしていたことに1年を振り返って初めて気づいてしまった。もし今、気づいていなかったら、今年もその先の未来も無感情のまま過ごして一生を終えていたのではないかと突然不安になる。    無感情なのは楽だ。そしてそれはある種、幸せなことだとも言える。マイナスな感情に支配されていないということだから。きっと無感情を望む人もたくさんいると思う。  でも僕は怖いと思ってしまった。  1年も気づかないほど満足していたからこそ、一生このままなのではないかと恐れてしまった。  生きている人間だから、心動くような体験をしたい。僕はそれをきちんの意識して過ごさないと、あっという間に何もしない時間を過ごしてしまう人間のようだ。  焦った僕は取り急ぎ、1人で何か楽しめることを見つけたいと思い立つ。だが、何故か学生の頃のようには思いつかない。  振り返ればここ数年、ふと思い浮かんだ願望も、できない状況であれば「まあいいか」と思ってきたし、それが特に苦だとは思ってこなかった。そんなことを繰り返すことで願望が浮かんでくることも減ってしまったのだ。  もちろん、僕と同じように家と会社を往復するだけの生活をしている人はたくさんいるだろう。その生活を好み、心が満足している人もたくさんいるはずだ。  ただ僕の場合は、少しずつ理解した最低限の「しなければならない」ことが生活の中心となり、「どうしてもしたいこと」が思い浮かばなくなっている。自分の意思が消えていっているようで、とてつもなく不安に感じてしまった。
/67ページ

最初のコメントを投稿しよう!